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【あらすじ】嵐莉菜主演映画『マイスモールランド』は、日本の難民問題とクルド人の現状、入管の酷さを描く

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ろくでもない国・日本を象徴する「難民問題」を、フィクションでリアルに描き出す映画『マイスモールランド』の衝撃

私は日本の難民問題を扱った映画が公開される度になるべく観るようにしている。これまでにも、『東京クルド』『牛久』『ワタシタチハニンゲンダ!』などのドキュメンタリー映画を観てきた。

恥ずかしながら私は、日本にいる難民が置かれた状況についてほとんど何も知らなかったので、映画『東京クルド』を観て衝撃を受けた。日本というのはこんなクソみたいな国だったのか、と。

そして、そんな日本の現状をフィクションで描き出すのが映画『マイスモールランド』だ。ドキュメンタリー映画はちょっとハードルが高いという方にオススメしたい。この映画を観るだけでは、決して、日本に住む難民を取り巻く制度や仕組みについて理解できるわけではないが、彼ら彼女らがどれほど悲惨な状況に置かれているのかを知ることはできるはずだ。

日本に逃れてきた難民が置かれている状況。そして、『東京クルド』『牛久』などのドキュメンタリー映画との比較

映画『マイスモールランド』はフィクションであり、主に「人間の感情」に焦点が当てられている。だから、この映画だけを観ても、「難民がなぜ刑務所のようなところに収監されているのか」や「『仮放免』の意味」、「難民に仕事をする権利が認められていない理由」などは理解できないだろう。それらについては、先に紹介した映画『東京クルド』の記事に詳しくまとめた。映画を観る前でも観た後でも構わないので、一読していただけると、日本が難民に対してどれほど酷いことを強いているのかが実感できるだろう。

『東京クルド』の記事に書いていないことで触れておきたいのは、ロシアによるウクライナ侵攻と少しだけ絡む話についてである。

ウクライナ侵攻が始まって以降、日本政府は「ウクライナからの避難民を受け入れる」と発表していた。このニュースを見て、「なんだ、日本も難民を受け入れているではないか」と感じた方もいるかもしれないが、そうではない。日本政府にとって、「難民」と「避難民」は言葉の定義が違うからだ。

UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)は、「難民(refugee)」と「国内避難民(Internally Displaced Persons: IDPs)」を明確に区別している。前者は「国外に逃れた人」、後者は「避難はしているが国内に留まっている人」という意味だ。そして、このUNHCRの定義に照らせば、戦争を背景にウクライナから日本へとやってきた人たちは「難民」と呼ばれるべきだろう。しかし日本政府は、意識的に「避難民」という単語を使っている。国民に向けて、「あくまでも『避難民』を受け入れるのであって、『難民』を受け入れるのではない」という意思表示をしているというわけだ。

私が以前テレビのニュース番組で見た限りでは、ウクライナからの「避難民」には「期間限定の在留資格」を与えるとされていたと思う。「期間限定」という扱いからも、彼らを「難民」として受け入れる意志がないことが分かるだろう。日本政府は、これほど頑なに「難民受け入れ」を拒んでいるのである。

『東京クルド』の記事の方で詳しく書いているが、日本がどれほど難民を受け入れていないのかについて少しだけ触れておこう。欧米などでは、「申請者数に対する認定数の割合(難民認定率)」が少なくとも20%程度はあるし、国によっては60%近くにもなるのだが、日本はたった0.7%である。これだけでも、日本がどれほど異常なのか、理解できると思う。

さて、私は『東京クルド』や『牛久』といったドキュメンタリー映画を先に観ていたので、映画『マイスモールランド』が「現実」を描いているのだと理解できた。しかしもしも、日本に住む難民の現状を知らないまま『マイスモールランド』を観たとしたら、そうは思えなかっただろう。「これは『現実そのもの』ではなく、『理論上起こり得る状況』なのであり、さすがにこんなことが今の日本で起こっているはずがない」なんて風に考えたかもしれない。というか、「そうであってほしい」と願いたくなる作品だ。

しかし残念ながらそうではない。映画『マイスモールランド』で描かれるのは、紛れもなく「現実」なのだ。私たちが生きている同時代の日本で起こっている、嘘偽りのない「事実」なのである。

エンドロールで、「この物語は、取材を基に構成されたフィクションです」というような文章が表示された。公式HPによると、映画制作のための取材は2年に及んだそうだ。エンドロールではさらに、「顔も名前も出すことができない、日本に住むすべてのクルド人へ」というような表記もあった。決してクルド人だけが苦しい思いをしているわけではないが、日本でクルド人が難民認定を受けた例はほぼないというのもまた事実だ。

ドキュメンタリー映画の場合は、まさに「現実そのもの」を映し出すことができる。やはり「現実」が訴えかけるものはとても強い。しかし、現在進行形で問題が継続している場合、映せなかったり描けなかったりする部分が出てきてしまうだろう。また、取材対象者がどこまで「感情」「本心」を表に出してくれるのかも未知数だ。

そういう意味で、映画『マイスモールランド』にはフィクションなりの価値があると感じた。

『マイスモールランド』が描くのは「現実そのもの」ではない。しかし、だからこそ「人間そのもの」をリアルに描き出せているとも言えるのではないだろうか。

日本の制度は、あまりに酷い。「難民など人間ではない」とでも言わんばかりの仕組みであり、いち国民として承服し難い現実だ。そして、そんな「現実」を「日常」として生きなければならない者たちがたくさんいる。それは本当に、想像を絶する世界のはずだ。働くことを禁じられ、理由もなく拘束され、家族と離れ離れにさせられる。収容施設では劣悪な環境に置かれ、どれだけ申請を繰り返しても難民認定を勝ち取ることはできない。

そんな残酷な「日常」を、この映画はリアルに実感させてくれるのだ。

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