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来し方を語りたく ⑥


今回は新しい話題で、
これもまたひとつの
人格形成期に受けた 実体験の話。


この内容を発表するかどうか、
実は悩んだ。


これほんとに世間に出す…?って。


かなり悩んだ。


結構、悩んだ。 (しつこいですよ★(ー ー;)


でも いずれ書き上げて発表するつもりの、
いま 別途用意している記事の内容にも
『私の考えをかたち作った土台baseの体験』
として深く関わって来るので、


やはりこれは発表しておかねばなるまい… と
要するに 
必要に迫られました。


今回、かなり毒吐き系の内容となりますが
(心身の体調とご相談して読んでくださいねー)
記事内の、
一部の 乱暴な表現に関しては


敢えてその言葉を選んでいますので
書き直しをせず、
直接的な表現のままに残します。


容赦などしてやる理由が見当たりませんのでね。


今回の内容は
普段から私の記事を読んでくださっている方々は
たぶん大丈夫ではないかと思うけれど


たまたま目にして読む人たちの中には
私に対し 
変な、特殊な好奇心を持ったり
勝手な妄想で人物像を決めつけてくる人も
いるかも知れなくて、


後で面倒くさい事態を引き起こすのも嫌だしな…
といった、そういう懸念も
発表を決心するのに時間がかかっていた理由で…


このように
この後に及んでもまだ ごちゃごちゃと
決心がつきかねているけれど…


でも一度決めたからには、
とにかく一度は発表する!
うしっ!  🐮?
いくぞ!


*****


さて では
先ずは順を追って、
背景からお話しすると……


先日の 従兄弟の記事 の中で
その従兄弟のお兄ちゃんとの 
最後の、
大切な思い出話のところで


その頃の私は 
一時的に家族と離れ
おばあちゃんと二人暮らしをしていた
と書いたけど、


理由は
中学受験のためだった。


母は 私に中学受験をさせたがっていた。
でも
私が小学五年生になるタイミングで引越した
都心から離れた その町の小学校は、
生徒たちに やたらと
体育ばかりを熱心に指導する学校だったし、


その町には 近場に 
母のお眼鏡にかな
受験のための良い塾もなかったらしい。


それに比べ
元々私たちが住んでいた祖母の家(母の実家)は
都心にあるので


彼女が私に通わせたがっていた
四谷ナントカだか 代々木ナントカに
物理的な距離も近く、


彼女自身 
郊外に引越した後も辞めずに働いていた
当時の勤め先も 
祖母の家から徒歩圏内だから
毎日 仕事が終わって帰宅する前に
祖母や私の顔を見るのに立ち寄り易かった
という理由もあり、


私は元々通っていた小学校に出戻るかたちで
六年生の二学期から 
受験準備のために 家族と一時的に別居していた 
…という事情。


祖母と二人だけの生活は、とても楽しかった。
学校の後に 週に何回か塾に通い
夜まで勉強するのは大変ではあったけど、
仲良しの幼馴染も一緒だったし、
わりと楽しく過ごしていた。


その後
試験に合格し、小学校を卒業すると
私は郊外の引越し先の 家族の家に戻り、
そこから 
都心にある私立の学校へ 電車通学を始めた。


教科書やノートの詰まった重いカバンを抱えて
毎朝6時起きで満員電車に乗り、
学校まで1時間以上かけて通う生活。


幼少期に受けた手術 (①②参照) の後は 
すっかり健康になれたとはいえ、
その後も 
あまり体力のつかなかった私にとって
それは 新しいチャレンジだった。


ところで


子供が 親あるいは良識ある保護者の
庇護ひごというシールド無しに 直接
社会や 世間の現実にさらされる経験は、


良い教訓や 学びを得るような 
ポジティブなものになるか、


悪い教訓や トラウマになるような 
ネガティブなものになるか


子供自身には
自分の意思でその経験の “種類” を選ぶことが出来ず
ただ一方的に「与えられる」だけの立場になることが、
理不尽なところだ。


私が通っていた学校は
ミッションスクールだったので
毎朝授業の前に 礼拝の時間があった。


だから私が通学のために電車に乗るのは
すこし早めの時間帯ではあった。


けれど 
首都圏のビジネスマンは
そんな時間からもう 多くの人たちがご出勤で、
うちの最寄り駅から乗る場合
早朝にもかかわらず
電車はすでに かなり混んでいた。


当時その路線の、その時間帯に
女性の乗客は少なかった。
たぶん殆ど乗っていなかったと思う。


そんな電車に私が乗り込むと
いわば女性専用車両の、逆バージョン状態。


そういう環境でしたから
ご想像通りの事態に放り込まれましてね…


つまり


先月まで小学生だった、
あまり体力がなくて 線の細い 
世間知らずの12歳の子供は、


何の予備知識も
警告や注意も聞かされないまま、
いきなり 独りで


自分より何倍も大きい体力と腕力を持つ
下卑げびた、 薄汚い、
人に対する尊重も 自制もない、
手前勝手で気持ちの悪い性欲を一方的に押し付けてくる
唾棄すべき生き物どもと じかに対峙する状況に
直面させられた。


