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【認識】「固定観念」「思い込み」の外側に出るのは難しい。自分はどんな「へや」に囚われているのか:映画『ルーム』
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「自分は一体何に囚われているのか」について考えるきっかけをくれる衝撃の”実話”
この映画はフィクションですが、映画の着想の元となった事件は存在します。事実と映画では大分状況は異なりますが、まさにこの映画の核となる部分については共通していると言っていいでしょう。
ただこの記事では、元になった事件には触れません。「こんな恐ろしい事件が起こっていたんだ」という受け取り方で終わっていい作品ではないと思うからです。
この映画の場合、普通なら「クライマックス」だろう地点が、物語のスタートラインです。そして、そこから少年が直面する葛藤が、私たち自身にも関係するのだと徐々に理解できるようになるでしょう。
問題や問いに気づかなければ、その先へと進むこともできません。この映画は、「自分が何かに気づいていない可能性」に気づかせてくれる作品だと思います。
まずは内容紹介
ジョイとその息子のジャックは、長いこと「へや」に住んでいる。その「へや」は、四方を壁に囲まれ、窓は天窓のみ。入口のドアには暗証番号を入力しなければ開かないロックキーが付けられている。
外には出られない。
2人は、風呂に入りながら服も一緒に洗い、狭い「へや」の中で運動をし、時々やってくる「オールド・ニック」の登場に怯える。そんな彼らは、「オールド・ニック」からの”日曜日の差し入れ”でなんとか生活しているというわけだ。
ジャックはこの「へや」の中で、それなりに快適に暮らしていた。毎朝”友達”に挨拶し、料理を手伝い、「オールド・ニック」に買ってもらったラジコンで遊ぶ。誕生日ケーキにロウソクがついていないとか、「オールド・ニック」がやってくる日はクローゼットから出てはいけないなど不満もあったが、それでもジャックにとってここでの生活は”当たり前”のものだった。
この「へや」での生活しか知らないからだ。
しかし、母親であるジョイは、1日でも早くこの部屋から抜け出さねばならないと考えている。そう強く思うようになったきっかけの1つが、罰として部屋の電気を消されたことだった。もうこんな生活、耐えられない。ジャックが5歳になったことも、彼女の決断を後押しした。なんとか、話せば分かってくれると信じたのだ。
ジョイはジャックに打ち明ける。
ママは17歳の時、誘拐されたの。
ここは納屋で、私たちはここにずっと監禁されているのよ。
ジャックには、何を言っているのか理解できない。ママは、TVの向こう側の世界は全部ニセモノだと言っていた。この壁の外には宇宙空間が広がっていて、外に出たら死んじゃうはずだ。「へや」を出るなんて、考えられない。
でもジョイは必死に「ママを助けて」とジャックに話した。ジャックはママのために、なんとか理解しようとした。そして、ジョイが立てた作戦を実行に移し、見事「へや」から脱出することができたのだ。
ジョイにとっては歓喜の瞬間だった。しかしジャックにとっては……。
恐怖の始まりでしかなかったのである。
あなたはどんな「へや」に生きているだろうか?
映画では、非常に特殊な、日常ではありえない設定を使って、「少年が『当たり前の世界』に恐怖する」という特異な状況を生み出しています。リアルにジャックと同じ体験をする人はまずいないでしょう。
しかしより広く捉えると、ジャックのような感覚を誰もが体験しているとも言えるはずです。
私たちが閉じ込められている「へや」の名前は、「思い込み」です。多くの人が様々な「思い込み」に支配され、まったく同じ状況を違った風に見ているだろうと思います。
例えば、今では大分薄まったとは思いますが、一昔前であれば、「結婚していない人は、人間的に何か欠陥があるのではないか?」という見られ方が割と当たり前のものとして存在していたはずです。そういう社会に生きていると、「結婚できていない自分は何かダメなんだろうか?」と考えてしまうことにもなるでしょう。そんな「思い込み」は別に捨ててしまって問題ないのですが、なかなかそうはできないと思います。
今の時代だと、「LINEの返信がすぐ来ないから嫌われた」「『いいね!』が全然もらえないからダメだ」みたいな感覚を持ってしまう人はいるでしょう。これもまた、「思い込み」でしかありません。
映画を観ている観客は初めの内、なかなかジャックの葛藤に寄り添えない気がします。ジャックが恐怖しているもののほとんどは、私たちにとって当たり前のものばかりだからです。私たちの生活を快適に、便利に、安全にしてくれる様々な事柄にジャックは怯えてしまうのですから、なかなか共感が難しいだろうと思います。
ただ次第に、ジャックの葛藤が、自分にも身近なものとして重なってくるはずです。
例えばあなたは、誰かの悩み相談を聞いて「なんでそんなことで悩んでるんだろう?」と感じてしまうようなことはないでしょうか? まさにそれは、ジョイや我々がジャックに向けてしまう視線と同じものだと言えます。私たちには、ジャックの恐怖は理解しきれません。それは、まったく同じものを見ていても、まったく違う風に見えているからです。
「なんでそんなことで悩んでるんだろう?」と感じてしまう時も、同じことが起こっています。同じものを見ていても、まったく別のものに見えているわけです。違う風に見えているのですから、自分に見えている光景から他人の悩みを判断するのは誤りでしょう。そしてそれは、とても当たり前のことで、この世界のどこにでもありふれています。だからこそ、生きていく上で誰もが認識しておくべき事柄だと私は考えているのです。
ただ同時に、現代ではそのことを認識するのがとても難しくもなっています。主にSNSのお陰で、同じような「へや」にいる人同士が関わりやすくなったからです。
今までは、「物理的な距離の制約」によって、近くにいる人と関わり合いを持つしかありませんでした。物理的に近くにいるというだけの人と、感覚や価値観がピッタリ合う可能性はとても低いと思います。だから誰もが、「凄く合うわけじゃない人」と人間関係を築いていたのだし、その過程で「見えているものは全然違うんだ」と実感できる機会もあったでしょう。
しかし今の時代は、物理的に近くにいる人との人間関係を諦めて、ネット上で人間関係を作ることも可能です。趣味趣向などで友人や恋人をマッチングするサービスは無数にあるでしょうし、オンラインゲームのように「趣味に費やす時間」と「趣味が合う人と出会う時間」が同時並行ということも珍しくありません。
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