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【実話】「更生」とは何かを考えさせられる、演劇『ゴドーを待ちながら』を組み込んだ映画『アプローズ、アプローズ! 囚人たちの大舞台』

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実話を基にした、「囚人による演劇」を扱った映画『アプローズ、アプローズ!』は、「更生」について考えさせる作品だ

これは非常に興味深い映画だった。しかも、映画の結末まで含めて「実話を基にしている」という点が凄まじい。実際に起こった出来事だというこの映画のラストの展開は、完全なフィクションではなかなか描きにくいだろう。「こういうことがかつて実際に起こったことがある」という情報込みだからこそ成立する、ちょっと信じがたい展開だと思う。

また、実話を基にしているからだろう、物語の細部に余白がある。フィクション的に状況を説明し尽くすのではなく、「どうしてこんなことになったのか分からない」という描かれ方になっているのだ。この点もリアリティを感じさせる構成でとても良かった。

全体的には「良い話」とはまとめにくい物語なのだが、しかし一方で、「良い話」と受け取りたくなってしまうような気持ちにもなる作品だ。「犯罪者の更生とは、一体何を指すのか?」というとても大きな問いが含まれていることも併せて、とても興味深い物語だと感じた。

戯曲『ゴドーを待ちながら』が組み込まれている理由

映画『アプローズ、アプローズ!』には、サミュエル・ベケットが書いた戯曲『ゴドーを待ちながら』が組み込まれている。この点が最大の特徴だと言っていいだろう。作中でなされる説明によれば、サミュエル・ベケットは「20世紀の偉大な劇作家」だそうだ。「だそうだ」と書くぐらい、私は演劇に詳しくないし、もちろん『ゴドーを待ちながら』を観たことも読んだこともない。しかし、そんな私のような人間でも、本作を観る分には問題はないので安心してほしい。

『ゴドーを待ちながら』という物語の核は、「待ち合わせ場所に全然やってこないゴドーを、みんなで待つ」という点にある。というか、私は『ゴドーを待ちながら』についてこれ以上の情報を持ち合わせていない。しかしこの「待つ」という点が、映画のある要素と重なるように構成されていることは理解できたつもりだ。

本作は、「囚人が刑務所内で演劇を行う」という設定の下で展開される物語である。そして、囚人に演劇を教えることになった売れない役者エチエンヌは、彼らを見て「囚人は『待つ』存在だ」と捉えるのだ。実際、映画の中で囚人たちが、「いつも待ってばかりだ」みたいなことを口にする場面もある。面会にしても食事にしても清掃にしても、囚人は常に「待つ」ことしかできない。

そんな「待つこと」が日常生活に否応なしに組み込まれた囚人が『ゴドーを待ちながら』を演じれば、「全然来ないゴドーを待つ」という物語の不条理さが、より観客に伝わりやすくなるのではないか。エチエンヌはそのように考え、彼らに『ゴドーを待ちながら』を演じさせることにしたのである。

しかし、この物語に『ゴドーを待ちながら』が組み込まれている理由はそれだけではない。実はエチエンヌ自身が『ゴドーを待ちながら』に囚われているのだ。

エチエンヌはかつて、役者として『ゴドーを待ちながら』の舞台に立ったことがある。演劇の世界に詳しいわけではないが、「20世紀の偉大な劇作家」であるサミュエル・ベケットの傑作に出演できることは、舞台役者にとってはかなりの栄誉なのではないかと思う。

しかし彼は、すっかり落ちぶれてしまった。「刑務所で囚人相手に演劇を教える」ぐらいしかやることがない日の当たらない役者なのである。つまり『ゴドーを待ちながら』はエチエンヌにとっての「過去の栄光」でもあり、「囚人に演じさせることによって、自分も何とか復活を果たしたい」みたいな思惑を抱いているのだろうと想像できるというわけだ。

このように本作は、「『ゴドーを待ちながら』に囚われた売れない役者が、『待つこと』だけが日常に組み込まれた囚人たちに『ゴドーを待ちながら』を演じさせる物語」なのである。さらにそこに「更生とは何か?」という問いを混ぜ込んでもいるのだ。シンプルに展開を追っていくだけでも十分楽しめる作品だが、色々と考えさせる物語でもある。

映画の内容紹介

エチエンヌはある日、刑務所で囚人に演劇を教える講師の仕事を得た。刑務所長がかなり尽力し、刑務所内で文化事業を行う許可を取り付けたのだそうだ。

しかし、発表は2週間後に迫っている。エチエンヌは、「とりあえず何でもいいから、体裁だけ整えてくれ」と頼まれたため、5人の囚人を起用して、「どうにか演劇と言えなくもない」という公演を終わらせた。

その後エチエンヌは、ふとあるアイデアを思いつく。そして、劇場を経営している友人のステファンに、「休演にしている月曜日を貸してくれ」と頼み込んだ。彼は、先の演劇で起用した5人を再び集め、『ゴドーを待ちながら』の公演を行おうと考えたのである。

そこには、「現状を脱したい」という想いも少なからずあった。

エチエンヌは、ステファンと同じ芸術院を卒業したのだが、順調に劇場経営を行っているステファンとは違い、俳優の道を選んだエチエンヌには3年間も仕事がない。別居中の妻も舞台役者なのだが、漏れ聞こえる話によれば、どうやらハマり役を得て大いに活躍しているそうだ。時々会う娘からも、心配しているのか蔑んでいるのかよく分からない視線を向けられる始末。

そんなわけで、「上手く行けばこの現状を、囚人たちと共に変えられるかもしれない」と考えたのである。

エチエンヌはステファンに、半年後に公演を行うことを約束した。それから彼は刑務所に通い、練習時間を早く切り上げさせようとする刑務官や、どうにも協力的になってくれない刑務所長らと闘いながら、囚人たちによる『ゴドーを待ちながら』を完成させようとする。

しかし当然のことながら、役者は全員囚人なのであり、だからこそトラブルも絶えない。予期せぬ問題続きで、演劇どころではない状況に陥ってしまいもする。それでもエチエンヌは粘り強く演技指導を続け、ついに公演の日を迎えるのだが……。

とにかく衝撃的だった「ラストの展開」


映画館でしか映画を観ないと決めている私は、この『アプローズ、アプローズ!』の予告映像を劇場で何度も目にした。予告では最後に、

ラスト20分。感動で、あなたはもう席を立てない!

と表示される。私は正直、このような煽り文句が好きではない。本や映画の感想を書いているこの「ルシルナ」というブログでも、なるべくそういう煽るような書き方はしないようにしているつもりだ(作品によるが)。どうして好きになれないのかと言えば、「鑑賞時のハードルがグンと引き上がる」からである。「煽り文句からなんとなく想像していた衝撃度」を超えることなどまずない。「確かに驚くようなラストだったが、そんなに煽って期待させるようなものでもない」と感じることが多いのだ。かなり上手くやらないと逆効果になってしまうやり方だと言えるだろう。

これ以降は、ブログ「ルシルナ」でご覧いただけます

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