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俺とゲームコミュニティの変遷① 

ブックオフが大型店舗で提供する新しいコミュニティの形の記事について、更に思っちゃったこと。

ゲームでは、どういう風にコミュニティが変化してきたのか?
あくまでも、個人目線で、ゲームコミュニティの変遷をまとめてみた。
長すぎたので、3部ぐらいにわけるようになりそう。


ゲームコミュニティと少年時代

子供の頃は駄菓子屋で、ファミコン時代を経て、PCでゲームを自作し、シューティングをしにゲーセンに行き、PS2以降は家がゲーセンになり、ゲームを卒業してからは、モールで、アウトレットで、映画館で、その後ゲーセンに戻り、オンライン、ソシャゲ、そこに行けば、ゲームがあって、誰かが居て、エンタメにあふれていて、キラキラ、ワクワク、ドキドキする場所。

ゲームがコミュニティの中心にいた?わけでもない

最初からゲームが皆の生活の中にあったわけではない。
任天堂もトランプや花札の会社だったし、ゲームウォッチも登場していなかった。

①駄菓子屋「悪ガキが集いしコミュニティ」

法的にゲーセンには行けなかった少年時代。
お金もなかったので、ゲームセンターあらしを見て、駄菓子屋のコイン落としで遊びながら、友達がドンキーコングで遊ぶのを見ていた。

その頃は、ゲームよりも河原での石切りや、ロケット花火での戦争ごっこ、チャリ、メンコ、鬼ごっこ、カクレンボ、虫取り、喧嘩、相撲、喧嘩という、アウトドアの遊びが多い田舎の暮らし。
駄菓子屋と河原と田んぼと学校がコミュニティの中心だった。

そう、ファミコンが登場するまでは。。。

②ファミコンがある家「インドア派が主流派へ」

ファミコンの登場で、家がコミュニティの中心になった。
外出より家でゲームする子が増えた。俺もハードは持っていたが金がないので、デパートの展示品でスーパーマリオとかをやった派だ。
ゲームをやりすぎて親にテレビを壊されたこともあり、まだまだ、個人的にはゲームとは縁が少ない時代。
世間的には皆が家でファミコンをやっていて、話題の中心はゲームだった。

③パソコンのある場所「パソコン登場でインドア化が進む」

デパートの展示品のFM7を凄い長い間見に行き、小遣いを貯めて、土下座してまけてもらい、ようやく展示品を手に入れた。

そこから、ベーマガに乗るプログラムを必死に打ち込み、アレンジしたゲームを作っていた。ゲームよりはパソコンとプロレスオタクだった。
パソコンショップと友達の家が、コミュニティーの中心だった。

④ゲーセンという集会所「居場所を失った少年のたまり場」

自分の頭の悪さを自覚し、勉強からドロップアウトし部活にもついていけなかったビーバップ時代。
居場所を失った俺は、そこで初めてゲーセンへ行く。

金が無かったので、友達のゲームを見に行くのと、友達の頼む焼きそばやおでんをもらいに行っていた。
そんな感じで、ゲームは遊ぶものではなく、見るものに変化していく。

⑤ゲーセン黄金期「キラめくゲームを『見る』時代」

ゼビウスやドルアーガ、グラディウス、ワールドカップなどなど、往年の名作を見ながら、焼きそばを奢ってもらう生活。
ドロップアウトした田舎の少年の過ごし方。
ゲームは苦手ですぐ死ぬし金もないので「ゲームを見る」のが好きだった。
そこで「映像思考」の下地ができていたのかもしれない。

そんな中でも、週に1回、自分でお金を出してやったのが、飛翔鮫、コイコイ、アッポー、ハイパーオリンピック。
後に飛翔鮫の基盤を買うことになるが、渡米のゴタゴタで行方不明。。。

ハイパーオリンピックは、鉄定規を弾いて驚異的な記録を皆が出していたのがうらやましかった。鉄定規が欲しかったな。
爪が削れて血が出るまでボタンをコスっていたからなおさらだ。

⑥ゲーセン末期「現実逃避の楽しいコミュニティ」

コミュニティーの中心は、間違いなくゲーセンだった。
そこで、暇をつぶし、恋をし、飯を食って喧嘩をし、飯を食った。
時間がゆっくり流れ、皆が卒業していくまでの逃避場所。
熱い青春ではなく、ゆっくりと死んでいく楽しい時間。
焼きそばとオデンとゲームを見る時間。

卒業までの制限時間を皆が意識してから、居場所を失う不安と未来への恐怖で、ますます、ゆっくりと楽しい時間が死んでいくのを実感していた。

ゲームからの卒業と少年期の終わり

やがて、ゆっくり死んでいく楽しい時間が終わり、社会に出て働くことが現実になる直前、鉛筆転がしで試験に合格、ゲームやゲーセンから卒業し上京することになった。

テレビと金が無い、孤立した大学時代が始まり、ゲームやゲーセンとはお別れになる。。。ゲームの別れとともに地元の友達とも別れた。
一度もあっていないし、名前も顔も思い出せない。
ただ、あの時に「見たゲーム」は覚えている。それが今役立っている。

少年時代の終わりとともに、皆が一斉に色んな物から卒業する時を迎えた。

世の中はバブル末期

テレビがないので、バブル時代のことは分からない。
すごく景気が良くて、給料が右肩上がりで増えていき、皆踊り狂っていた時に、ストイックに最強の男を目指して公園をひたすら走り回っていた。

バブル崩壊する直前、プラザ合意が起こることを知らない浮かれた人々にとってコミュニティの場は、すごくいっぱいあったのだろう。

その頃のゲームは、どうなっていたのか分からない。
完璧に空白だし、覚えていることは、授業と実験とレポートと試験と、腕立て伏せとプログラムと女の子と腹筋とランニングとチャリだ。

まれにクイズゲームで女の子に知識を見せびらかしていたぐらいか?
ゲーセンは50円で長く遊べる貧乏デート場所ではあったかもしれない。

ゲーセンというコミュニティと少年時代

「ゲーセン」は確かに思春期の中心にあった。
逆にゲームは見るもので、プロレスの方がずっと好きだった。

学校生活があわず、勉強も部活もついていけずに挫折し逃げ込んだ先が、たまたま「ゲーセン」だった。

もちろん、スポーツ、漫画、小説、アイドルなど、他にもあっただろう。でも、ゲーセンに行けば誰かいて何か食べれてバカ話できた。
そういう場所が無ければ、もっと追い詰められていたかもしれない。

そこではキラめくゲームを見て楽しんで過ごした。

ゲーセン

ただ、そこに留まれる時間が残り少ないことに気づくと、ゆっくりと死にゆく時間を浪費する空虚な楽しさが流れて行った。

何者にもなれないことが分かり、不安だけが残った。

ラッキーで大学に受かり、勉強と読書と体力づくりしかやることがない時代、誰と居ても、どこにも居場所がなかった。

俺には、ゲーセンのような場所が必要だった。
だが、居場所が大切だと分かるのは先の話だ。
一人でも生きていけると思っていたからだ。
まだ、自分の強さを信じていた。孤独が好きだと思っていた。
仲間の大切さを知るのは、ずっと、ずっと、後の話。

居場所は作らなければ手に入らないことが分かるのも先の話だ。

次はゲーム業界編へ


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