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【絶妙】映画『水深ゼロメートルから』(山下敦弘)は、何気ない会話から「女性性の葛藤」を描く

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高校演劇を山下敦弘監督が映画化!映画『水深ゼロメートルから』は、「水のないプール」というワンシチュエーションのみの凄まじく魅力的な物語だ

「高校演劇を映画化した作品」という特殊さ

これはもの凄く面白い作品でした! 観ようかどうしようか決めかねていて、正直観ない可能性の方が高かったので、タイミングを見つけて映画館に足を運んで良かったなと思います。さらに、全然狙ったわけではないのですが、私が観に行った回がたまたまトークイベント付きで、そこでの話も実に面白かったのです。そんなラッキーもあったりして、全体的に得した気分になれました。

さて、本作は「高校演劇を映画化した作品」なのですが、まずはその辺りの説明から始めることにしましょう。

少し前に、『アルプススタンドのはしの方』という映画が話題になったのですが、この作品が実は、高校演劇の映画化第1弾の作品でした。「高校演劇リブート映画化企画」と名前が付いているようで、恐らく『アルプススタンドのはしの方』がヒットしたからでしょう、第2弾の製作が決定し、それが本作『水深ゼロメートルから』というわけです。ちなみに私は、映画『アルプススタンドのはしの方』を観ていません。これも、観るかどうか悩んでいた作品で、結局観ませんでした。いつか機会があれば。

基本的には「高校演劇の全国大会で最優秀賞を獲得した作品を映画化する」という企画のようですが、本作『水深ゼロメートルから』は少し違う経緯を辿りました。というのも、コロナ禍だったからです。『水深ゼロメートルから』という同名の高校演劇は、四国の地区大会で最優秀賞を受賞したのですが、その後コロナ禍のため全国大会の中止が決定してしまいます。

ただ、全国大会は中止になりましたが、運営側から地方予選の最優秀校に対して、「演劇を映像に撮って提出するように」と指示がありました。つまり、「高校生を一同に集めて演劇をやらせるわけにはいかないが、提出された映像を観て最優秀作品を決めようじゃないか」ということになったのです。

さて、ここで演劇部の顧問(トークイベントに登壇した人)が興味深い提案をします。「演劇をそのまま映像に撮っても面白くないよね?」と部員たちを説得し、なんと「『自主制作映画』として映像化して提出する」という道を選んだのです。恐らくですが、この判断が、最終的に「高校演劇リブート映画化企画」として採用されるきっかけになったのではないかと思います。そして同作はその後、商業演劇化を経て、その演劇とほぼ同じキャストで商業映画化され、本作『水深ゼロメートルから』として公開されるに至ったのです。

高校演劇版の脚本は、当時高校3年生だった中田夢花(彼女もトークイベントに登壇した)が書いており、そしてそのまま商業映画版の脚本も手掛けました。現役の大学生ですが、山下敦弘監督と共に映画版の脚本を作り上げたというわけです。

このように本作は、非常に稀有な形で生み出された作品であり、まずはこの点が興味深いと言えるでしょう。制作の裏側に関しては他にも色々と書きたいことはあるのですが、それはこの記事の後半でトークイベントの内容として触れることにします。というわけでまずは、映画の内容を紹介しておきましょう。

映画『水深ゼロメートルから』の内容紹介

物語は、そのほとんどが「水の抜けたプール」で展開される。プールのすぐ隣にはグラウンドがあり、野球部が練習中だ。そしてその位置関係のせいで、プールの底には砂が堆積してしまっている。本作は、そんなプールに集められた者たちが過ごす夏休みの午後のひと時を鮮やかに切り取っていく作品だ。

最初からプールにいたのはミクで、プールの底に立ち、うちわを背中に挟んだ状態で踊ろうとしている。阿波踊りの練習のようだ。そこにチヅルがやってきた。彼女は、キャスター付きの椅子に腹ばいになって、水のないプールで「飛び込んだり」「泳いだり」している。チヅルはミクに「見ないでよ」と声をかけ、同じくミクもチヅルに「見ないでよ」と言う。

