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【狂気】群青いろ制作『雨降って、ジ・エンド。』は、主演の古川琴音が成立させている映画だ

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古川琴音主演映画『雨降って、ジ・エンド。』は、嫌悪感にさえ変わってしまいかねない感覚をギリギリのところでコントロールしている、実に挑戦的な物語だった

いや、ホントに、「ちょっととんでもないところに突っ込んでいくな」と感じました。物語を最後まで追うと正直、「面白かった」とはなかなか言いにくいかもしれません。特に男の立場だとなおさらでしょう。

ただ、「そういうことは自覚していますよ」というエクスキューズをした上で、敢えて言いたいと思います。

メチャクチャ面白かった!

ちょっとウルッとしてしまう場面もあったりして、思っていた以上にグッと来た作品です。まさかそんな作品だなんて想像もしていなかったので、本当にビックリしました。

『雨降って、ジ・エンド。』の内容紹介

派遣社員として働きつつカメラマンを目指している日和は、セルフポートレートが撮りたくて写真の道へと足を踏み入れた。しかし、プロのカメラマンに作品を見てもらっても評価されず、コンクールもまぐれで入賞したことがあるぐらい。自分でも何をどうしたらいいのかさっぱり分からないのだが、しかしそれでも、写真を撮る日々を続けている。

そんなある日、突然大雨が降ってきたため、カメラを守ろうと近くの店に飛び込んだ。閉店しているのか誰もいない店内で雨宿りさせてもらおうと思ったのだが、日和はふと人の気配を感じた。何となくの方向に向かって話しかけてみると、やはり声が返ってくる。そんなわけで、雨宿り仲間として姿の見えないその異性と話をしていたのだが、しばらくして「ピエロのようなメイクをした男」が姿を現した。そのあまりに異様な風貌に驚かされてしまい、思わず写真を1枚撮った後、慌てて店を出たのである。

その1枚が、なんとネットで大バズリした。これはチャンスなんだろうか? しかし、これを次に活かすにはどうしたらいいだろう。そんな話を、派遣先の先輩・栗井さんとしている中で、「そのピエロを探し出して被写体にしたら、またバズるんじゃない?」と言われた。なるほど、確かにそれは良いアイデアかもしれない。

そんなわけで日和は、早速ピエロを探しに行くことにし、そしてすぐに見つかった。どうやら彼は、普段からピエロの格好をして街中で風船を配っているようなのだ。日和はそんな彼に恐る恐る「モデルになってほしい」とお願いした。ピエロは雨森と名乗り、そして、スマホも何も持っていないからと、マジックで自宅の住所を書いた風船をくれたのである。風船には何故か、50円玉が結わえられていた。

こんな風にして日和は、街中で彼を撮影したり、雨森の家を訪れたりするようになる。もちろん、あくまでも「写真の被写体」としての関わりだ。栗井さんと雨森の話をする際には、「気持ち悪いけど、バズるために利用しよう」「お金も盗んじゃえば?」みたいな話さえしていたほどである。

しかし日和の中で少しずつ、雨森に対する感覚が変わっていく。ピエロの写真がネットで多少バズるようにはなったものの、派遣社員としてつまらない仕事をしている日常に変わりはない。そんなにっちもさっちも行かない日々の中で、世間一般から外れた雨森との関わりが次第に大事なものに感じられていき……。

「『日和と雨森が仲良くなる』という設定にリアリティを感じられるか」が作品成立の大きな鍵となる

さて、本作においてはまず何よりも、「『日和と雨森が仲良くなる』という設定にリアリティがあるか」が肝になるでしょう。この設定にリアリティを感じてもらえなければ、本作は大失敗だと言っていいと思います。

日和は、栗井さんとの会話の中で「30前の女子」という言い方をしていたはずなので、28歳前後ではないかと思います。一方の雨森は、どこからどう見てもオジサンです。イケオジでもないし、日和の前でおならをしたりもするし、体型も全体的に緩んでいる感じで、どこからどう見ても「オジサン」でしかありません。そしてやはり、「そんな2人が仲良くなる」というのは、ちょっとリアリティに欠けると感じられるのではないでしょうか。

