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病歴48:薬剤性肺炎3週目

治療を手放す。
BEP療法になってからは特に、つらくて苦しくて嫌で何度も治療をやめたいと思ったけれども、本当にがん治療を一旦中段する、なにもしないことにすると決断するのはすごく怖い。
手放すわけではなくて、一旦休止なのだけれども、それはそれで怖いものだと感じて、言葉につまった。
今週は、肺炎についても、がんについても、今後のことを見据えて話し合う機会が多かったため、そのことを記録しておこうと思う。

毎回の看護師さんの巡回のたびに、体温、血圧、血中酸素濃度を測るわけであるが、それではいまいち、自分の大丈夫な範囲がわからない。
在宅酸素を提案されてから、家族に自宅からオキシパルスメーターを持ってきてもらった。
そして、座って作業している時、座って喋る時、横になっている時、身の回りの作業をしている時、入浴した時、歩き回った時と、いくつかのシチュエーションを設定して、それぞれの場合の血中酸素濃度、後からは脈拍も記録するようにした。

なにしろ、肺炎になる前から骨髄を抑制した状態で、貧血気味であり、頻脈気味であったことで、自分の「息苦しい」の体感が信用ならない。
座って夢中で作業していれば、酸素濃度が93−94%でも、意外と平気。
無理はする必要はないので、95%より下がっていたらすぐに酸素吸入をすることを自分に課してから、まめに酸素濃度を測ってみた。

すると、パターンとしてわかってきたのは、喋ったり、身の回りの動作をしていると、すっと93‐94%に下がることある。臥床時も同様である。
喘息のように咳が出て止まらなくなるのは、93%を切った時だ。空咳が出始め、それが止まらなくなり、七転八倒することになる。
そうならないように、そういう空咳が止まりにくい自体になったら、早めにモルヒネの経口薬を服用し、落ち着かせる。
そういうモルヒネの経口薬を必要とした場面も書き出していった。

もうひとつのパターンが脈拍だ。
肺炎以前から、私の脈はいつも100以上あって、活動によってすぐに130になり、この春からは150や170になって胸が痛くて苦しくなるような状態だった。
それが、入院してからというもの、90以下にまで脈が落ち着くことが増えたのである。
輸血するかしないか主治医たちが悩む程度に赤血球が少なくなっている状態ではあったが、酸素の供給が増えたことで、心臓が休むことができたらしい。
多少の作業や活動では、それなりに血中酸素濃度を維持するが、その代わり、脈がうなぎのぼりになりやすく、130以上になると空咳が出て、それが止まらなくなるというパターンも見えてきたのである。

そのことを踏まえて、呼吸器内科の医師と話し合った。
私の状態として、座って休む、作業する場合は酸素吸入しなくても負担は感じないが、活動する場合には酸素が足りなくなりやすい。
そのように、常に必要なわけではないが、必要な場面では在宅酸素を使う必要性があることに納得したことを伝えたところ、医師がほっとした表情になった。
当初、私は在宅酸素など必要ない状態になってから退院したいと希望しており、それは難しいことをどうやって説得するか、たぶん、困っていらしたんだと思う。
退院のタイミングについては、現在は点滴で投入しているステロイドを経口で服薬できるまで量が減ることと、在宅酸素の手配ができることの両方がそろった時期になると、話が一気に進んだ感じがした。

その後、在宅酸素について詳しい専門資格を持った看護師さんからお話を聞かせていただいた。これがとてもよかった。
在宅酸素というシステムやそのものについては、実際に使い始めた時にでも書ければよいと思うので、この時の看護師さんの言葉で感銘が深かったものを書き残しておきたい。

在宅酸素というのは、活動を制限するための道具ではなく、患者さんが自由に活動することを補助するための道具です。せっかく入院しないですむようにするための在宅酸素なんですから、ひきこもってしまったらなんのために在宅酸素を使っているのかわからなくなります。

そのように説明を受けて、目から鱗がぽろぽろと落ちる思いだった。
なにしろ初めてのことであるし、貧弱なイメージしか持っておらず、自分の活動が制限される思いだった。
しかし、公共の交通機関にはなんでも乗れるし(飛行機の場合だけ医師の診断書が必要)、旅行にだって行っていい。温泉だって楽しめる。
この数年、コロナと抗がん剤の両方であきらめていた活動のほとんどを、コロナさえなければ、より楽に実現できるようにしてくるツールであることが、ようやく私にも納得できたのである。

そのように間質性肺炎は完治しにくい病であり、病との付き合い方を考えながら背負っていかなければいけない荷物となったわけであるが、それなら、がんの治療はどうしていくか。
そのことについても、婦人科主治医と話し合うことになった。

結論から言えば、半年程度、抗がん剤治療を休みましょう、ということになった。
理由はいくつもある。
まず、BEP療法が奏功し、腫瘍は小さくなっており、腹水も溜まっておらず、切迫した状態ではないこと。だから、今続けて治療しなくても、再び腫瘍が大きくなったり、腹水が溜まってきた時に治療再開すれば十分である。これが第一の理由。
次に、ブレオマイシンはおよそ10人に1人の確率で間質性肺炎の危険性を有する薬剤であるが、それ以外の抗がん剤もそれぞれ、程度の差こそあれ、肺への副作用の危険性を有していること。肺の状態がまだ良くなっていない上に、肺にダメージが何度もかかると致命的であるので、リスクをおかすわけにはいない。これが第二の理由。
肺以外にも、身体全体が抗がん剤のダメージが蓄積してきているので、まずは体調を整え、体力を蓄えてからのほうがよいのではないか。それが主治医の意見だった。

私はてっきり9月からブレオ抜きで抗がん剤をするものだと覚悟していたので、動揺してしまった。
それこそ、まったく治療をしないで半年間様子を見る。その度胸が、私の中に準備されていなかった。
私の腹の中にある腫瘍は1つではない。それを思うと、BEP療法の成果を実感したいし、ほったらかしにしても大丈夫という確信も得たいし、1度は現状確認として、PET検査を受けたいことをお願いした。
その上で、がん細胞が元気がなさそうなら半年間放っておくのもよいだろうし、意外と元気なら経口の分子標的薬の利用を考えるのはどうだろうかと、相談した。
気休めでも、なにか飲んでいるほうが、これを飲んでいるから大丈夫と自分に言い聞かせやすいんだもの。
その私の意見は受け入れられ、肺炎治療の退院後にPET検査を受ける流れになった。

後から考えると、これまでオラパリブという分子標的薬を使ってきて、最初の抗がん剤後はMAXで服用することができていたが、昨冬は低用量でしか耐えることができずにいた。
ということは、一旦、ドラッグフリーで元気に過ごすほうがいいのかもしれない、という方向に自分の心の天秤は傾きを変えている。
もしも分子標的薬を試すとしたら、今度はオラパリブではないものを試すことになるので、それが合うか合わないかもわからないし。
そういう薬を使っていると、少なからず、食事の制限も出てきてしまうので、主治医の言う通り、ドラッグフリーで過ごせる半年間は魅力的かもしれない。

半年間のお休み期間。
主治医は、旅行に行ったり楽しんでもいいし、仕事をがんばってもいい。そして、年末年始には親孝行しなさい、と言ってくれた。
なんだか、終末期にいるような気持ちになった。
まだ猶予があると思いたいのだけど、なんだか、たまらなかった。
根治するための治療ではなく、余命をのばすための治療を受けていることには変わりがないからね。

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