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【魅力】モンゴル映画『セールス・ガールの考現学』は、人生どうでもいい無気力女子の激変が面白い!
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映画『セールス・ガールの考現学』は、「なんだか分からないけどメチャクチャ面白い作品」だった!初めて観たかもしれないモンゴル映画
何が面白いのか上手く説明出来ないのに、最初から最後までずっと面白かった、ちょっと変わった物語
凄く面白い作品でした! ほとんど触れたことがないので、イメージの持ちようもない「モンゴル映画」ですが、それでも「イメージとは全然違って面白かった」というのが一番の印象です。モンゴルというと、「雄大な自然」「広大な大地」みたいなイメージしか持てませんが、本作『セールス・ガールの考現学』は実に都会的な作品でした。しかも、主人公サロールを演じた女優の外見がとても日本人っぽいので、そういう意味でも親近感を抱けるかもしれません。
物語は、「ひょんなことからアダルトグッズ販売店の店員になった主人公が、色んな人との関わりを経て成長していく」という話で、「アダルトグッズの店員」という部分を除けば、割とありきたりなストーリーと言えるかもしれません。ただ、なんか面白いんですよね。なんか面白かった。
私が言う「面白い」は、基本的には「interesting(興味深い)」という意味であり、その点については後で触れたいと思います。そして本作は、「funny(可笑しい)」という意味でも面白かったです。鑑賞中、随所で客席から笑い声が上がっていました。「クスッと笑わせてくれるポイント」が散りばめられていたという印象です。しかもそれは、「福田雄一や宮藤官九郎的な『狙った可笑しさ』」ではありません。なんというか、「主人公がナチュラルに行動しているその様が『普通』から微妙にズレていて、思わず笑わされてしまう」みたいな感じなのです。
店番をするアダルトグッズ販売店で何か凄い事件が起こるわけでもないし、私の琴線に触れるようなセリフが出てくるわけでもないのに、どうしてこんなに面白かったのか、正直上手く捉えきれていません。ただ、誰が観ても「なんか楽しい気分になれる作品」だと思うので、機会があれば観てみて下さい。
映画の内容紹介
主人公のサロールは、大学で原子力工学を学ぶ地味な学生だ。そんな彼女はある日、そこまで仲が良いわけではないクラスメートからあるお願いをされた。そのクラスメートはバナナの皮で滑って足の骨を折ってしまい、しばらくバイトを休まなければならなくなったのである。そしてオーナーから「代わりを見つけないとクビにする」と言われ、サロールに声が掛かったというわけだ。
そのバイトが「セックス・ショップの店員」だった。
無気力に成り行き任せで生きているサロールは、その仕事内容に特段驚くでもなく、店内でクラスメートから仕事の説明を受ける。そして最後に、「店を閉めたら、オーナーのカティアさんのところに売上を届けるように」と、オーナーの家の鍵も預かった。
初日の仕事を終えたサロールは、売上を持ってオーナーの家へと向かう。そして、初めてサロールと顔を合わせたオーナーは驚き、すぐに怪我をしたクラスメートに電話をした。「正気なの? 子どもを連れてくるなんて。あたしを逮捕させるつもり?」、そう大声を張り上げている。オーナーが驚くのも無理はない。サロールは、成人しているようには見えないほどの童顔なのだ。
こうしてサロールはその後も、淡々と「セックス・ショップでのアルバイト」を続けていく。
オーナーと関わるのは、基本的に売上を届ける時だけなのだが、カティアはどうもサロールのことが気に入ったようだ。次第に、オーナーが誘う形で一緒に食事をしたり、出かけたりするようになっていく。自分の意思がなさそうなサロールは、やはりどの誘いも断ることはなかったが、しかし無表情であることに変わりはない。
そうやって、特段何が変わるわけでもない日常を過ごしていたのだが、実はサロールの内面は少しずつ変化していたようで……。
あらゆることに無関心であり続けるサロール
作品全体の面白さの源泉を的確に掴めている自信はありませんが、映画を観ながら私がずっと面白いと感じていたポイントは、「サロールの無反応さ」です。とにかくサロールは、どんな状況になろうとも、ほとんど何の反応も示しません。一度、警察に拘束されるような状況にも陥るのですが、それでも無反応のままでした。普通だったら「うわ、どうしよう」「それはちょっと……」「えっ、困ります」みたいな反応になるのが当たり前だろう場面であっても、サロールは「私はその状況に関与していません」とでも言わんばかりに、無表情のまま流されていくのです。
人によっては、「どんな状況になろうと対処出来る自信があるからこそ無表情を貫ける」みたいなタイプもいるでしょう。しかしサロールは明らかにそのようなタイプではありません。はっきりと、「人生なんかどうでもいい」と思っているような雰囲気を醸し出すのです。目の前で何が起ころうと、それは彼女にとって「どうでもいいこと」でしかありません。なので、アダルトグッズ販売店で働こうが、良く分からないオーナーと食事をすることになろうが、警察に拘束されようが、「私には関係ない」みたいなスタンスで居続けられるというわけです。
しかしそんな彼女にも、「どうでもいいとは思えないこと」があります。実際、それに関する描写は作中の随所にあったのですが、正直私は、彼女にとってそれが重要なのだとは理解できていませんでした。物語のラストに至って、「あぁ、なるほど、そういう物語だったのか!」と気づいたぐらいです。もしかしたら私と同じように感じる人もいるかもしれないので、彼女にとっての「どうでもいいとは思えないこと」については、具体的には触れないでおくことにします。
さて、一方で彼女は、その「どうでもいいとは思えないこと」を「見ないようにしている」と言ってもいいでしょう。
「モンゴルという国で『女性』として生きること」にどのような制約があるのか、知識がないので分かりませんが、少なくとも、原子力工学を専攻したことは彼女の意思ではありません。カティアからの質問に答える形で、「母の勧めだ」と明かしているからです。授業中の様子などを見ていても、彼女が原子力工学に何の興味も持っていないことが伝わってきます。
「だったら『どうでもいいとは思えないこと』の方に進んだらいいじゃないか」と感じるかもしれませんが、恐らくそこに何らかの制約があるのでしょう。それが、モンゴルという国の特徴なのか、サロールの性格なのか、家族との関わり方から来るものなのかは分かりませんが、とにかく「興味を持てることには蓋をして、関心のない原子力工学を頑張らなければ」と考えているのです。
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