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【真相】飯塚事件は冤罪で死刑執行されたのか?西日本新聞・警察・弁護士が語る葛藤と贖罪:映画『正義の行方』(木寺一孝)

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冤罪なのに死刑が執行されたのか?「飯塚事件」を真正面から扱った映画『正義の行方』は、過去の報道を再検証する西日本新聞のスタンスが実に印象的である

本作『正義の行方』は、実に興味深い作品だった。「飯塚事件」については再審請求が行われており、私が今この文章を書いている時点では、その再審請求を退けるという判決が下っている。弁護団は即時抗告すると声明を発表したが、その際の会見で、「この判決は人間が書いた文章ではない」と語っていたのが印象的だった。

私が「飯塚事件」の存在を知ったのは恐らく、『殺人犯はそこにいる』(清水潔/新潮社)を読んだ時だったと思う。その詳しい内容については以下にリンクした記事を読んでほしいのだが、「飯塚事件」に関係する重要なポイントには触れておくことにしよう。

著者の清水潔が取材に尽力していたのは「足利事件」という別の事件だった。実は「足利事件」では、逮捕されていた菅家利和が、清水潔の奮闘のお陰で再審無罪となったのだ。そしてその大きな決め手となったのが、事件発生当時に使われていたDNA鑑定法「MCT118法」である。DNA鑑定が誕生したばかりの頃に使われていたこの手法は、後に「証拠能力が無い」と判定され、「MCT118法」によって有罪とされていた「足利事件」も判決が覆ったのだ。

そして実は「飯塚事件」でも、この「MCT118法」による鑑定証拠が提出されていたのである。『殺人犯はそこにいる』では、そのような繋がりから「飯塚事件」のことも取り上げられていた。そして同じように本作『正義の行方』にも、少しだけ「足利事件」の話が出てくるというわけだ。

『殺人犯はそこにいる』も、そして『桶川ストーカー殺人事件』(清水潔/新潮社)も是非読んでほしいのだが、この2作に共通するのは、「警察や裁判所などの司法は、保身のためなら平気で真実を捻じ曲げる」という驚くべき事実である。少し前に放送していたTBSドラマ『アンチヒーロー』でも権力側の恐るべき不正が扱われていたが、その物語はフィクションではなく現実の話なのだ。そして、本作『正義の行方』で取り上げられる「飯塚事件」もまた、「権力の横暴によって無実の人間が死刑に処されたかもしれない」という信じがたい状況が扱われているのである。

さて、そんな本作は、「特定の個人・組織を糾弾するような構成」にはなっていない。とにかく、「当時の関係者が考えていたこと、感じていたことをそのままカメラに収める」というスタンスで作られているように感じられた。そして中でも特に印象に残ったのが、当時事件を報じた地元紙・西日本新聞による「事件報道の再検証」である。

この点に関しては後で詳しく触れるが、西日本新聞のその姿勢はメディアとしてとても好感が持てるのではないかと思う。そう、本作は、「『過ちを犯したかもしれない』という状況において、私たちはどのように過去と向き合うべきか」と強く問いかける作品なのである。

「飯塚事件」に対する私自身の捉え方

さて、本作『正義の行方』の内容に触れる前にまず、「本作を観た上で、『飯塚事件』に対して私がどのようなスタンスでいるのか」について触れておくことにしよう。そしてそれは、本作に登場する西日本新聞の記者・中島邦之のものとほぼ同じと言っていいと思う。

「飯塚事件」では久間三千年という人物が逮捕され、既に死刑が執行済なのだが、「久間三千年が犯人だと思いますか?」と問われた中島邦之が次のように答える場面がある。

久間三千年が犯人だったかどうかは、神ではないのだから分かるはずもない。しかし、司法手続きの大原則は『疑わしきは罰せず』であり、十分な証拠が揃っていないのであれば無罪にするべきだ。そしてそのような観点から言えば、久間三千年は無罪であるべきだと思う。

私の基本的なスタンスも、まさにこれと同じである。

繰り返しになるが、本作では当時の関係者からかなりフラットに話を聞いており、「こうだったはず」という決め付けをしていない。つまり、「飯塚事件」は「冤罪だったのではないか」という疑惑の目で一般的に見られているわけだが、本作はそのような前提で作られてはいないというわけだ。ただ実際には、久間三千年は既に亡くなっており、また、真犯人と思しき人物も見つかっていないので、「久間三千年が犯人かどうか」に関する真偽が明らかになる可能性は低いと私は考えている。弁護団は「久間三千年は無実だった」という結論を導くために今も奮闘しているわけだが、正直、相当厳しい道のりだろうなと思う。

しかし一方で、本作での検証から明らかに断言できることがある。それは、「久間三千年の裁判や裁判に至るまでの過程には不備があった」ということだ。そして私の印象では、その「不備」は、「『裁判で示された証拠が有する立証能力』を削ぐもの」に思えたのである。

「飯塚事件」の裁判では「直接証拠」は一切示されず、「間接証拠」のみによって判決が下された。つまり、「女児を連れ去った方法」や「犯行に使われた凶器」などは一切明らかにされないまま、「久間三千年が犯行に関わったかもしれない」といういくつかの弱い証拠のみによって有罪が確定したのである。久間三千年は取り調べにおいて一切何も喋らなかったそうなので、自白さえ存在しないのだ。

