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【衝撃】壮絶な戦争映画。最愛の娘を「産んで後悔している」と呟く母らは、正義のために戦場に留まる:『娘は戦場で生まれた』

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今まで見た中で一番凄まじい映画

ランキングは好きではないけれど……

本でも映画でも、「これまでのベストは?」みたいに聞かれることは得意じゃない。自分がどういう状態でその作品に触れたのかなどによって受け取り方が大きく変わるので、「作品そのものを純粋に客観的に判断してランク付けする」ことなんてできない。また、「そんな客観性はいいから、あなたのベストが知りたいんだ」ということだとしても、そう聞かれた時の気分でもまた、答えは変わるだろう。

だから、基本的にはそういう質問には答えないし、自分でも、ランキングや星の数で作品を評価したりはしない。

ただ、この映画は正直、これまで見た中でダントツの作品だと感じた。これ以上の映画がこれから生まれ得るんだろうか、と考えてしまうほど衝撃を受けた。

そんな状況に人間が置かれてしまうことなどあるのかと嘆息するような、とてもドキュメンタリーだとは思えない世界に、観ている間、何度も頭を殴られたような衝撃を受けた。

娘を産んだことを後悔している

この映画を撮影しているのは、一児の母だ。そして彼女は、映画の中でこう話す。

今はあなたを産んで後悔している。
パパと会ったことも。
実家から出たことも悔やんだ

もちろん、本心ではない。彼女にとって娘は最愛の存在だ。映画を観れば、彼女がどれほど娘を愛しているのか伝わる。

しかし、そんな娘を産んだことを「後悔」していると彼女は言う。

まあ、無理もない。自らの意思で残っているとはいえ、いつ爆撃で命を落としてもおかしくない場所で生活をしているのだから。

彼女は、娘のために映画を撮る。

サマ、これはあなたのために撮った。
父と母がした選択を、
そして、私たちがなんのために戦ったのかを伝えるために

この映画は、人生を賭けた壮大なラブレターでもあるのだ。

母・ワアドと父・ハムザ

最愛の娘・サマの両親であるワアドとハムザは、ワアドがアレッポ大学の学生だった頃に出会った。

2012年、ワアドが4年生の時に民衆が蜂起した。シリアという国家は、アサド政権が独裁を敷いたことで、腐敗と不正と抑圧に沈んでいた。その現状に対抗しようとデモ活動が活発化する。ワアドは元々ジャーナリストに憧れており、スマホで身の回りの様子を撮影し始める。

ワアドは、医師で活動家でもある親友・ハムザに密着しながら、シリアの現状を撮影することに決める。デモを主導する者たちは、勝利を疑わなかった。しかし予想に反し、政権は強硬に抵抗する。内戦は悪化の一途を辿り、ハムザは革命のために残るか、奥さんと共に逃げるかという決断を強いられることになった。

そう、ハムザは当時、結婚していたのだ。

ハムザは、革命を選び、妻とは別れた。彼は東アレッポに残り、学校や病院がまったく機能していない環境で、どうにか診療所の運営を始める。ワアドも革命のために残り、東アレッポの現実を撮影し続けた。

革命のリーダーと、現状を世界に発信するジャーナリストは、結婚した。そして、妊娠が判明する。二人は、アラビア語で「空」を意味する「サマ」という名前をつけた。空軍も爆弾も存在しない、雲だけが広がる青い「空」が再び戻ることを祈って。

彼らはそれぞれの方法で、シリアの現実を世界に訴えた。

ハムザはニュースで何度も話した。
私の写真は、数千万人の人の目に触れた。
それでも、誰も政権を止めない。
味方は私たちだけ

彼らは何故アレッポに残ったのか?

ハムザたちは、あちこちの建物が倒壊し、日々爆撃に見舞われる東アレッポに残った。何故だか分かるだろうか? 彼らは、武器を携行していない。政権軍と戦闘を行うために最前線にいる、というわけではないのだ。

その答えはこうである。

ここで普通に生活することが、政権への抵抗だ

そう、彼らは、「ただそこで生活をし続ける」ことに、革命を見出している。

アレッポは、政権反対派が多く住む地域だ。だから、ここの住民が爆撃から逃げず、それまでと変わらない生活をそのまま続けることが、政権に対する明確なメッセージとなる。

武器を使うだけが革命ではない。彼らは、ひたすら耐えることによって主張する。

爆撃によって多くの人が死傷する。塩素ガスに苦しめられる。しかしそれでも、彼らは武力を使わず、ただただ当たり前の生活を維持することによって、ひたすらに耐えることによって政権へ「NO」を突きつけるのだ。

母であり、革命家であり

アレッポに残った時はまだ、ワアドは母親ではなかった。ハムザらと志を共にする革命家だった。その後、彼女は母親になる。

その運命は、想像しきれないほど過酷だ。

これが僕らの道だ。
長い道で、危険と恐怖が待っている。
でも、最後に自由が待っている。
行こう。一緒に歩こう

結婚式でハムザがワアドに贈った言葉だ。彼らには、アレッポから退避するという選択肢はない。革命への意思は強靭だ。

しかしだからといって、生まれたばかりの赤ちゃんと共に爆撃の激しい地区に残り続けるという選択は、容易なはずがない。

映画の中でワアドは、繰り返し不安を口にする。当然だろう。しかし彼女は、生まれたばかり娘を置いて、アレッポの街を撮影しに出かける。

母親として可能な限りの愛情は注ぐ。しかし同時に、この現実を記録できるのは自分しかいないという使命感にも駆られている。

まったく凄いもんだ。

フィクションとしか思えない、まるでお膳立てされたかのようなワアドとハムザの関係にも衝撃を受けた。元々は親友だった。ハムザには妻がいた。しかし、革命のためにハムザは最初の妻と別れた。ハムザは革命のリーダー。そしてワアドはアレッポの現実を伝えるジャーナリスト。そんな、まさに革命の中心にいる二人が、爆撃の止まない街で結婚し、その街で娘を産む。

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