感想『八月の御所グラウンド』
万城目学 2023 文藝春秋
御所にはグラウンドがある。
北側の門から入って右側、梅園のほうだったように記憶している。
運動なんてものとは縁のない生活を好む学生だったので、ぼんやりとした記憶でしかないけれど、確かにある。
あの頃でも、京都の夏は沖縄より暑く、京都の冬は北海道より寒い、などと話していたものであるが、今は一層暑いだろう。
そんな暑い京都と、寒い京都と、それぞれを舞台にした二つの物語に、笑ったり泣いたり忙しい読書となった。
冬の女子駅伝では、御所に沿った懐かしい景色が見られるので、時折、テレビで見る。
京都を離れてから見るようになったものかもしれない。
その駅伝に突如出ることになった補欠選手(高校1年生)。
彼女が、方向音痴であるところに他人事には思えんと思って、本屋で手に取り、そのまま、レジに向かった。
だって、私もひどい方向音痴で、京都では苦労したのだ。
通りの名前は数え歌のように授業で憶えさせられるので、そこまで苦労はしなかったけれども、碁盤の目というのは危険である。
90°、歩く方向を間違えたら、とんでもなく遠くに行ってしまうのだ。
180°、間違えても、えらいことになってしまうのだ。
四条の本屋を出て、烏丸に向かったはずが、なぜに河原町につくのか。
地下道がまたひどい。踊り場でくるりと回った瞬間に、左右がわからなくなる。
右だ、右なんだ、左じゃない、なんて思ったら、「左」だけが記憶に残るような、そういう方向音痴の悲しみを、よくぞこれだけ書いてくださった。
その前半「十二月の都大路上下ル」を読み終えて、後半の本番。
「八月の御所グラウンド」とあるからには、8月に読みたいと思った。
というのは建前で、うつがひどくて、なかなか読み進められずにいたところ、8月になったんだからと自分の尻を叩きながら読み始めた。
祇園につれていってくれる指導教授とか、東京の時は祇園や神楽坂につれていってくれる指導教授とか、よそのゼミにはいたなあ。
あいにく、そういうゼミには当たったことがない。
夏場に野球に誘われることもなかった。同立戦とか、早慶戦とか、どうせなら、行っておけばよかった。
しかして、御所グラウンドで行われるのは、もっと不思議な野球の試合なのだ。
そう。ここは、万城目ワールドだから。
途中で「フィールド・オブ・ドリームス」という映画を思い出した。
そうだよね。
みんな、もっと生きたかっただろう。
もっと野球をしたかっただろう。
手りゅう弾を投げるんじゃなくてさ。
白いボールを投げたかったんだろう。
からすまるまるふとるまち。
なんて、京都に住んでいた頃の笑い話を思い出す。
あの町に住んでいた懐かしさと、あの町に刻まれた戦争の記憶と。
8月15日の夜に読めてよかった本だ。
今年も大文字がともされる。
「犬文字」にしたのは、学生たちだった。
それは都市伝説ではなく、実話だったことを、鷲田清一が『京都の平熱:哲学者の都市案内』のなかで書いている。
それぐらいの力いっぱいおばかなことを学生ができる、そんな京都であり続けてほしい。
そんな平和であり続けてほしい。