【対話】刑務所内を撮影した衝撃の映画。「罰則」を廃し更生を目指す環境から「罪と罰」を学ぶ:映画『プリズン・サークル』
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「加害者も被害者である」と認めることが、罪悪感の芽生えや更生に繋がっていく
新しい刑務所「島根あさひ社会復帰促進センター」にカメラを入れる
凄い映画だった。よくこんな作品が実現したものだ。
まずは、この映画の舞台となる「島根あさひ社会復帰促進センター」の説明からしよう。2008年に開設された、国内で最も新しい刑務所である。
同所以外にも同様の運営方法を行う刑務所は存在するかもしれないが、映画を観て、まずその仕組みが非常に特殊だと感じた。私は、ミステリ小説や映画などのフィクションを通じてのみ「刑務所」に対するイメージを持っているが、それらとはまったく異なるものだ。
「島根あさひ社会復帰促進センター」は、民間企業が調理や清掃など一部業務を請け負う。監房の自動施錠・解除や機械による自動配膳など、機械化も積極的に導入している。受刑者の管理も独特であり、ICタグを付けたり、館内にカメラを設置することでなんと「独歩」が許可されているのだ。「独歩」とは、刑務官が付き添わずに刑務所内を一人で歩くという意味で、普通の刑務所ではまずあり得ない。
このように、運営上の特殊さがある刑務所だということを押さえた上で、さらに他と違う点がある。それが「TC」というプログラムだ。この映画は、この「TC」を主として撮影したものなのだが、それがなんであるのかは後で説明しよう。
そしてこの「TC」が「島根あさひ社会復帰促進センター」に組み込まれるきっかけを間接的に作ったのが、この映画の監督・坂上香である。「刑務所にカメラを入れる」ことが許可された背景と共にその流れを書いていこう(以下の話は、映画鑑賞後の舞台挨拶で語られた話を中心に構成している)。
坂上香監督による「ライファーズ」という映画が2004年に公開された。これは、アメリカの刑務所における「TC」の実態を映し出したドキュメンタリー映画である。当時監督は、虐待を受けた子どもたちに関心を持っていた。そしてそういう子どもたちは結果として、犯罪に走ってしまうこともある。そのような繋がりから「TC」とも関わいを持つようになっていく。
そして、この「ライファーズ」という映画に感銘を受けた人物が、「島根あさひ社会復帰促進センター」の運営に関わる民間会社の社長である。この社長は、どうにか監督と連絡を取ろうとしたようだ。しかし監督は、「TC」に関心があるだけで刑務所と関わりたいとは思っておらず、逃げ回っていたそうだ。結局社長は、監督を追い回すことを諦めて別の人物と組み、刑務所に日本初の「TC」プログラムを組み込んだ。
このような経緯があるので、坂上香監督の存在が「日本における刑務所内TC」を生み出したと言っていいだろう。
またこの社長は、「TC」の参加者全員に「ライファーズ」を見せていた。監督には無断だったという。そこで監督は、「勝手にそんなことをするなら、刑務所内を撮る許可を下さい」と交渉、10年に及ぶやり取りを経て、刑務所内にカメラを入れ長期密着するというドキュメンタリー映画が実現することとなった。
この映画の撮影スタッフには、以下のようなルールが課された。
「TC」の歴史と、「島根あさひ社会復帰促進センター」内での実践
それでは「TC」の説明をしていこう。
「TC」は「セラピューティック・コミュニティ(Therapeutic Community)」の略であり、「回復共同体」という意味だ。欧米では1960年代から徐々に取り組みがスタートした、薬物依存者や犯罪者向けのプログラムである。コミュニティのメンバー同士が対話することによって相互に影響を与え合い、それまで持っていなかった価値観を身につけたり、新しい生き方に気づいたりすることが目的とされている。
つまり、「TC」の中心にあるのは「対話」である。
「島根あさひ社会復帰促進センター」で「TC」が採用されたのには、ある法改正も関係している。刑務所での「指導改善(教育)」が2006年に義務づけられたのだ。それまで刑務所は「罰を与える場」でしかなかったが、この法改正によって「罰を与える」以外の機能も求められるようになったのである。それを受けて「島根あさひ社会復帰促進センター」で「TC」が導入されることになった。
「島根あさひ社会復帰促進センター」では、希望する者のみが「TC」に参加できる。強制ではない。ここには、初犯、あるいは犯罪傾向が進んでいない受刑者が収容されているが、犯歴は様々だ。窃盗・詐欺から、性的暴行・傷害致死まで多岐にわたる。彼らの多くは当然「懲役刑」なので、刑務作業が義務づけられている。しかし週に12時間はそれが免除され、「TC」の対話が行われる。
「TC」を運営するのは社会復帰支援員と呼ばれる人たちだが、彼らは民間企業に所属している。刑務官とはまた違う存在ということだ。彼ら支援員は、受刑者(TCにおいては「訓練生」と呼ばれるが、この記事では受刑者で統一する)に何か強制したりはしない。何をどういう設定で行うのかを決めるのは支援員だが、「それでは始めます」となってからは、基本的に受刑者に任せる。
支援員がとにかく腐心していることは、「いかに話をしてもらうか」である。
支援員は、「あれをしろ/これをするな」とか、「それは正しい/正しくない」みたいなことは一切言わない。受刑者たちに、今思っていること、考えていること、感じていることをどうやって素直に話してもらうかをとにかく考えている。「話しやすい場」を作るための存在なのだ。
この、「何を話しても否定されない」という心理的安全性が担保された空間は重要だ。そういう空間だからこそ、受刑者たちはそれまで口にしたこともない感情を吐き出すことになるし、そのことによって彼らが「加害者として罪の意識を抱くようになるプロセス」は、素晴らしいと感じた。
誰も自分の話なんて聞いてくれなかった
受刑者の一人が、まさにこのような感覚を吐露していた。自分が何か話をしても否定されることばかりだったし、ちゃんと人間として扱ってもらえたことなんてなかった。普通の刑務所では番号で呼ばれ、やはり人間ではない扱いをされるし、そんな経験しかしてこなかったから、「自分の話なんてどうせ誰も聞いてくれないだろう」と思っていた、というようなことを語る。
私は、事件ノンフィクションやドキュメンタリー映画などを通じて、「加害者も辛い過去を経験している」という事実をそれなりに頭では理解しているつもりだ。しかしやはり。その人生をリアルに想像することは難しい。
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