子供が それまで全く経験したことがない
人生で初めての事態に


たった一人でいる時に 
見舞われたら、


一体何をどうすればいいのか
正解が判らないから、
直感的に行動するしかない。


最初はよくわからなかった。
何が起こっているのか、
この手が
そして その手の持ち主が、何をしているのか。


それはこの場所の、この状態の中では
至って普通の、正常なことなのか
それともおかしいことなのか。


何かの意味があるのかどうかもわからないけど
とにかく 意味がわからないというか、
自分の知識の中に 判断基準が
まだ備わっていないカテゴリーの出来事だと
「……???」と 
疑問や戸惑いや混乱で 頭がいっぱいになって、
最初は思考も 身体も
固まってしまうのだけど、


それでも
早くこの状態から逃げ出したい、抜け出したい、
という焦燥感が 
最後にはいつも いちばん強かったので、
その本能に従って兎に角、とにかく、逃げようとした。


でも すし詰めの車内では
周りを押し除けるように かなり強引に 
身体をよじったり、誰かを押したりしないと
なかなかその場から動けない。


迷惑そうに振り返って見てきたり
上から見下ろして来る人たちの視線は、
自分が迷惑をかけていると分かっているぶん
申し訳なくて、居心地が悪かった。


(全然声を出せなかったせいもあるのだろうけど
誰かが状況に気づいてくれて、助けて貰えたことは
一度もない)


気持ち悪くて 本当に嫌だった。
朝からそんな目に遭った日は ずっと一日中、 
勝手に身体に触られた腹立たしさと
侮辱を受けた悔しさで、
具合が悪くなり、気分も最悪で仕方なかった。


通学だから 平日は毎日
乗車しなければならない。


運悪く 立て続けに
数日連続して遭う時もあれば、
週イチ程度や
何週間も出くわさないこともあったけど
(毎日同じ場所から乗らないようにしたり、
端っこに行くようにしたり、工夫した)


でも
一カ月の間に 
一度も被害に遭わずにいられたことは、
なかった気がする。


私は家で 親から叩かれたり 何かをされても
時には言い返す事もあったけど 
でもたいていは
睨み返す以上の抵抗をしていなかった。
小さい時から。


だからたぶん
親以外の 他の大人に嫌だと思うことをされても
自分の意思を主張し
騒いで拒絶を訴える習慣を 持っていなかった。


クラスメイトや クラスの違う同級生など
他の路線の電車通学の友達たちも
同じ目に遭っていたから、


その子たちとの会話の中で 初めてそれが
〈痴漢という人間のくず共〉
だという事を知った。


(痴漢だけでなく ハラスメントも含めて
性犯罪者は全て
唾棄すら勿体ない程の、真性の汚物おぶつ
一匹残らず 速やかにとっととこの世から退場して欲しい)


こんなことに詳しくなんてなりたくもないけど、
特に中学高校の6年間は
電車でしょっちゅう痴漢被害に遭っていたから、
私は
あのゴミクズ共が どれほど巧妙に
偶然や 不可抗力を装って 
〈上手く〉やっているつもりでも、
100%完璧に 見破ることが出来る。


(↑リアルで会う女性になら見分け方伝授してあげたい。
こんなところに書いたりはしない、
バカにヒントを与えるようなものだから。
ついでに言うと
痴漢被害に初めて遭ったのは、この中学生の時じゃない。
記憶では 小学一年生の時、エレベータの中で
見知らぬ中年男から被害を受けた)


それまでの私の世界にいた
親戚たちや ご近所さんなどの身近な、
子供にもきちんと接してくれる大人とは異質の、 
得体の知れない、 
どこの誰かも判らない不特定多数の、 
下品で 気持ちの悪い大人(男性限定)たち。


この、12歳の時から受けた電車通学での経験は、
私の 2歳で始まった人間不信 (①参照) を増幅させ
世間や他人に対する意識を、更に硬化させた。


特に大人の男性オジさんが、大っ嫌いになった。


普段の生活で話す機会がある大人の男性達も
「この人は痴漢するようなタイプかどうか?」を必ず
先ずは醒めた目で見て
人物を判断しがちになってしまったし


日常生活で時々遭遇する、
なぜか偉そうな 身勝手な態度で 
こちらに何かを言って来たりする男の人は、
その態度にすでに 
低能さと 傲慢さが滲み出ているので、
「こいつもどうせ痴漢のくせに」と 
心の中で馬鹿にしていた。


