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【残念】日本の「難民受け入れ」の現実に衝撃。こんな「恥ずべき国」に生きているのだと絶望させられる映画:『東京クルド』

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「日本における『難民』の現状」を私は何も知らなかったし、そのあまりの酷さに絶望した

2021年3月、スリランカ人のウィシュマ・サンダマリさんが名古屋市の入館施設で亡くなった事件は、まだまだ記憶に新しいだろう。あまりに衝撃的な事件だった。ウィシュマさんの事件そのものについてこの記事では詳しく触れない。しかし、そもそも私はこのニュースに触れた時点で、「ウィシュマさんがなぜ入館施設に収容されていたのか」さえ知らなかった。その後この映画を見て私は、日本における難民の実態に驚愕することになる。

映画『東京クルド』はまさに、このウィシュマさんの事件をきっかけに公開が早まったそうだ。トークショーで監督が、「異例のスピードで公開までの準備が進んだ」と話していた。映画自体は2021年4月に完成し、通常なら半年から1年掛けて公開までの準備をするそうだが、この映画は完成から3ヶ月ほどで公開に至ったという。ウィシュマさんの事件、そして入管法の改正が議論されようとしていたことを背景に、一刻も早く観てもらいたいと関係者が動いたそうだ。

映画の話もする、年下の20代の友人にこの映画を勧めたことがある。彼女は普段ドキュメンタリー映画を観るタイプではない。ただ、少しずつ社会問題に関心が出てきたそうで、既に公開館が減っていた時期だったが、電車で1時間以上掛かるだろう映画館まで足を運んで観てくれた。「この現実は知らなければいけないですよね」と言っていたので、彼女にもその衝撃が突き刺さったのだと思う。

私たちは、こんな「恥ずかしい国」に生きている。本当に、全然知らなかった。「自国を『恥ずかしい』と感じずにいたい」みたいな利己的な動機でもいいから、私たちはこの現実に「NO」と声を上げるべきだと思う。

日本の難民の現状整理と、私の基本的なスタンス

私がこの映画を観る前に知っていたのは、「日本の難民受け入れ率は他の先進国と比べて圧倒的に低い」という事実だけだった。

どのぐらい違うのか。2020年のデータを元にした記事を以下にリンクしておく。

この記事では「認定数」と「認定率」が示されている(棒グラフは、「認定数」を比較している)。ドイツ・カナダ・フランス・アメリカ・イギリスとの比較がなされており、日本は当然最下位だが、この6ヶ国中5位のイギリスと比べてもその違いは歴然だ。イギリスが「認定数:9108人 認定率:47.6%」なのに対し、日本は「認定数:47人 認定率0.5%」となっている。まともな比較が出来るレベルの数字ではない。

「なぜ日本はの難民を受け入れないのか」については、様々な議論・意見があるだろう。しかしこの映画では、ほとんどその点には触れない。映画ではとにかく、「日本に住む難民が今どんな状況に置かれているのか」を客観的に切り取ることに専念するのだ。だからこの記事でも、「なぜ」には触れない。「なぜ」を理解することよりも、1人でも多くの人が「難民」の現実に関心を持ち、その無形の関心が有形の力に変わることの方が大事だと思うからだ。

さてもう1つ理解しておくべき点がある。先ほどウィシュマさんの話で少しこの疑問に触れたが、「なぜ日本の難民は入館施設に収容されるのか」だ。私はそもそもこの点をまったく理解していなかった。事実を知った今は、なんとなく自分の内側にずっと、そこはかとない怒りが滞留している感じがある。それほど信じがたい現実なのだ。

日本で難民申請を行っている者は、「仮釈放」という状態にある。しばらくこの「仮釈放」という言葉の意味がまったく分からなかったが、映画を観ていく内に徐々に理解できるようになった。

彼らは「難民」であり、「日本国内で生活する権利を持たない人」という扱いになる。だから本来は日本での生活が許されない。ただ、「日本で難民申請している者」を「日本での生活は許さない」と扱うのはさすがに理屈が通らないだろう。そこで「収容施設」の登場となる。「難民申請者は日本で生活する権利を持たないので、収容施設に留まってください」というわけだ。しかし当然、施設にも収容人数の限界があり、申請者全員を収容することはできない。つまり、「本来あなたは収容施設にいなければなりませんが、その状態から今は仮に釈放されていますよ」というのが「仮釈放」である。

要するに、「難民申請を出していて、収容施設に留め置かれていない難民」は全員、「仮釈放」中ということになるわけだ。そんな事情をそもそもまったく知らなかったので驚かされた。

2019年のデータが映画で示されるが、全国の施設に1000人以上の難民が収容されているそうだ。収容期間に定めはなく、また長期化する傾向にもあるようで、中には申請が通らないまま7年以上も施設から出られずにいる者もいるとのことだった。

「仮釈放」の状態は、理由もなく終了してしまう。つまり、ある日突然収容施設入りが決定するのである。それを知って私は、適切な表現ではないかもしれないが、ホロコーストを連想してしまった。

もちろん、難民はその時点では日本国内で生活する権利を持たないのだから、「申請期間中に留まってもらう収容施設が存在すること」そのものは真っ当な仕組みだと思う。しかし日本の場合、難民認定率が0.5%と極端に低い。つまり必然的に、「難民申請をしてもほとんど受け容れられず、収容施設にひたすら長い間閉じ込められるだけ」になってしまうし、そのことは大きな問題だと感じる。そしてこのような現状だからこそ、ウィシュマさんのような痛ましい事件も起こってしまうのだ。

さらにこの「収容(仮釈放状態の解消)」は、「家族を引き裂く」という問題を生みもする。

映画では主に2人の若者に焦点が当てられるのだが、彼らは幼い頃に祖国を離れ、家族と共に日本へとやってきた。日本の小中高を卒業しており、日本語はペラペラだ。日本で家族と共に暮らし、学業や仕事の基盤も日本にあるのである。

そして、そんな風に「既に日本で生活の基盤を築いている家族」もまた、容赦なく収容施設に入れられてしまう。つまり、妻や夫、子どもたちと離れ離れにさせられてしまうのだ。

正直、「とんでもないことをやっているな」と感じた。もちろんこれは、「法」に則った措置なのだと思う。現場の人たちも葛藤や苦悩を抱えながら仕事をしているのかもしれない。しかしそうだとしても、入管の行為はあまりに酷い。

これが、「日本にいる難民申請者」を取り巻く状況だ。私と同じように、こんな基本的な情報さえ知らずにいる人が多いのではないかと思う。

さてもう1つ、先に書いておきたいことがある。それは、「人」ではなく「法」が悪いということだ。

私は、この映画で描かれる「日本の現状」に怒りを覚える。そしてうっかりすると、その怒りを「現場で働く人たち」に向けてしまいがちだ。しかし私はそれを自制する。現場の人がまったく悪くないわけではないとも思う。しかしその人たちも「入管という環境」でなければそんな酷い振る舞いをしないはずだと信じたい気持ちもある。「環境」こそが、「酷い振る舞い」を生んでいるという理解だ。

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