見出し画像

【実話】株仲買人が「イギリスのシンドラー」に。映画『ONE LIFE』が描くユダヤ難民救出

完全版はこちらからご覧いただけます

イギリスにもユダヤ人を救った”シンドラー”がいた! 映画『ONE LIFE 奇跡が繋いだ6000の命』が描く感動の実話

実に素晴らしい物語だった。もちろん、観る前からそんなことは想像できていたが、「観てよかったなぁ」と感じたし、非常に満足である。ストーリーも素晴らしいが、主演を務めたアンソニー・ホプキンスの演技にも圧倒されてしまった。「実話を基にしていること」と彼の演技によって思わず涙させられてしまったし、描かれている事実は広く知られるべきだとも思う。

本作『ONE LIFE 奇跡が繋いだ6000の命』は何故、2024年に映画化されたのか?

本作の核となる物語は1938年から39年に掛けてが舞台なのだが、主人公ニコラス・ウィントンの奮闘は当初広く知られはしなかった。しかし色んな事情から、1988年に彼が広く注目を集めることになったのだ。そしてその経緯が本作で描かれているのである。

では、そんな実話が何故、2024年に映画化されたのだろうか?

公式HPの記述を元にして書くが、本作はそもそも15年前から企画がスタートしたという。1988年に話題になったエピソードを映画化するにしては、15年前の2009年でも十分遅いように感じるが、まあその点は置いておこう。ニコラス・ウィントンは2015年に106歳で亡くなったそうで、つまり企画立案の時点では存命だったため、まずは彼から映画化の許諾を得た。さらに、ニコラスの娘が父親についての本を出版しているらしく、それを原作にした映画制作の許可ももらったのである(もしかしたら、「原作」の存在が映画化企画始動の大きな要因だったのかもしれない)。そしてその後、長いリサーチを重ね、構想を練り、ようやく映画化に至ったというわけだ。

そのような背景を知った上で観ると、本作が持つ「重み」みたいなものがより強く実感できるのではないかと思う。史実に沿いながら、ニコラス・ウィントンの葛藤を浮き彫りにしていく本作に込められた「熱量」みたいなものが伝わってきて、その内容をより深く受け取れるような気がした。

では、ここで少し本作の設定に触れておくことにしよう。

主人公ニコラス・ウィントンは、映画『シンドラーのリスト』でも知られるオスカー・シンドラーになぞらえて「イギリスのシンドラー」と呼ばれている。イギリスに住んでいた彼は、「チェコでユダヤ人難民が困っている」という話を聞き、すぐさま現地へと飛んだ。そして自らの危険も顧みず、仲間と共に実に669人もの子どもたちをチェコからイギリスへと避難させたのである。しかし、彼らの奮闘は長い間誰にも知られず、そのまま50年の月日が経ってしまった。

そして1938年と1988年の2つの時代を描き出す本作では、「1988年にニコラスが広く知られるようになった経緯」も描き出している。その出来事のお陰で彼は、自分が救った子どもたちと再会を果たすことも出来たのだ。

そんな凄まじい実話を基にした物語である。

「株の仲買人」でしかなかったニコラスは、何故ユダヤ人救助に注力できたのか?

さて、本作を観て個人的に驚かされたのはニコラスの職業だ。彼はなんと、ただの株の仲買人だったのである。難民の支援に以前から関わっていたわけでもなければ、そもそもチェコと直接の関係があるわけでもなかった。にも拘らず彼は、訪れるのは危険だと言われていたプラハへイギリスから単身乗り込み、現地で活動していた難民委員会のメンバーに接触する。そして、「人も金も足りないから出来ることは限られている」と口にするメンバーに対して、「子どもだけでも助けよう」と方向性を示したのだ。

本作を観る限り、ニコラスを難民委員会へと繋いでくれた友人はいたようなので、まったくの飛び込みというわけではなかったようだが、それにしても、難民委員会のメンバーとニコラスが初対面だったことは間違いないと思う。にも拘らずニコラスは、経験などまったくないのに、経験豊富なメンバーが無理だと口を揃える「子どもたちの大量輸送」を「出来ると信じよう」と言って鼓舞し、そして本当に実現させてしまうのだ。とにかく、ニコラスのバイタリティが印象的だった。

では、ニコラスは何故ユダヤ人救助にそこまで全力を注ぐことが出来たのだろうか? この点については、主に2つの要素によって示唆されていた。

1つ目は「母親の存在」だ。ニコラスの母親は、かなり重要な場面で八面六臂の活躍をするのだが、その行動力がなかなか凄まじかった。

ニコラスはチェコでのユダヤ人の窮状を知って単身プラハへと乗り込んだものの、現状を把握した上で、1人では対処不可能だと判断する。だから電話で母親に助けを求めた。そして、息子の頼みを聞いた母親はイギリスの移民局へと向かい、「チェコで困っている難民をイギリスで受け入れられるようにビザを発行してほしい」と直談判したのだ。そもそもだが、まずはこの行動力が凄かったなと思う。

さて、当然と言えば当然だが、母親は門前払いのような扱いを受けてしまった。まあ、普通に考えれば無理な相談だろう。しかし母親は諦めなかった。立ち上がって退席を促す担当者を「話すことがあるから座りなさい」と一喝し、それから身の上話を始めたのである。

母親は元々、ドイツからの移民なのだそうだ。そしてイギリスにやってきた際に、この国の「高潔さ」や「他者への思いやり」に驚かされたのだという。だから自分も、そのようなスタンスで息子を育てた。そんな息子が、今1人でプラハにいる。それは「高潔さ」や「他者への思いやり」を最大限に発揮したからこその行動であり、彼は今まさに、自分の持てる力を振り絞って人助けをしようとしているところなのだ。

そんな風に話した後、母親は続けてこう口にする。

あなたにも、同じことを求めるのは過剰かしら?

この説得が担当者の気持ちを動かしたことでビザ発行への道が開けたわけで、母親の存在は実に重要だった。もちろん、「母親が移民局で長広舌を振るった」というのが事実かどうかは分からない。ただ、「母親の子育てのスタンス」や「母親の協力によりビザ発行の道が開けたこと」は事実なのだろうし、そして、そんな母親に育てられたからこそ、「異国で困っている人たちを見捨てられない」という気持ちにもなったのだと思う。

そしてもう1つは、ニコラスが「子どもたちのリスト」を手に入れるために奔走していた時に出てきた話に関係している。ニコラスは、せめて子どもだけでも救おうと奮闘するのだが、当然、突然やってきたニコラスを信頼できないユダヤ人が多かった。ニコラスは、ビザ申請のために子どもの情報を必要としていたのだが、ほとんどのユダヤ人が、「戸籍簿を無闇に渡したら悪用されるのではないか」と警戒していたのである。

これ以降は、ブログ「ルシルナ」でご覧いただけます

ここから先は

2,970字

¥ 100

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?