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【日常】難民問題の現状をスマホで撮る映画。タリバンから死刑宣告を受けた監督が家族と逃避行:『ミッドナイト・トラベラー』

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難民としての5600kmの旅を3台のスマホで撮影した「驚きの逃避行の記録」は、思わぬ「日常」に溢れている

この映画の撮影に至るまでの状況と、彼らの逃避行の凄まじさをざっと説明しておこう。

『ミッドナイト・トラベラー』の監督で、映像作家のハッサン・ファジリは、かつて制作したドキュメンタリー映画を理由にタリバンから死刑宣告を受けた。そのドキュメンタリー映画に出演した男性は殺害されてしまい、ハッサン自身にも危険が及ぶ。そこで彼は、アフガニスタンからヨーロッパへ向けて5600kmにも及ぶ逃避行を決意する。妻と2人の娘を連れた4人での旅路を、3台のスマホで撮影したのが、本作『ミッドナイト・トラベラー』である。

このように紹介されると、「難民の厳しい現実が映し出される硬派なドキュメンタリー」だと感じるかもしれない。もちろんそういう描写も多々あり、「難民自身が難民の現状を刻々と記録していく」という意味での興味深さもある。

しかし決してそれだけの作品ではない。この映画は、ハッサン一家の「笑顔」で溢れているのだ。そのことがこの映画を、非常に特異なものにしていると感じる。

家族の笑顔は「日常」なのか「非日常」なのか

私がこの映画を観て一番に考えたことは、「家族の笑顔は『日常』だったのか、それとも『非日常』だったのか」ということだ。

映画には、家族の笑顔のシーンが多い。それは「難民のドキュメンタリー映画を観ている」という事実を忘れさせるほどだ。結果として「難民の現実を問う」作品になっているが、恐らく監督の意図はそこにはない。勝手な予想でしかないが、この映画は「家族アルバム」の一環として撮られたのだと思っている。

一家の難民生活は3年に及んでおり、まだ終わっていないと映画のラストで語られていた。つまり、少なくとも3年分の撮影データが存在する、というわけだ。そして3年も撮り続けていれば、全体として「笑顔」の時間が僅かだったとしても、1本の映画に「笑顔」の場面を大量に入れ込むぐらいの素材は存在するはずだと思う。

そう、私は勝手に、「この映画で切り取られている『笑顔』は、ごくごく稀にしか現れなかった『非日常』と呼ぶべきものだ」と考えているのだ。

映画では、姉のナルギスがところどころでナレーションを担当している。そしてある場面で彼女は、

私は忘れる。
こんな旅路を思い出すのは、絶対にイヤ。

と語っていた。映像でも、「こんな生活、もううんざり」と妻が言ったり、「退屈」と言って号泣したりする姉の姿などが映し出されている。私たちが想像もできないような過酷な現実を過ごしていることは間違いないだろう。

しかし一方で、映像作家であるハッサンは、撮り溜めた素材を上手く編集することで、「家族の過去」を塗り替える力を持っていると言える。誰でも、辛かった過去が、時を経て「良い思い出」だと感じられるようになった経験を持っているのではないだろうか。それを、「世間に公開する映画」という壮大なスケールの手段で実現しようとしたのではないかと私は想像しているのだ。

だからきっと、この映画で映し出される光景は、「実際に起こったこと」だが、決して「リアル」なわけではないと捉えるべきなのだろうと思っている。ある種「捻じ曲げられた現実」だと言っていいだろう。そして、父親のそんな強い想いが宿っているからこそ、この映画は、ドキュメンタリー映画として類まれな力強さ有しているのではないかと私は感じた。

「難民にだって『日常』は存在する」ことを描き出す映画

私はドキュメンタリーや実話を基にした映画をよく観るのだが、当然のことながら、扱われているテーマが作品の中核に存在する。戦争をテーマにした映画なら「戦争」こそが中核であり、その周辺に様々な要素が配されているというのが通常だろう。

しかしこの映画では、「難民であること」こそが揺るぎない背景であるにも拘わらず、その事実が作品の中核にはならない。渦中にいる当人がカメラを回しているからこそ可能な構成であり、この作品の非常に特異な点だと言っていいと思う。

とにかく、驚くほど「悲惨さ」がないのだ。

ドキュメンタリーも実話を基にした映画も、テーマが重ければ重いほど、当然だが作品全体も重苦しくなりがちだと思う。私はそういう作品を好んで観るが、避けたいと考えてしまう人もいるだろう。そういう人にもこの作品は安心して勧められる。「”ついでに”難民の現実を知る」ぐらいの感覚で観られるからだ。

映画を観ると、2人の娘の可愛さに癒やされてしまう人も出てくるだろう。妹のザフラはまだ幼く、自分たちが置かれた状況を理解できていないだろうし、それ故の天真爛漫さかもしれないと思う。しかし姉のナルギスは、間違いなく「難民」という現実を理解しているはずだ。しかし、そんな現実を記にしていないかのように軽やかに振る舞ってみせる。マイケル・ジャクソンの音楽だと思うのだが、スマホから流れる曲に合わせて踊るシーンなど、思わず笑ってしまうおかしさに溢れていた。

妻のファティマもなかなか面白い。こんな場面があった。難民キャンプで隣人の若い女性がコンロを借りに来た際、ハッサンが彼女に向かって「見る度に可愛くなるね」と声を掛けるのだが、彼女が帰った後、妻から「あんな風に言うのは止めて」と言われてしまう。どうやら嫉妬しているようだ。そこから夫婦喧嘩みたいな展開になっていく。妻も映画監督だからだろう、ハッサンが「映画の中でキスするのはいいのか?」などと反論したりする。そしてそんなやり取りを何度か繰り返した後、妻はアホみたいなことで口喧嘩をしている状況におかしくなったのか笑い転げてしまうのだ。

「難民キャンプ」と聞いてイメージできる光景ではないだろう。映画『ミッドナイト・トラベラー』には、こんな場面がたくさんあるのだ。

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