【実話】映画『ディア・ファミリー』は超良い話だし、大泉洋が演じた人物のモデル・筒井宣政は凄すぎる
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凄まじい偉業を成し遂げた筒井宣政の実話を描く映画『ディア・ファミリー』にはとにかく驚かされたし、大泉洋の演技も素晴らしかった
「良い話」だなんてことは分かりきっていたので、正直なところ本作『ディア・ファミリー』を観るつもりはなかった。天邪鬼な性格なのだ。ただ、ちょうど観たい映画が無かったので観てみることにしたのだが、やはりとても良い物語だった。良いに決まってるよ、そりゃあ。何にせよ、これが実話だということに驚かされてしまった。
適切な表現でしかないのだが、しかし、やはり「娘の病気」があってこその”偉業”だと思う
今から書くことはまったくの嘘である。私の本心ではない。筒井宣政はやはり、娘の病気の“お陰”で偉業を成し遂げられたのだと思う。繰り返すが、これは全然本心ではない。
さて、映画を観ながら思い出したことがある。通園バスに取り残された女の子が熱中症で死亡した事件の裁判でのことだ。そして、その判決を伝えるニュースの中で報じられていた、裁判長が被告に向けて言ったという言葉がとても印象に残った。
事件後、保育園やバス会社は一斉に対策を講じた。それ自体はとても良いことである。ただ、より望ましかったのは、死亡事故が起こる前に対策が講じられていることだったはずだ。「尊い命のお陰で、社会が変わった」というのは、一見良い話のようにも聞こえるが、そんなはずがない。犠牲無くして世の中が変わる方がいいに決まっている。
ただそれでも。そういうことはすべて理解した上で、やはりどこかにこんな気持ちが残る。病に冒された娘・佳美がいなかったらきっと、筒井宣政はあまりにも困難な道のりを走り続けられなかっただろう、と。
本作ではラストに、
というような字幕が表示される。たった1人で成したことではないとはいえ、個人が起こした偉業としてはちょっと尋常ではない規模だと思う。しかも筒井宣政は「医療のド素人」だったのだ。そんなわけで彼は、紫綬褒章という形で高い評価を得たのである。
そしてその表彰式へと向かう直前に、筒井宣政が印象的な言葉を口にする場面があった。記者の質問に答える形で、
と言っていたのだ。彼自身もきっと、17万人の命を救ったことを誇らしく感じてはいるだろうと思う。しかしそれでも、「娘を救えなかった」という後悔の方が強いのだ。個人的には、「素晴らしい成果を挙げた人間は誇らしく思っていてほしい」と感じる。ただ、本人が「後悔」を抱いてしまうというのであれば仕方ない。慰めになるかは分からないが、せめて多くの人が彼の偉業を記憶し、感謝の念を抱き続けるべきだろう。
というわけで、そんな凄まじい偉業を成した人物の実話を描く映画についてこれからあれこれ書いていくのだが、先に1つ触れておくことにしよう。本作は実話を基にしているが、登場人物の名前は少し違っている。本作の主人公は、下の名前はそのままで、名字は「坪井」に変わっているし、他の家族もたぶん同様に、下の名前だけ同じなのだと思う。恐らく、「事実をベースにしてはいるが、脚色も含まれている」という意味を含んでいるのだろう。実際、エンドロールの途中で「実際とは異なる部分があります」みたいな記述があったと思う。その辺りのことは頭に入れつつ観ると良いだろう。
「人工心臓」を開発するためのあまりにも長い道のり
本作の予告を観た人は、大泉洋演じる坪井宣政が娘に「お父さんが人工心臓作ってやるからな」と言っているシーンを覚えているだろう。本作には原作本があるのだが、私は未読だった。そのため、当然本作は「人工心臓の話」なんだと思っていたのである。そんなわけで映画の冒頭から「人工心臓の話ではない」と示唆される構成であることに驚かされてしまった。ちなみに、映画の最後には「完全な人工心臓は今も開発されていない」という字幕が表示される。
そして本作では、その「困難さ」について随所で説明がなされていた。
映画の前半は次のように展開していく。坪井宣政は人工心臓を開発するために、東京大学の講義に潜り込むなどして勉強を重ね、さらに、自身が経営するプラスチック加工工場に研究所を併設した。とにかくまずは、人工心臓を成形するところから始めなければならない。非常に難しい挑戦だったが、昼夜問わずの研究を続けた結果、彼はなんと、開発に協力してくれた医学生からも「これなら行けます!」と太鼓判を押されるほどのものを作り上げることに成功した。ここまでもすでに様々な困難があったわけだが、その後の困難さに比べれば「とんとん拍子」と言っていいと思う。
さて、問題はここからである。当然のことながら「臨床試験」を行わなければならないのだ。
そのためにはまず、「人工弁」と「人工血管」を用意する必要がある。ただこれらは日本国内では調達出来ず、アメリカから取り寄せるしかない。その金額だけでも2000万円以上。人工心臓の成形のために数千万円する機械を導入しており、既に莫大な金額が費やされている。その上さらに、ここで挙げた数字が可愛く思えるような尋常ではないお金の話になってくる。
さて、「臨床試験」を行うためには、他に何が必要だろうか? まず用意すべきなのは「動物100匹」と「人間60人」である。これだけの数の動物・人に対して臨床試験を行う必要があるのだ。さらに、この臨床試験を管理する者を常勤で雇わなければならないという決まりも存在する。安全性の確認のためには5~6年は臨床試験を行う必要があり、ざっと1000億円は必要という試算になっていた。しかもこれは、1980年代の金額である。現在の価値に換算したらもっと金額は跳ね上がるだろう。もちろん、個人でどうにか出来るレベルのお金ではないわけだが、大学病院や研究所だって単独ではなかなか拠出出来ないだろう。
つまり、「技術力」ではなく「お金」の問題なのである。恐らくこのような事情から、人工心臓は開発されていないのだと思う。技術開発は努力でどうにかなっても、お金はどうにもならない。それこそビル・ゲイツにでも頼むしかないだろう。そのようなハードルが存在することは、少なくとも協力した大学教授は理解していたはずだし、坪井宣政が心血注ぐ前に忠告することも出来たように思う。ただそれはそれとして、「人工心臓を開発できなかった」という想いが「IABPバルーンカテーテルの開発」に繋がるわけで、結果から見れば「人工心臓の開発に挑んで良かった」と言えるのではあるが。この辺りの話も、捉え方が難しいなと感じる。
大学教授の対応にはイライラさせられた
本作では、「お金」だけではない別の問題も描かれる。そしてそちらについては、「仕方ない」などとはまったく思えなかった。
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