
【純愛】映画『ぼくのエリ』の衝撃。「生き延びるために必要なもの」を貪欲に求める狂気と悲哀、そして恋
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「他人を傷つけなければ自分の生存が成立しない」という境遇を描く映画『ぼくのエリ』を、他人事と思えるだろうか?
Filmarksという映画レビューサイトには「プレチケ」という仕組みがあります。映画のクラウドファンディングみたいなもので、ある映画を特定の映画館で上映すると発表し、一定以上のチケットが売れれば上映される、という仕組みです。
『ぼくのエリ』は、このプレチケの企画で鑑賞した映画です。タイトルと「評価が高いこと」をなんとなく知っていたので観たのですが、なんだか凄い映画でした。「SF」と呼んでいい設定の作品ですが、「『生き延びるために必要なもの』が他人に共感されない苦痛」を強く描き出す作品でもあると思います。
そういう意味で、この映画が描き出す人生は決して「他人事」ではないという風に感じました。
「自分の切なる欲望」が「犯罪」とされてしまう絶望について
私はこの映画を観ながらずっと、「自分が『小児性愛者』でなくて良かった」と考えていました。別に、映画『ぼくのエリ』は「小児性愛者」の話ではありません。ただ、「自分が生存するためにどうしても必要だと感じること」が「世間一般には『犯罪』とされてしまう」という状況だけ捉えたら同じだと言っていいのではないでしょうか。
ただ、「小児性愛者」の話をするのもちょっとどうかなと思うので、別の例を考えてみました。少し状況は異なると思いますが、いわゆる「依存症」は、この映画が示唆する状況と似たようなものと言えるかもしれません。
例えば、「万引き依存症」と呼ばれるものがあります。その名の通り、「常習的に万引きをしてしまう」という病で、「クレプトマニア」とも呼ばれているそうです。女子マラソン元日本代表の原裕美子さんがこの「万引き依存症」に苦しんでいたと報じられたことでその存在を知ったという方も多いかもしれません。
「万引き」は明らかに犯罪です。しかしその犯罪行為が、自分では止めるられないほどに習慣化されてしまっています。それはやはり相当辛い状況でしょう。「依存症」は全般的に「病気」と判断されるはずなので、「自分が生存するためにどうしても必要だと感じること」ではないのですが、私が何を言いたいかはなんとなく理解してもらえるのではないかと思います。
万引きしたいかどうかはともかく、「『万引き』無しでは生活が成り立たない」ような状況に彼らは既にいるのでしょう。恐らく、万引きが良くない行為だということも、自分がマズい状態にいることも理解できているのだと思います。しかしそれでも、万引きする手を止められないのです。
また、もう少し話の規模を小さくすれば、「スケートボードをしたいが、練習に最適な公園での走行は他人の邪魔になる」「楽器を演奏したいが、マンションなので近所迷惑になる」など、「自身の欲望・希望」が「他人の迷惑」になってしまう状況は多々存在します。
映画で描かれるエリは、まさにその究極的な存在だと言っていいでしょう。彼女にとって「生き延びること」は、「他者を死に至らしめること」と同義だからです。それは本当に、凄まじい状況だと感じます。
「他者と『欲望の感覚』が合わないこと」の絶望
さて、エリが置かれている状況はあまりにも特殊なので、もう少し状況を広く捉えてみることにしましょう。
エリは、その特殊な生き方故に、「他者と分かり合う」という感覚になかなか行き着けないだろうと思います。「彼女にとって大事なもの」について焦点を当てれば当てるほど、周囲の人とまったく話が合わなくなってしまうからです。
そしてこれは、現代でも同じような状況が多々存在するでしょう。
かつて同じ職場で働いていたオタクの女性が、とても面白いことを言っていました。自分が熱弁したいオタクの話は、それに関する知識をまったく持っていない人としたい、というのです。私はまったくオタク的な知識のない人間で、そういう意味で彼女の話し相手としてはうってつけだったと思います。
なぜ彼女はそんな風に考えていたのでしょうか。それは、「同じアニメ・ゲーム・マンガが好きだったとしても、その『好きポイント』までピッタリ重なることはまずないから」だそうです。同じ趣味を持つ者同士であればあるほど、「私はこれのここが好き」というポイントを明確に持っているのだと思います。そして、よほど運が良くない限り、そのポイントまで一致することは稀でしょう。彼女は、「同じものが好きでも、その『好きなポイント』について口論になったりする」みたいにも言っていました。だから私のような、何も知らない人間に熱弁する方がいいのだ、と。
あるいは、最近よく飲みに行く女の子とも、「趣味で人と繋がりたくない」という話をして、とても共感したことを覚えています。「結局趣味で繋がる関係性はつまらない」という感覚は、私もずっと持っていたのです。
これらの話は、「自分の『好き』を突き詰めれば突き詰めるほど孤立する」という風にまとめられるでしょう。そして、そのような感覚を抱く人は結構いるのではないかと思っています。
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