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【正義】ナン・ゴールディンの”覚悟”を映し出す映画『美と殺戮のすべて』が描く衝撃の薬害事件

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ドキュメンタリー映画『美と殺戮のすべて』は、薬害事件に端を発した美術館内でのデモを主導した写真家ナン・ゴールディンの生涯を追う作品である

薬害事件をきっかけに始まった「美術館内でのデモ活動」はどのような背景から生まれたのか?

少し前に発覚し、今なお尾を引いているだろう小林製薬の紅麹問題。死者も出す大騒動となり、日本では久しぶりに大きく報じられた薬害事件と言えるのではないかと思う。もちろん、薬害事件とは一般的に「医師が処方した薬による問題」のことを指すはずなので、サプリメントが原因の事件は含まないのかもしれないが、一般の消費者からしたら同じだろう。

さて、本作『美と殺戮のすべて』で扱われている薬害事件はしかし、ちょっと比較にならないぐらいの規模のものだ。なにせ「オキシコンチン」というオピオイド鎮痛薬の一種により50万人以上が亡くなったというのである。そして映画公開時点でも、その被害はまだ広がっているそうなのだ。日本の薬害事件の場合、私がざっくり調べた限りではあるが、死者数が500人を越えるものはほとんどなく、被害者数でも数千人という単位ではないかと思う。もちろん、数が少なければいいという話ではなく、「死者数50万人」というのがいかに比較にならない規模なのかを示したいだけである。何よりもまず、その被害の大きさに驚かされてしまった。

しかし何故、その薬害事件が「美術館内でのデモ活動」に繋がっていくのだろうか? そこには、「オキシコンチン」を開発した製薬会社パーデュー・ファーマの創業者が関係している。創業したのはサックラーという有名な一家なのだが、彼らは「オキシコンチンによって得た莫大な利益」を、美術館・大学など様々な施設に寄付していたのだ。それこそ、誰もが知っている有名な美術館、例えばルーブル美術館やメトロポリタン美術館にも、サックラーの名を冠したスペースが存在する。「サックラー家と言えばアート」と言うぐらい、絶大な影響力を持っているというわけだ。

つまり、「オキシコンチンを作ったサックラー家を美術の世界から追放し、その名声を剥ぎ取る」というのが、このデモの目的なのである。

そして、そんな超巨大資本に立ち向かったのが、写真家のナン・ゴールディンだ。彼女もまた、オキシコンチンの被害者である。「オキシコンチン」は中毒症状をもたらすことが知られており、彼女も処方された薬を飲んだことでその症状に苦しんだのだが、幸いにも命は落とさずに済んだ。そして彼女はその後、そんな自身の経験を「アートフォーラム」という雑誌に語った。

その反響は凄まじかったようだ。そして「アートフォーラム」誌の記事をきっかけにして、彼女は「PAIN」という団体を立ち上げた。「Prescription Addiction Intervention Now:処方薬中毒への介入を今」の略である。そして彼女は、自身もアーティストとして美術館と関わる立場であるにも拘らず、そんな美術館に絶大な影響力を持つサックラー家を相手に真っ向勝負を挑むことにしたというわけだ。これが「美術館内でのデモ活動」に繋がるのである。

その効果は凄まじかった。「彼女たちのデモによってどんな成果が生み出されたか」については本作の後半で取り上げられるので、そういう意味ではそれを明らかにすることはネタバレといえるかもしれない。しかし、実際に起こったことであり、既に報じられていることでもある。さらに、その成果は広く知られるべきことだとも思うので、ここでは触れることにしたいと思う。

「PAIN」のメンバーは様々な美術館内で抗議活動を行ったが、最初の1年間は特に何の反応もなかった。美術界は、ナン・ゴールディンの活動を無視したというわけだ。さて一方で、当時ロンドンのナショナル・ポートレート・ギャラリーがナン・ゴールディンの回顧展を企画していた。そして同館もまた、サックラー家から130万ドルの寄付を受け取っていたのである。

そこでナン・ゴールディンは、「サックラー家からの寄付を拒否しなければ回顧展の開催を撤回する」と通告した。これは相当に勇気ある行動と言っていいだろう。確かに、ナン・ゴールディンはその時点で、「どの美術館も彼女の作品を欲しがる」と言われるほどの地位を獲得していた。しかしそれにしたって、「美術界に甚大な影響を及ぼすサックラー家」との比較となると、美術館としてもやはり躊躇してしまうのではないだろうか。

しかしナショナル・ポートレート・ギャラリーは決断した。サックラー家ではなくナン・ゴールディンを取ったのだ。そして同館のこの決断以降、世界中の美術館が次々に追随した。テート美術館、グッゲンハイム美術館、メトロポリタン美術館などの有名どころが、相次いで「サックラー家からの寄付を拒否する」と表明したのである。またルーブル美術館は他の美術館に先駆けて、館内から「サックラー」の名を消した。ナン・ゴールディンのある意味で捨て身の闘いは、現実に影響を与えたのだ。

そんな凄まじい抗議活動を先導したナン・ゴールディンを追うのが本作『美と殺戮のすべて』である。と書くと、「サックラー家との闘い」がメインの物語であるように感じられるかもしれない。もちろん、軸の1つとしてそれは明確に存在するのだが、本作はどちらかと言えば、「ナン・ゴールディンが歩んできた道のり」を振り返るような内容になっていると言えるだろう。

そして、そちらの話も実に興味深いのである。

ナン・ゴールディンはいかにして「影響力を持つアーティスト」になったのか?