もちろんそんな気持ちは表には出さず、
礼儀正しく受け答えをしてはいたけど。


たぶん私は
はっきりと〈男性嫌い〉とも言えるような、
考えを持っていたと思う。


でもほんとうは
私は
男の人たちに とても憧れていて、
「私も男に生まれたかった」
と思っている女の子だった。


最初の動機はくだらなくて、


家で いつも夕食の後は
弟たちは居間でTVを観るのも、 
部屋に行くのも自由なのに、
私だけ
「お前は女なんだから皿を洗え、台所を片付けろ」
と言われて、
一人で家族全員分の食器の洗い物をすることを
強要されていたから。


毎日 電車通学で身体が疲れているのに加えて
お姉ちゃんだから 女だから 
という理由で
家事手伝いにも時間を取られるから、
自由時間も 勉強時間にも
私はなかなか辿り着けないのに、


家から徒歩10分の地元の公立校に通い
帰宅後の時間がたっぷりとあって
身体も大して疲れていないはずの弟たちは
何の家事もさせられていない… と
不満に感じていたし、


もっと小さい頃からずっと
私が本を読んでいると
本ばかり読んでいないでもっと家の手伝いをしろ!
と怒られるのに


弟たちは
もっと本を読んで勉強しろ!と言われていたから、
「わたしあっちがいい、羨ましい…」
と本気で羨ましく思っていた。


別の理由としては


電車通学を始めて
最初の、中学一年の時は
電車の中で主に教科書を読んでいたけれど


中二からは
同じ電車通勤の両親 それぞれが
通勤中に読むために 次々と買っていて
家の本棚にたくさんあった文庫本を、
好きに選んで読むようになったことが
きっかけだった。


小説、ノンフィクション、対談集、エッセイ…
いろんなジャンルのものがあって、
それぞれが とても面白かったけど


その中でも
父が好きで買い揃えていた
司馬遼太郎の作品を 私も好きになった。


『燃えよ剣』『竜馬がゆく』『義経』
『世に棲む日々』『坂の上の雲』……


そんな本の数々を読んでいると


私も男に生まれたかった、
男の人っていいなぁ
日本人って、いいなぁ
昔の人は すごいなあ…
私もこんな風に こころざしをもって一生懸命に生きたい。
私も出来たら 人生で何かを成し遂げたい…


通学電車の中で そんなふうに 
昔の日本の男性達に
心からの憧れと、尊敬を感じているような瞬間に


私と本との 穏やかで幸せな時間を
いきなり傍若無人に叩き壊して
邪魔して来るかのように


卑劣な劣情丸出しで
おしりを触ってくる感触がして


一瞬、 
背筋が凍るような 恐怖を伴った驚き


すぐにそれを追いかけるように
「昔の日本男子は、きっとこんなじゃなかった」


たった今まで思いを馳せていた、
かつてこの国に たしかに存在していたはずの、
〈誇り高い日本人男性〉たちは
いったいどこに消えてしまったんだろう………
という思いで 胸がいっぱいになって


本当に、本気で、 
心の底から 情け無さを感じて、


今なら
「てめぇ、恥ずかしくないのかよ!」
と その手を払いけるか、
喉元を締め上げるくらい出来そうだけど
(少なくとも脳内シミュレーションでは)


その頃はまだ中学高校の ひ弱な子供で、 
普段からも 自分の意思を 
自分ですら尊重していなかったのも 
たぶんあったから、


痴漢行為そんなことをされても ただ 
逃げることしか出来ずに、
ひたすら情け無さに涙ぐみながら
それと同じくらい 深い悲しみにも 
心が打ち砕かれていた…


それでも そんな目に遭いながらも、


きっと世の中には
真面目で、賢くて、人に対しても誠実な
本当に魅力的な男性も たしかにいるはずだ。
私はそんな人と出会いたい。
心から尊敬できて
私のこともちゃんと認めて、尊重してくれる
ほんとうに立派で 素敵な男性と…


少女らしいそんな想いも 小さくではあったけど
密かに持っていた。


今はもう 昔の人がみんな、現代人よりも
優れた人格を持っていたわけじゃないことを知っている。
どんな時代でも、
どんな国に於いても、
性犯罪を犯すゴミ共は一定数 存在していたことだろう。


でも10代の頃はまだ世間知らずだった。
だから 現代人は昔の人に比べて遥かに劣っている
と思っていて、
現代社会で希少と思われる『本当に価値ある男性』と
運よく出会えることを ただひたすら
まるで 
宝くじに当たったらいいな 
くらいの希少さを想定して、願っていた。


