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【逃避】つまらない世の中で生きる毎日を押し流す”何か”を求める気持ちに強烈に共感する:映画『サクリファイス』(監督:壷井濯、主演:#青木柚)

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「つまらない日常を押し流す何か」を、いつでも求めてしまっている

映画を観る前にきちんと理解していたわけではありませんが、この映画は、立教大学の学生が撮った映画なのだそうです。

そんな映画だと、まったく想像してもいなかったから驚きました。「大学生が撮ったにしては凄い」なんていう話ではまったくなく、映画としてとても好きです。

立教大学には、映画製作に関する学科が存在するらしく、プロの映画監督が教壇に立ち講義を行います。実際に、プロの映画監督も輩出しているとのこと。この映画は、「第一回立教大学映像身体学科研究室スカラシップ作品」として作られ、映画賞を受賞し、映画館で公開されるまでになりました。

映画が生まれたきっかけは、宿題だったそうです。映画監督の篠崎誠のゼミで出された「東日本大震災をテーマにした脚本を書く」という宿題が、この映画として結実したとのこと。

そう、この映画は「東日本大震災」をテーマにしているのですが、その扱い方にも驚かされました。その話は、また後で書きましょう。

子どもの頃、台風が来るとワクワクした

子どもの頃、大雨や台風にテンションが上がっていたような気がします。たぶん、「いつもと違う」ということにワクワクしていたのでしょう。子どもの頃は、「台風がどれだけ被害をもたらすのか」なんてことを考えもしないので、無邪気にその「非日常感」に浸っていられる、ということもあります。

大人になった今では、台風やゲリラ豪雨には、めんどくささや恐怖と言った感情が先にきます。出勤で雨に濡れるなとか、窓ガラスが割れないようにしないと、みたいなことを考えるようになるし、土砂崩れや浸水など、甚大な被害をもたらす豪雨が増えているために恐怖も感じます。

だからもう、台風にワクワクを感じられません。でも、いつも「何か」を待っている気はします。

あの時は、何かが大きく変わる気がしたんだよね

登場人物の一人がこう言いますが、この「何か」と同じものを私もいつも待っている気がします。それが何であるのか具体的には分からないものの、自分の「日常」を吹き飛ばすような「非日常感」をもたらしてくれる「何か」を。

だから、こんな叫びにも共感してしまいました。

置いてかないで!私も連れてって!

世の中には、「外的な何か」を待つことなく、自分の力でその「日常と非日常の境界」をひらりと乗り越えてしまう人もいます。私は自分がそういう人間になれないと分かっているからこそ、「境界」を軽々と飛び越えられる人の存在には憧れてしまいますし、同じように「ついていきたい」と思ってしまうでしょう。

「生きること」は「普通に取り込まれること」

こういう感覚を抱いている自分自身に嫌気が差してしまうこともありますが、私は、「生きることは、普通に取り込まれること」だと感じています。

先に書いておくと、私は自分のことを「普通ではない特別な人間だ」などと思っているわけではありません。「普通ではない人間になりたい」とは常に思っていますが、今の自分が特別だと考えているわけでも、特別になりたいわけでもありません。

ただ、「普通」という集合がどうにも好きになれない、というだけのことです。

ただ生きていると、「普通から外れて生きていく」というのはとても難しいことだと感じます。

子どもの頃から、「普通」「当たり前」みたいな感覚に窮屈さしか感じられなかったので、「大人になれば、『普通』から外れられるはずだ」と思うことで日々をしのいでいたはずです。

でも、年を重ねていくにつれて、そうじゃないということに気づくことになります。むしろ、大人になればなるほど、「普通でいること」への圧力みたいなものに取り込まれてしまうのだと実感させられることにもなりました。山奥で孤独に生きていくならともかく、社会の中で他人と関わっていくのであれば、仕方ないことではあるでしょう。

その後私は、自分なりに転落や努力や忍耐を経験して、自分の中で悪くないと思える程度には「普通」と距離を取ることができるようになりました。長い奮闘のお陰で、今では「普通であること」への葛藤をそこまで強く感じずに生きられていると言えるでしょう。

だけど、やはりこんな風にも考えてしまうこともあります。「普通」と適切な距離を取るのにこれほど苦労するなら、何か「外部の力」にサクッと押し流されたかったな、と。自分の意思で「普通」から外れるのではなく、否応なしに「普通」から外れざるを得なかったという方が、結果的には楽だったんじゃないかな、と。

「外部の力」として「東日本大震災」を描く

この流れで「東日本大震災」に触れるのはなかなか勇気が要りますが、まさに本書は、「否応なしに異なる環境に自分を押し出す何らかの外的な要因」として「東日本大震災」が描かれる作品です。

この点についての私の考えを書く前に、映画鑑賞後の舞台挨拶で、福島県出身だという役者が語っていた話に触れたいと思います。
福島出身の方の言葉だからこそ、私とは違ってきちんと重みを感じられると思うので、利用させていただこうと。

これ以降は、ブログ「ルシルナ」でご覧いただけます

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