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日本の歌曲と詩 上田 敏の牧羊神から《別離 L’ADIEU 》
書棚を整理していたら、茶色に焼けた少し厚めの岩波文庫が目に留まりました。奥付けを見ると、昭和37年発行の『上田 敏 全訳詩集』。私のは同42年第七刷のもので半世紀以上ものあいだ手元にあったわけです。
ぱらぱらめくっていきますと、聞きなれた一編の詩に手が止まり、口ずさんでみると、それが歌になりました。昔、鮫島有美子さんのソプラノでよく聴いた「別離」という歌です。次に引用してみましょう。
《別離》
せめてなごりのくちづけを濱へ出てみて送りませう。
いや、いや、濱風、むかひ風、くちづけなんぞは吹きはらふ。
せめてわかれのしるしにと、この手拭をふりませう。
いや、いや、濱風、むかひ風、手拭なんぞは飛んでしまふ。
せめて船出のその日には、涙ながして、おくりませう。
いや、いや濱風、むかひ風、涙なんぞは干てしまふ。
えい、そんなら、いつも、いつまでも、思ひつづけて忘れまい。
おゝ、それでこそお前だ、それでこそお前だ。
編者 山内義雄 矢野峰人
昭和37年12月16日第一刷発行©︎
発行所 株式会社 岩波書店
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原詩は、フランスの詩人 ポール・フォール作 L’Amour marin (1900)の中の «L’Adieu»。訳詩中の「手拭」は、「ハンケチ」とフリガナが振ってあります。
鮫島有美子さんのCDについては、ライナーノートにとても良い解説があるので、以下に引用します。
日本語の近代詩の遺産のうちに翻訳詩の占める位置は決して小さくないし、一様なものでもない。ポール・フォール・原詩、上田敏・訳、團伊玖磨・曲「別離」はほんとうに上質な日本語で、俗謡調ではあるが原詩の心意気を生かすことに腐心した俗謡的音数律で運んできて、最後の一行は完全に口語調で「それでこそお前だ」となるのだが、團伊玖磨はずっと粋をとおしたあとのこの最後の捨てゼリフが実にいいのだ。
--広がる鮫島有美子のくうた>の世界
相澤啓三
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鮫島有美子Sop/ヘルムート・ドイチュ(Helmut Deutsch)Pf 録音 1988年 DENON
🔸
原詩 : Jules Jean Paul Fort
訳詩 : 上田 敏
作曲 : 團伊玖麿
訳詩、團伊玖磨の曲、ともに、波が引いたり返したりするように、歌のリフレインが律動を生み、浜風に打たれているようにおおらかで気分が良い。最後の2連もきっぱりと言い切って粋で、洒落ていて、凛とした歌だと思います。
原詩が手元にないのが残念ですが、機会があれば入手して味わってみたい詩のひとつです。
というわけで、最後に私の文庫本の写真で締めくくりとしましょう。
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岩波書店の文庫の価格は、星★で表記し、当時は★ 1つが50円の時代だった
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天だけはカットされていない
余談ですが、
上の写真で見られるように、小口と地の二方はカットされて滑らかだが,天だけはアンカット。フランス装風の洒落た雰囲気を出すためだそうだが、むしろこの方が製本は大変だと言う。
岩波文庫については、おもしろい豆知識のサイトを見つけたので、リンクを貼っておきます。
クラシック音楽と本と💘さえあれば。お読みくださってありがとうございます。またどこかでお会いいたしましょう! ごきげんよう