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【随想】評価は他人がする
人は多かれ少なかれ、他人の目を気にしている。
「自分は人の目なんて全く気にしない」という人でも、TPOに合わせた服装くらいはするものだ。
その人に、
「あれ?何で?気にしないならTシャツでも良くない?」
と意地悪な質問をしたとしよう。
恐らく「後で色々と面倒だろ」と言われるのではないだろうか。
そう考えると、そこには「損得勘定」があることに気がつく。
逆のケースを考えてみると、
「私は、人の目が気になって仕方がない。
常に人にどう思われているか気になって何事も集中できない。」という状態だ。
実は私はこの傾向が強く、やや病的な状況である。
この思考が止まらなくなるときがあり、落ち着きを失い、ケガをしたこともある。
これはどうしたものかと、考えているのだが、もうこの思考の発作が始まったら止められなくなるのが現状だ。
少し横道に逸れてしまったが、
他人の目が気になるというのは
元を正すとやはり、「損得勘定」なのだ。
結局は「自分に不利益や不快感をもたらされる可能性がある」というおそれがあるので他人の目が気になるのだ。
もっとシンプルに考えると、
自分に何の危害もなければ、恐れる必要がないということになる。
他人は、自分がどう努力しようと、又はしなくても、自分が思っている評価と全く同じ評価をすることができない。
それは、違う個体だから当然だ。
それにもかかわらず、一喜一憂するのが人間だ。
みんな、感じ方が違う。
だからおもしろい。とも言える。
「「評価は他人がするもの」は分かった。
低評価を受けるのが兎に角嫌だ。」
と考える人は、
まず、1人目、低評価1票。…
と数えていくと、いずれは客観的な評価が浮かび上がってくる。
この平均値を自己評価にしてしまえば良い。
そして、その中で最も高評価だった人と親しくすれば良い。
こう書いてしまうと、最初のサンプル集めの調査をやるのさえ面倒に感じる。
実は、「自分がいつも気にしている他人の評価」なんて、その程度のことなのかも知れない。