こういった犯罪に対して よく
「減るものじゃあるまいし」
「大したことじゃないだろう」
「大袈裟に騒ぐな」等といった、男性の声を聞く。


加害者の、傲慢で 正確な状況判断力に欠けた、
洞察力皆無の、的外れで責任逃れの意見だ。


痴漢等の性犯罪は
心体しんたいだけでなく 
その人物被害者の精神と尊厳も、同時に損壊している。


ひとりの人間に対する 
決して元通りには戻せない、 
復元不可能な、不可逆的損壊を
自らはいったい
どんな権利と どんな覚悟をもって
行なっているつもりなのか…


こいつら、なんで生きてるんだ。
こいつらに、生きてる価値なんてあるのか。


わりと本気でそう思ってる。
特に子供に対して
そういう事をする痴れ者どもにはね。


私が自分の人生で 初めて
世間一般の〈男の人たち〉に持った、
実体験に基づいた、最初の印象は


こんな感じの 最低のものだった。


痴漢を含む性犯罪者は、 
普通の 良識ある
痴漢する事など考えもしない男性達の中に紛れ込んでいる。


もし外から簡単に見分けることが難しいなら、
あなたならどうする?


身の安全のためには
とりあえず全部を疑っておいた方がいい。


私の基本スタンスは それだった。


私は男性達に憧れてはいたけれど、
同じくらいの強さで
軽蔑し 嫌悪する気持ちも持っていた。


そういう女性って、けっこういるのではないかと思う。


少子化の遠因の一つにも 
なっているのではないかと思う。


女性の態度がどうのこうのと文句を言う前に
男性達の手で 真剣に
こういう不心得者を 可能な限り社会から完全に
抹殺すべきだと思う。


男性達にとっても 
男性全体の評価を下げる、迷惑で害にしかならない
汚物だから。


ああいう生き物は 女性を下に見ているから、
女性がどれほど苦痛を訴えようが
どんな働きかけをしようが 
全て無意味で、なんの効果も成さない。


男性から言われることしか
きっと真面目に聞かない、耳を傾けない。
彼らが価値があると信じ、考慮するのは
『男の意見』だけだから。


そういう客観的事実を、事実として認識すべきだと思う。


子供のいじめ問題などで言われる
「直接いじめを行わなくても
ただ黙って傍観し 放置しているなら、
いじめを容認し
その行為を肯定することと同じだ」 
という指摘に鑑みるなら


まともな男性達に
連帯責任だとはもちろん言わないけれど、
「あのバカ共を何とかしてくれ」 
とは言いたい。


お願い。(T ^ T)


*****


前回の⑤で
結婚、子供の話題が出た関係で、
そもそも最初から私が持っていた 
男性一般に対してのスタンスも
書いておく必要があるな… と感じて、
この⑥を書きました。


単に文章にするのと それを発表するのとでは
別の勇気が必要で、
決心するのにかなり時間がかかったけど…


じつは別途 
この原体験ベースを踏まえて書くつもりの
構想中の記事がいくつかあり、
書き上げたら 随時発表する予定です。


たぶん
これ↓で書いた考察を 更に深めたものや、

日本人男性と イタリア人男性
それぞれに関するもの
…等になる予定。


この〈来し方〉シリーズもですが
感情や精神的なバランスを取るために
複数の記事を並行して 
悩みながら 少しずつ書いているので、
UP出来るのはもう少し先になりそうですが……


…と、自分を追い込む 鼓舞するために
〈予告〉してみました。
がんばってまとめたいと思います。(๑•̀ㅂ•́)و✧


*****


🌟ご協力のお願い🌟
このシリーズの記事のコメント欄では
私はホスト役をせず、読者の一人に徹したいと思います。

必要と思われた場合のみコメントを書きますが、
基本的に
「コメントどうもありがとうございます」
の気持ちを込めて、
♡マークを押すだけにとどめます。

その点、どうぞ予めご了承ください。

この内容の文章を綴るだけで 精神的に精一杯で
一つ一つのコメントに
きちんとご対応できる自信がないからです。

でもこの記事をきっかけとして
みなさんが感じた事、
思い出した事、
同じような経験、
今の感情や、お考えなどが
心の奥から出て来たら

もし良かったらどうぞご自由に、ご遠慮なく書いて行ってください。

みなさんがそれを書いて下さって、
それを読む人がいて、
経験や想いが
「自分だけじゃなかったんだ」と思えることは、
それだけでも誰かにとっては、救いになると思いますから…


*****


①~⑤はこちらのマガジンをご覧ください:



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Luriha
書いたものに対するみなさまからの評価として、謹んで拝受致します。 わりと真面目に日々の食事とワイン代・・・ 美味しいワイン、どうもありがとうございます♡