このように「飯塚事件」は、「『間接証拠』だけで判決が下された事件」なのである。さらに様々な「不備」によって、「裁判で示された証拠が有する立証能力」が削られている(少なくとも私はそう考えている)のだから、「推定無罪」の原則から考えれば、「久間三千年は無罪」と判断されるべきだと思う。中島邦之の意見に、完全に同意である。

これが私の基本的なスタンスだ。

この事件では、裁判の終結後2年という異例のスピードで死刑が執行され、久間三千年はこの世を去った。しかしその後2009年になって、手弁当で集まった弁護団が「飯塚事件」の再審請求を行ったのである。そして、一審、高裁と審議を経て、2021年に最高裁が棄却の判断を下した。弁護団は200ページにも及ぶ書面を提出したにも拘らず、最高裁の判決は僅か6ページ。さらにその中身はあまりに酷いものだったそうだ。担当した弁護士は記者会見で、「この判決を書いた5人の裁判官に、『こんな仕事をしていて恥ずかしくないのか』と聞きたい」と憤っていた。

そして冒頭で触れた通り、2度目の再審請求の結果が先ごろ出て、改めて棄却されてしまったというわけだ。「この判決は人間が書いた文章ではない」と、その酷さに改めて憤りを露わにしていた。

さて、私が本作『正義の行方』を観た際には、上映後に監督のトークイベントも行われたのだが、その中で驚くべき事実について触れられていたので紹介したいと思う。

久間三千年の裁判で提示された4つの「間接証拠」に含まれてはいない話なのだが、「飯塚事件」では、「女児2人が連れ去られた現場」を特定するに当たって重要な役割を果たした女性の証言が存在する。しかし、確か去年と言っていたと思うのだが、その女性が法廷で、「女児2人を見たのは事件とは別の日だったが、警察から証言を変えるように圧力があったため従ってしまった」と証言したというのだ。女性は長年、この事実に気を病んでおり、最近ようやく勇気を出して告白できたのだという。

彼女のこの証言は、「『久間三千年の犯行』を否定するもの」とまでは言えないだろう。しかし、「警察から圧力があった」という点を踏まえれば、「久間三千年を犯人と見込んだ警察が無茶苦茶な捜査をしていた」という事実を証明するには十分と言えるのではないかと思う。そして弁護団はこの事実を、2度目の再審請求で証拠として提出したのだそうだ。捜査において「権力の横暴」があったことが明らかになったのだから、少なくとも再審を認めるべきではないかと私は感じる。しかし裁判所は先述の通り、再審請求を棄却した。こうなると「国家ぐるみで隠蔽しようとしている」としか思えないし、まさにドラマ『アンチヒーロー』さながらの世界であるようにも思えてしまう。

ちなみに、本作『正義の行方』には「飯塚事件」の捜査を担当した元刑事も複数出演しているのだが、監督は「彼らは『証人への圧力』には関与していない」と説明していた。映画に出てくるのとは異なる部署の刑事が圧力を掛ける”不正”を行ったのだそうだ。

「あの時の報道姿勢は正しかったのだろうか?」という観点から、2人の記者が当時について語る

それではここからしばらく、「西日本新聞による事件報道の再検証」についての話をしていこうと思う。

本作では「元」も含め、4人の西日本新聞記者が取り上げられていた。事件当時最前線で取材をしていた宮崎昌治、当時副キャップを務めていた傍示文昭、そして先程名前を出した中島邦之と、彼と共に検証記事の取材を行った中原興平である。宮崎昌治と傍示文昭は西日本新聞を既に離れているが、中島邦之と中原興平は公開時まだ現役だった。そして冒頭からしばらくの間、「西日本新聞記者」として登場するのは宮崎昌治と傍示文昭の2人である。

事件当時最前線で働く若手記者だった宮崎昌治は、地元で起こった事件ということもあり、「他紙にスクープを抜かれるわけにはいかない」という想いを強く持っていたそうだ。そしてそれは、西日本新聞全体に共有されていた感覚でもあった。副キャップだった傍示文昭が、「久間三千年の家族が、『警察と西日本新聞がタッグを組んで久間三千年を犯人に仕立て上げようとしている』と感じるのは当然だと思う」と語るほどに、前のめりの取材を行っていたのである。

そんな彼らの話の中で特に印象的だったのが、「『重要参考人浮かぶ』という見出しの記事を出した時のエピソード」だ。このような見出しを打つ場合は通常、「翌日には逮捕状が出るはず」ぐらいの確証がなければならないという。犯人の逃亡や自殺などを引き起こしてはマズいからだ。しかし傍示文昭は当時の状況について、「明日や明後日どころか、翌月にだって逮捕状が出るような雰囲気はなかった」と語っていた。いや、そんなレベルの話ではない。傍示文昭は1年副キャップをやった後、キャップを1年務めたのだが、なんとその2年間、久間三千年が逮捕される気配はまったくなかったというのである。

しかし、現場で取材をしていた宮崎昌治は、「ここで打たなきゃダメだ」と強く主張したのだそうだ。今はどうか知らないが、一昔前の新聞業界は間違いなく「抜いた抜かれた」の世界だったわけで、現場記者からすれば「今打たないでいつ打つんですか!」という感じだったのだろう。そしてそのようなやり取りもあって、結果的に「重要参考人浮かぶ」という見出しの記事は出ることに決まったのだ。

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