【無謀】園子温が役者のワークショップと同時並行で撮影した映画『エッシャー通りの赤いポスト』の”狂気”
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園子温の映画『エッシャー通りの赤いポスト』では、「0が1になる瞬間」という”歓喜”が映し出される
最終的にはとても面白い映画だと感じました。観て良かったです。
ただ、2時間半近くある映画の最初の1時間半ぐらいは、「この映画、ホントに大丈夫か?」と思っていました。何がなんだか分からないし、正直面白くないと感じたからです。
何だか分からないながらも、次第に私は、「『映画の設定』と『映画に出演する役者の境遇』がオーバーラップするように作られているのだろう」と考えるようになりました。なるほど面白いことを考えるものだな、と。しかし、映画鑑賞後に公式HPを見たら、私が想像していた以上に常軌を逸した映画だと判明しました。映画『エッシャー通りの赤いポスト』はなんと、「役者のワークショップと同時並行で撮影された映画」なのです。
なかなか意味不明でしょう。要するにこういうことです。
園子温が「役者のワークショップ」を行うと発表し、多くの参加希望者が集まりました。そんな彼らに与えられたワークショップ用の台本こそが『エッシャー通りの赤いポスト』であり、園子温は、「役者のワークショップ」を行いながら、同時並行で「映画撮影」も進めたというわけです。相変わらず、凄いことを考えるものだと感じました。
映画は、「安子」という登場人物が出てきた辺りから一気に面白くなります。そして映画のラスト、商店街で展開されるロングシーンは、そのあまりのカオスっぷりに思いがけずワクワクさせられてしまいました。そのラストの勢いに引っ張られるようにして心がグングン高揚していき、観終わった時には「なんて映画だ!」という感覚になったというわけです。
「ワークショップと同時並行で映画撮影を行う」というやり方も含め、園子温にしか作れない映画だと感じました。
私は「0が1になる瞬間」に強く惹かれる
今の時代、多くの人が、「失敗したくない」「面白い部分だけ知りたい」と考えて、映画を倍速で飛ばし飛ばし観たり、ネタバレや評価を先に知ってから物語に触れるみたいなことが当たり前になっているそうです。ただ私はその逆で、「予想外のものがとんでもなく良かった」みたいな体験をしたいといつも考えています。また、芸術作品や科学研究など何でも構いませんが、「新しい発想によって既存の常識が打ち破られる」みたいな話がとても好きです。
そういう状況をすべてひっくるめて、私は「0が1になる」と呼んでいます。「存在さえ知らなかった何かが凄い価値を持っていることに気づく」という状況です。そしてできるだけ、そういう瞬間を感じたいと思って私は日々生きています。
以前読んだ伊坂幸太郎の小説に、「ピタゴラスの定理の存在を知らずに、ピタゴラスの定理を自力で導き出した男」が出てきました。「三平方の定理」とも呼ばれ、たぶん中学の数学の授業で習うんじゃないかと思いますが、自力で導き出すのは簡単ではないでしょう。それをこの男は、自ら”発見”したのです。
もちろん、「ピタゴラスの定理」は既に知られているわけで、この男が”再発見”したところで世界は何も変わりません。しかし彼は、まさに「0が1になる瞬間」を経験したと言えるでしょう。私も彼と同じように、そのような経験を多く積み重ねたいと思っているのです。
どうしてそんな話をするのか。それは、私が考える映画『エッシャー通りの赤いポスト』の価値が、まさに「『0が1になる瞬間』を体感させること」だからです。
映画を観ている段階では、「役者がワークショップの参加者である」という事実を私は知らなかったわけですが、「決して上手いとは言えない役者だ」とは感じました。演技の良し悪しなど大して分からない私でも「上手くない」と感じるほど、本職の役者さんと比べるとその演技は見劣りするというわけです。
普通であれば、「演技が上手くない」という要素は、観客にとってプラスになるはずがありません。ただ映画を観ていく内に、私の中で「自分が今目にしているのは『0』なのだ」という感覚が湧き上がってきました。そしてそれは、まさに「0が1になる可能性」を感じさせるものであり、だからこそ私はワクワクさせられたのだろうと思います。
映画に限りませんが、お金を支払って享受するものであれば特に、その中に「0」を見出すことは難しいでしょう。テレビの生放送やSNSの生配信など、「リアルタイム」を売りにするものであれば、その中に「通常であれば編集で取り除かれてしまうもの(=0)」が紛れ込むこともあるとは思いますが、そうでもなければなかなか目にする機会はありません。
あるいは、自主制作映画や同人誌など、商業的な流通に乗らないものであれば、その中に「0」が含まれることもあるでしょう。ただ、商業的な流通に乗らないものはどうしても玉石混交の度合いがより高くなるはずだし、となれば、「0が1になる可能性」を見出すのは難しくなるだろうと思います。
このように考えることで、この映画の真価が見えてくるでしょう。
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