次に来たのはココロで、彼女はプールに水が張られていないことを不審がる。そして続けざまに体育の女教師・山本への不満を口にするのだが、ちょうどそこに山本がやってきた。そして彼女の話から、今の状況が理解できるようになる。ミクとココロの2人はどうやら、プールの補習として呼ばれたようなのだ。だからココロは、水が張られていないことに驚いていたのである。

山本は2人に、「プールの底の砂を掃くこと」を命じた。これが「補習」のようだ。ココロは分かりやすく不満を口にするが、ミクは大人しく砂を掃き始める。山本はココロのメイクを咎め、さらに、補習でもないのに何故かプールにいたチヅルに「邪魔しないで下さいね」と口にしてその場を去っていった。生徒の間でも有名なのだろう、彼女はかなり厳しい教師のようである。

こんな風にして、「黙々と砂を集めるミク」「ミクに任せてサボり続けるココロ」「水のないプールで“泳ぎ続ける”チヅル」という3者の奇妙な状況が生み出されていく。そして彼女たちは、それぞれのスタンスを貫きながら、「同じ場所にいなきゃいけないから仕方なく」ぐらいのテンションで会話を続けていくというわけだ。

さてその後、水泳部を引退した元部長のユイ先輩が姿を見せたことで、チヅルに関して新たな情報が明らかになる。チヅルは水泳部の現部長で、さらに今日は男子のインターハイが行われているらしいのだ。つまりチヅルは、応援をサボってここにいるのである。

そんな日に、一体ここで何をしているのだろうか?

とにかく会話が絶妙すぎる

ベースが演劇であることを踏まえれば当然ですが、本作は舞台がほぼ「水のないプール」に固定されています。それ以外の場面もあるにはあるのですが、ほとんど「おまけ」と言っていいレベルで、基本的に舞台は変化しません。そのため、「本作では『水のないプールでどのような会話が展開されるのか』に焦点が当てられている」と言っていいと思います。

そして、その会話が絶妙に面白かったのです。

彼女たちの会話は、客観的に捉えれば「中身も意味も特にない会話」と言えるでしょう。つまり、「女子高生が、退屈な時間を埋めるためにテキトーな会話をしている」みたいな雰囲気が強く出ているというわけです。女子高生が女子高生の会話を描いているのだからそりゃあリアルだろうし、また、トークイベントで語られていた通り、紆余曲折ありつつも高校演劇版から脚本をほぼ変えなかったそうなので、そのリアルさが保たれたまま映画化されていると考えていいでしょう。そしてそんな「女子高生が時間を埋め合わせるためにしているリアルなダルい会話」がもの凄く良かったのです。

まずは何よりも、「ダルい会話である」という点がとてもリアルに感じられました。というのも、彼女たちは普段から仲が良いわけではなく、「たまたまそこにいた(いなければならなかった)みたいな人」でしかないからです。そんな面々が、「何か物語を大きく駆動させるような会話をする」のは不自然でしょう。だから「会話に意味がない」という要素は、本作においては非常に重要だと言えるわけです。

そして本作では、そんな「ダルい会話」から思いがけない展開がもたらされることになります。この展開が見事だったし、抜群に上手いと感じました。しかも、その「思いがけない展開」によって、4人のキャラクターの輪郭がよりはっきりしていきます。物語が始まった当初はまだぼんやりしていたそれぞれのキャラクターが「思いがけない展開」によって際立ち、さらにそのことによって物語に新たな展開が生まれることにもなるわけです。

このように、「何でもない無意味な会話」を起点に物語を立ち上げ、それによってストーリーやキャラクターを際立たせていく更生が見事だと感じました。

「女として生きること」に焦点が当てられていく

さて、その「思いがけない展開」については書いてしまおうと思います。こんな但し書きをするのは、この点に触れることが私の中での「ネタバレ基準」に抵触するからです。私は普段、自分なりの基準に従ってネタバレをせずに感想を書いています。そして、本作の「思いがけない展開」に触れることは、私の普段の感覚からすると「ネタバレ」に感じられるというわけです。ただ、この点に触れずに本作の良さを紹介するのはとても難しいので、今回は書くことにします。

これ以降は、ブログ「ルシルナ」でご覧いただけます

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