ただ、あくまでも私の個人的な感覚ですが、日和と雨森の関係性はメチャクチャ成立していたと思います。人によって感じ方は違うでしょうが、私は「リアリティのある関係性」だと感じたのです。そして、その最大の要因はやはり、日和を演じた古川琴音にあると思っています。

古川琴音の何がそうさせるのかは正直よく分かりませんでした。ただ、日和の見え方として絶妙だったのは、「一般的な人とは少し違う興味・関心を抱きつつ、全体的には『フツー』の範囲内に留まっている」という点です。その辺りのバランスはとても見事だと感じました。

まず本作の展開においては、「全然知らないおじさんの家に行く」というハードルがあります。確かに日和には「バズらせたい」という動機があったわけですが、それにしたって「全然知らないおじさんの家に行く」のはハードルが高すぎるでしょう。というか、仮に日和自身がそこに困難さを抱いていなかったとしても、観客がそう感じてしまったら、日和の行動にリアリティを感じられなくなってしまうはずです。

そのため、日和は「変わった興味・関心を持っている人」という風に見えないと、なかなかこの行動がリアルには映らないだろうと思います。

しかしその一方で、「日和は『フツーの人』でなければならない」という制約もあります。というのも、雨森の方が「フツーではない人」という風に描かれているからです。雨森だけではなく、日和も「フツーではない人」という見られ方になってしまえば、観客が物語についていくことは難しくなるでしょう。物語の構造的には、「観客は、『フツーの日和』視点で『フツーではない雨森』を追う」という形になっている必要があるし、だからこそ日和は「フツー」の範囲内に留まっていなければならないことにもなるのです。

そんなわけで、本作『雨降って、ジ・エンド。』は、日和が「ちょっと変わってるけど、『フツー』の範囲内には収まる」という感じでなければ成立しないと私は感じました。そしてこれは、かなり難しいんじゃないかと思います。

そして本作では、そんな日和を古川琴音が絶妙に演じていると思うし、だからこそ作品が成立しているのだと感じました。

「私の他人か何かのつもり?」というセリフの凄まじいインパクト

本作は決して長くない物語だし、さらに「日和と雨森が仲良くなること」は物語の前提となる展開でもあるので、割と早い段階で2人の関係は良い感じになっていきます。普通ならこれもリアリティを欠きそうな描写ですが、やはり古川琴音が上手いですね。展開としては、「最初は分かりやすく嫌悪感を抱いている」というところから始まり、次第に「まだ気を許してはいないが、ポーンと垣根を飛び越えた雰囲気」になり、さらにそれから「メチャクチャ気を許していく」みたいな感じになっていきます。

さて、そんな日和と雨森の関係性が伝わってくる印象的なセリフがあったので紹介しましょう。雨森が日和にちょっと距離を感じさせる言葉を口にした後で、日和がこんな風に言う場面があるのです。

私の他人か何かのつもり?

正直、すぐには意味を捉えることが出来ませんでした。「そういうことか」と理解するのに、一瞬間が空いたことを覚えています。

この「私の◯◯か何かのつもり?」という表現は、一般的には、例えば「私の恋人か何かのつもり?」みたいに使うでしょう。まるで恋人同士であるかのような振る舞いをしてきた相手に対して、「私たち、そんなに近い関係だっけ?」と突きつける言葉というわけです。◯◯の部分には普通「親しい関係性」が入り、「そんなに親しくないよね」と伝える意図で使われるだろうと思います。

しかし日和は、その「親しい関係性」が入るはずの場所に「他人」という言葉を入れて使っているのです。こうすることで、意味がまるきり反転します。つまり、「私たち、そんな遠い関係だっけ?」という意味になっているのです。

本当にあまりにもサラッと出てきたセリフで、そしてだからこそ、「そんな言葉をサラッと言えるほどの関係性なんだ」という実感を与えられているとも感じました。映画でも小説でも、なかなか「ワンフレーズ」を覚えていることは多くありませんが、このセリフは一生忘れないような気がします。

「ある展開」以降の物語は、一体どのように受け取られるのだろうか?

さて、ここまででちょいちょい書いていますが、本作は後半で「ちょっととんでもない展開」になります。そしてだからこそでしょう、そこに至るまでの構成は、かなり共感度の高い物語に仕上がっていると感じました。

これ以降は、ブログ「ルシルナ」でご覧いただけます

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