先述した通り、現在ではどこの美術館も彼女の作品を欲しがっているそうだし、本作の公式HPには、「同世代で最も重要かつ影響力のあるアーティストの一人」とも書かれている。私は本作を観るまで彼女の存在を知らなかったが、恐らくアートの世界では知らない者がいないほどの存在なのだと思う。しかし、彼女が作品を発表し始めた当初は、「酷評しかない」というような状況だったそうだ。

若い頃から彼女が撮り続けていたのが「私生活」である。ナン・ゴールディンは昔から様々なアーティスティックな人たちと共同生活を行い、「セックス」と「麻薬」に塗れた日々を送っていたのだという。そしてそんな生活を写真に収めていたというわけだ。別に写真家になろうと思っていたわけではない。単に写真を撮ることが好きだっただけだ。ただ、美術館でのデモ活動を率いている姿からは想像もできないが、若い頃の彼女は内気で、対人恐怖症をさらに悪化させたような状態だったという。そして、そんな状況を写真が変えてくれたと話していた。「カメラ」を手にしたことで初めて「声」が手に入り、そのお陰で「存在価値」を感じられるようになったのだそうだ。

そんな彼女は、「フィルム代を稼ぐ」という目的のために、割の良い仕事をするようになった。ダンサーとして腰を振ったり、あるいは売春宿で働いていた時期もあったそうだ。売春宿で働いていた経験については、本作で初めて語ったと言っていた。「売春への偏見を無くしたいから」だという。そんなわけで彼女は、「奔放な生活をし、その奔放な生活を写真に収める」という日々を過ごしていたのである。

当然、撮った写真を発表するつもりなどなかった。しかしたまたま、彼女が住んでいた辺りでギャラリーがオープンしたり展覧会が開かれたりするようになったという。そして当時は「持ち込み」が基本だった。そこで彼女は、撮り溜めた写真を20枚ほどギャラリーに持ち込んでみることにしたのである。ポートフォリオと呼べるようなものではなく、何なら色褪せたり破れたりしている写真もあったという。

しかし、その写真を見た担当者のマーヴィンはすぐに惹きつけられたようで、彼女は「もっと見せてほしい」と言われた。そこで彼女は、これまで撮り溜めた写真を箱に詰めて持っていったそうだ。ちなみに、その時持ち合わせがなかったのか、「運び賃としてタクシーの運転手にフェラをした」みたいな話をしていた。「私はそんな風にして美術界に潜り込んだの」と語る彼女は、まさに「アウトサイダーの極み」みたいなところから世に出てきたというわけだ。

しかし、そんな風にして始まった展覧会は酷評だったという。そこには、今とはまるで違う時代背景も関係していた。当時はまだ、「女性は優れた芸術家にはなれない」みたいなことが平然と語られていたのである。また、男性の評論家や美術商からは、「私生活の撮影は芸術にはならない」とも言われていたそうだ。今どの程度改善されているのか知っているわけではないが、少なくとも一昔前のアートの世界はこんな有り様だったのである。

とはいえ、拒絶反応を示したくなる気持ちも分からないではない。というのもナン・ゴールディンは、「セックスの様子」も撮っていたからだ。当初は「共同生活をしている人たちのセックス」を撮っていたのだが、友人から「展示として使うのは止めてほしい」と言われてしまった。まあ、当然だろう。そのため彼女は「自分がセックスをしている様子」を写真に収めるようになったと言っていた。まさに「私生活そのもの」を撮り続けていたというわけだ。そんな彼女は当時について、「過激なものが受け入れられない時代だった」と表現していた。

また、「受け入れられなかった」という繋がりで言えば、こんな話もある。ナン・ゴールディンがそれなりにキャリアを重ねてからの出来事だ。その当時、アメリカではエイズが大問題になり始めていた。

その頃の彼女は、薬物依存のために隔離入院させられていたのだそうだ。もちろん、友人たちもと会えなかった。しかし彼女は、「入院が終わったら、また元の場所に戻ってそれまでと変わらない生活が出来るだろう」と考えていた。まあ、これは当然の感覚だろう。

しかし残念ながらそうはならなかった。友人たちの多くが、若くしてエイズで命を落としてしまっていたのである。奔放な生活をする者が多かっただろう彼女の周りには、エイズ患者がより多くいた可能性もあるだろう。しかしこれは決して、狭い範囲の問題などではなかった。というのもアメリカの場合、日本とは保険制度が違うこともあり、「エイズだと分かっても、保険に入っていないせいで治療を受けられない」みたいな問題が多発していたのである。そのため、政治を巻き込んだ社会問題にさえ発展していたのだ。

そのような状況下でナン・ゴールディンは、「エイズ」をテーマにした展覧会を企画することにしたのである。「エイズ」をテーマにしたアート作品など、当時前例がなかったそうだ。そしてそのことも関係しているのだろう、展覧会の準備を進めていく中で、「NEA(全米芸術基金)からの助成金が撤回される」という話に発展していくのである。「アートに前例主義を持ち込んでどうするんだ」と私は感じるが、それほど社会問題化していたと捉えるべきなのだろう。

この時は、彼女の企画そのものも問題視されたわけだが、実はそれ以上に、彼女が友人に依頼して書いてもらったパンフレットの序文の方が大騒動を引き起こしていたようだ。しかしいずれにせよ、ナン・ゴールディンが生み出すアートは論争を引き起こすことが多かったそうである。そしてそんな彼女が、今では「どの美術館も欲しがる」と言われるアーティストになっているのだから、まさに「時代が彼女に追いついた」という感じなのだろうと思う。

さて実は、本作中に「時代が追いつく」に近い表現が出てきたので、ちょっと紹介しておくことにしよう。どちらも、「こんな生き方が出来たらいいだろうな」と感じさせるものである。

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