見出し画像

【感想】映画『正欲』に超共感。多様性の時代でさえどこに行っても馴染めない者たちの業苦を抉る(出演:稲垣吾郎、新垣結衣、磯村勇斗 原作:朝井リョウ 監督:岸善幸)

完全版はこちらからご覧いただけます


桐生夏月(新垣結衣)と佐々木佳道(磯村勇斗)の2人に共感しかなかった映画『正欲』。細部の細部まで「彼らと同じ世界を生きている」と感じさせられた凄まじい作品

本当に凄まじい作品だった。最初から最後まで「わかるーーー!!!」って言葉しか出てこないぐらい、描かれる葛藤に共感させられたのである。特に、メインで描かれる2人、新垣結衣演じる桐生夏月と磯村勇斗演じる佐々木佳道には、「私も同じだ」という感覚しか抱けなかった。本当に、世界中の人にこの映画を観てもらった上で、「私は桐生夏月や佐々木佳道みたいな人間なので、そこんとこよろしく」と言って自己紹介を終わらせたいと思うぐらい、彼らが抱く息苦しさが私には刺さったのだ。心の底から「観て良かった」と思える1作だった。

「人間でいることがダルい」という、昔から抱いていた感覚

予告でも使われているが、佐々木佳道が普段から抱いている次のような感覚を、心の声としてナレーションするシーンがある。

誰にもバレないように、無事に死ぬために生きてるって感じ。

このセリフだけで、「あぁ、分かるなぁ」と一気に共感させられてしまった。

私は昔からずっと、「人間でいることがダルい」と感じ続けている。本作『正欲』のキーワードの1つが「擬態」なのだが、今の私はこの「擬態」の能力が昔と比べればかなり高いので、最近はその「ダルさ」が日常を侵食するようなことはない。ただ、あくまでも「意識に上りにくくなった」というだけに過ぎず、私自身は本質的には何も変わっていないはずだ。今だって、自分の心を深掘りしてみれば、「人間でいるのってダルいよなぁ」という感覚を容易に見つけられる。とはいえ、死ぬのもなかなか難しい。そして、なんやかんや生きていないといけないのであれば、出来るだけ「不愉快」を避けて通りたいものだし、そういう経験が積み重なることによって「擬態」の能力が高まったとも言えるかもしれない。

しかし、「人間でいることがダルい」という感覚はなかなか理解しにくいのではないかと思う。私としても正しく理解してもらえる気がしないので、ここで少しあるドラマの話をすることにしよう。多部未華子ら4人が主演を務めた『いちばんすきな花』である。その中で、「今田美桜演じる役の女性が学生時代に、保健室の先生にある相談をした」という話になる場面があった。その相談内容が、「女の子でいるのが辛い」である。これは別に「心が男だから男として生きたい」とか「女の子のことが好きだから男の子でいたかった」みたいなことでは全然ない。ドラマ内で詳しく説明があるわけではないのだが、恐らく「『1人の人間』として見てくれればいいのに、常に『女』という性で捉えられるし、そのことが不自由だし納得できない」みたいなことなのだと思う。

私が言っている「人間でいることがダルい」も、これに近いものがある。別に「死にたい」とか「猫のように生きられれば良かったのに」みたいなことを言っているのではない。そうではなくて、「自分が望んだわけでもないのに、勝手に『人間』という役割が押し付けられているのが不自由だし納得できない」みたいな感覚なのだ。

しかしこのような感覚は、なかなか普通には伝わらない。ドラマ『いちばんすきな花』に話を戻すと、保健室の先生に相談した彼女は後悔することになる。というのも先生は彼女に、「Lは◯◯で、Gは◯◯で……」とLGBTQの定義の話をし始めたからだ。彼女が「そういうことじゃないんです」と言うと、今度は「男の子のことが好き? 女の子のことが好き?」と聞かれてしまう。多部未華子演じる役の女性が、「どうして恋愛の話と結び付けないと理解できないの?」みたいな反応をするのだが、まさにその通りだと思う。彼女の相談は恋愛とはまったく関係のないものなのに、そのことがまったく伝わらないのだ。

そのため、今田美桜演じる役の女性は、「あぁ、この人には話が通じないんだな」と判断し、それからは相談するのを止めたという話をしていた。

『いちばんすきな花』は共感する場面ばかりで、この「保健室の先生に相談した話」にももちろん共感させられたのだが、本作『正欲』を観て改めてこのシーンを思い出したというわけだ。

私も「この人には話が通じないな」と感じることはよくある。というか、人生そんなことばかりだった。「人間でいることがダルい」みたいな話も、直接そんな風に言うわけではないが、例えば「あーつまんない」「日常がダルいなー」みたいに変換して口にしてみたりする。そういう時に、「色んなことに挑戦してみたら、楽しいことも見つかるって」「身体動かしたら、モヤモヤした気分もパーッと発散できるよ」みたいに言われると、「そういうことじゃねぇんだよなぁ」と感じてしまう。そして、「まあ、普通伝わるわけないから仕方ないよね」と考えて、話すことを諦めてしまうのだ。

桐生夏月も佐々木佳道も間違いなく、このような「伝わるわけないよね」「そうじゃねぇんだよなぁ」という感覚を抱かされることの連続だったと思う。私は決して、桐生夏月・佐々木佳道の2人と何か分かりやすい共通点があるわけではない。というか恐らく、ほとんどの場面で「違い」の方が際立つ可能性もあるだろう。それでも、「きっと同じ感覚を抱き続けてきたはずだ」という点で私は彼らの生き方に共感するし、その葛藤が理解できているつもりにもなるというわけだ。

これほどのレベルで何かに共感できるのは、私には相当珍しいことである。

「普通の世界」にはどうしても馴染めない

映画『正欲』の中で最も好きだったのは、先程触れた「誰にもバレないように、無事に死ぬために生きてるって感じ」というセリフ(心の声ではなく、彼が実際にそう口にするシーンもある)から始まる、佐々木佳道と桐生夏月のやり取りである。会話は「佐々木佳道に彼女がいた」という話から始まり、それに対して彼が、「『もう1回だけ頑張ってみよう』と思って努力してみたけど、やっぱり『人間とは付き合えない』って結論になった」と返す。それに続けて桐生夏月が、彼を肯定するようにして、

命の形が違っとるんよ。

地球に留学しとるみたいな感覚なんよ、ずっと。

と応じるという形で進んでいく。彼女はとにかく、佐々木佳道が語る話にずっと共感し続けるのだ。

さらに桐生夏月が、次のようなことを言う。

自然に生きられる人からしたら、この世界はとても楽しい場所なんだと思う。私だったら傷ついてしまうこと1つ1つがたぶん全部楽しくて、私も、そういう目線でこの世界を歩いてみたかった。

そしてそれに対して佐々木佳道が、

自分が話してるのかと思ってびっくりした。

と返すのである。

このシーン、実は私も同じようにびっくりしていた。というのも、桐生夏月が話す内容すべてについて、私も佐々木佳道と同様、「自分が話してるのかと思ってびっくりした」からだ。そう、桐生夏月も佐々木佳道も私も、とにかく「普通の世界」には全然馴染めないのである。

これ以降は、ブログ「ルシルナ」でご覧いただけます

ここから先は

7,468字

¥ 100

期間限定!Amazon Payで支払うと抽選で
Amazonギフトカード5,000円分が当たる

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?