「光る君へ」の中の直秀の面影
大河ドラマ「光る君へ」。
今年は例年以上に、しっかりと大河ドラマを観ています。
もともと、平安時代というイメージが好きでした。
それは、大和和記さんの「あさきゆめみし」や田辺聖子さんの「おちくぼ姫」、氷室冴子さんの「ざ・ちぇんじ!」などが育んでくれた愛着です。
これを書いている現在、直秀ロスに兼道ロスが重なって、やはり最後に残る推しは実資様などと考えたりします。
とはいえ、5月12日放送の第19回「放たれた矢」でも、私は直秀の存在を感じたことを書いておきこうと思います。
以前、たらればさん(@tarareba722)が、「直秀は「現代版源氏物語」に必要なカギだったと思っています。」と語っていらっしゃいました。
直秀は、第九回「遠くの国へ」で鳥辺野で殺されますが、その前に、直秀が近々京を離れて遠くの国へ行くつもりであることを、まひろに話します。
まひろに、一緒に行かないか、行かないよな、と誘うともなく、話しかける場面です。
鳥かごのような京を出ようと山の向こうに眼差しを向ける時、トビの鳴き声がしました。
「光る君へ」は鳥の鳴き声や咲く花、虫の声や姿で季節をこまめに表現しています。
夜になればトラツグミやヨタカやフクロウが鳴きます。
秋冬にはツグミやモズの声がします。
春になればウグイスがさえずります。
ドラマの冒頭で鳥かごから逃げ出したヤマガラは、その後、まひろと道長の心が近づくときに、必ずと言っていいほど、鳴き続けています。シジュウカラかな?と思ったりもしますが、カラ類(シジュウカラ、ヤマガラ、ヒガラ、コガラなどがいます)の声がします。
犬君が逃がした雀は、山雀の姿で、常に主人公と光る君の運命を結び付けようとしているかのように。
では、トビの声がふさわしいのはどのような時か。
留鳥(一年中、同じ場所にいる鳥。渡りをしない鳥)ですから、一年中、見ることができます。
夜は鳴かず、声を聞くとしたら昼間。
平地を好み、河川や海岸の近くを好む鳥ですから、昔の都市部も住みやすい場所だったかもしれません。
今も、京都だったら、鴨川べりはトビを見つけやすいはず。
その声がわざわざ聞こえて、ん?となった場面が二つあります。
ひとつめは、第13回「進むべき道」。
まひろがさわと市に出かける場面。庭の畑で採れた野菜を持って、針と交換しようとした時の、市についたあたりでトビが鳴きます。
まひろが、貧困層の人々と関わるようになったエピソードであり、理想の政治、理想の国を改めて考えるようになった契機です。
ふたつめは、第19回「放たれた矢」。
道長が一条帝から身分は高くないのに政治を語る面白い女性がいた、名をまひろといったと聞いた後。廊下を渡るときに、トビが鳴きます。
その後、道長はまひろの父親である為時の申文を見つけ、従五位下に推挙します。
私はこのトビの声に、直秀を思うのです。
2人がそれぞれを思う時、恋心のような華やかな思いの時にはヤマガラですが、貧しい人々のことやよりよい国を作らんとする思いの時にはトビが鳴く気がするのです。
それは、第二、第三の直秀を作らないためにはどうしたらよいか、という、二人に出された宿題です。
と同時に、まひろが市に来るときには心配して見守る直秀だったり、道長にはまひろを放っておくのかよ、お前にしかできないことがあるだろうと突っ込む直秀だったりするのです。私の頭のなかでは。
でもね。
亡き人の思い出というのは、そういうものじゃないかと思うのですよ。
常に心のどこかにありながら、自分と共に生きていくものになっていく。
そういうものじゃないかと思うのですよ。
もう一つだけ、直秀=トビを感じる場面を挙げておきましょう。
それはオープニングです。劇中でもたまにあるのですが、上空から京の都を映すときに、鳥の目線であるかのように、揺れながら近寄ることがあります。他方で、正面からまっすぐ静止画のこともあるのですが。
あの斜めからふらりと鳥の目線で京の都を眺める時、遠くの国から直秀がトビの姿を借りて、京の様子を、まひろと道長の近況を、見に来ていると思ったら、ちょっと嬉しくないですか?
鳥辺野から遠くの国へと旅立った彼だけに。
鳥になっていると思ったら。
という、私の勝手な思い入れです。