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【実話】「アウシュビッツ・レポート」に記載された「収容所の記録」を持ち出した驚愕の史実を描く映画

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「アウシュビッツ強制収容所」の真実はいかにして明るみに出たのか?恥ずかしながら知らなかった驚愕の真実

アウシュビッツを含むドイツ軍の強制収容所でユダヤ人が大量虐殺された、いわゆる「ホロコースト」のことは、当然誰もが知っているだろう。あまりに悲惨なこの歴史的惨劇を繰り返さないために、後世まで語り継がれるべきだ。

しかし確かに、「どのように世界はホロコーストを知ったのか?」について理解していなかったと、この映画を観て感じた。実は、強制収容所を命がけで抜け出し、詳細な記録を世界に向けて公表した者たちがいたのだ。

それまで私はなんとなく、こんな風に考えていた。ドイツ軍がユダヤ人を虐殺している事実は世界も知っていたが、戦争中だったこともあり、すぐには対応できなかった。ドイツが降伏したことでようやく、現実的な対処が取れるようになった、と。

この解釈は、半分ぐらいは当たっている。映画でも、ユダヤ人を捕らえて強制収容所に送っているという噂は連合国軍に届いていたと描写されるのだ。

ただ、その実態についてはほとんど理解されていなかった。

確かにそれは、想像してみれば当然だろうと思う。私たちは「ホロコースト」が起こったことを歴史的事実として知っているし、だからこそ、「これほど残虐な行為が人間の手によって行われた」という恐怖を感じることができる。しかし、「ユダヤ人の大虐殺が行われている」という事実を知らなければ、まさかそんなことを人間が行うとはとても想像できないと思う。連合国軍がどのように解釈していたのかに関する描写はほとんどなかったが、恐らく、「収容所に送り、強制労働をさせている」ぐらいに考えていたはずだ。それにしたって酷い話ではあるが、それならまだ、人間が想像可能な範囲の行為だろう。

だからこそ「確実な証拠」が必要だったのだ。

実際に強制収容所を抜け出したのは、ヴァルターとアルフレートの2人。彼らは収容所内で「記録係」を務めており、いつ誰が亡くなったのかを含め、詳細なデータを持っていた。彼らはその証拠を連合国側に届け、世界に公表してもらうべく命がけで脱出を試みたのだ。

彼らの情報がなければ、連合国が行動を起こすのはもっと遅かったことだろう。映画では、脱走した2人の情報のお陰で、ハンガリー系ユダヤ人12万人がアウシュヴィッツに送られずに済んだと説明されていた。もちろんこれは、彼らが成した分かりやすい功績にすぎない。彼らがいなければ、ドイツ軍による横暴がその後も続いたことは間違いないだろう。

誰もが知っているだろう史実に、これほど衝撃的で、恐らく広くは知られていないだろう事実が存在することに驚かされた。

この映画で問われることは、現在の我々にも当てはまる

映画の中である人物がこんなことを口にする場面がある。

大事なことは、これを知った今、何をするかだ。

この言葉は、映画を観ている我々にも直接的に突き刺さることだろう。

私たちが生きる世界では、ロシアがウクライナに侵攻した。信じがたい暴挙であり、国際社会も様々な形で反応している。「スマホが存在する初めての戦場」とも言われているそうで、ウクライナ側からのSNSを通じた様々な情報が拡散され、多くの人が行動を起こしているというのが現状だ。

しかしすべての出来事が、社会の注目を広く集められるわけではない。

たとえば、中国のウイグル自治区の問題は、何故かテレビの報道番組ではあまり特集されないように思う。私自身、詳しく理解しているわけではないが、中国がウイグル自治区に住むウイグル人を「再教育」と称して閉じ込め、酷い扱いをしているという疑惑だ。以前テレビで特集されていた際には、実際に拷問を受けたという方が、その悲惨な実態を赤裸々に語っていた。ホロコーストほどの残虐さではないかもしれないが、ウイグル人の方々が置かれている状況は似たようなものと言っていいだろう。

あるいは、日本の難民問題も挙げられる。以前私は『東京クルド』という映画を観て、初めてその実態を知ったのだが、「難民をまったく受け入れる気がない日本」の酷すぎる対応には驚かされた。

日本国内の問題だが、私と同じように、そんな現実を知らなかったという方はもの凄く多いだろうと思う。

もちろん、世界中には様々な問題が存在するし、そのすべてに対して行動できるわけではない。目にしたこと、耳にしたことに反応することも大事だが、「今もどこかで、広くは知られていないけれども酷い状況に置かれている人がいるかもしれない」という視点を忘れてはいけないとも思う。

大事なことは、これを知った今、何をするかだ。

ホロコーストが起こった世界から、現代へと投げかけられる問いに、私たちはどう答えるべきだろうか?

非常に珍しく、「エンドロール」が印象的な映画だった

私は、基本的に映画館で映画を観ると決めているし、エンドロールを観終わってから席を立つことにしている。しかしやはり、特に外国の映画だと、エンドロールの時間は退屈だなと感じてしまう。文字だけではなく、映像を入れ込んだエンドロールなら多少興味も湧くが、だからと言ってそこまで面白いと感じるものはない。

だから、映画のエンドロールに感心させられたことは意外だった。

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