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“2人だから出来ること”を大切にする

好きだったカップルYouTuberが
別々の道へ進むことを決断した。

普段カップルYouTuberなんて全然見ないが、
同い年で同じ趣味、同じ付き合い年数、
共通点を勝手に当てはめて共感して
自分じゃなかなか叶えられない夢を、憧れを
彼女たちに重ねて見ていた。

そんな大好きな2人の別々の道へ進むという
報告動画が上がった。
原因は分からないし、2人の問題だから
私たちが首を突っ込むなんて
もってのほかなんだけど、
寂しいものは寂しい。

彼からのオススメで見始めたというのもあり
この事実を彼にも報告し少し2人で話し合った。

私と彼も、気づいたら4年という月日が経ち
大学生だった私たちは、成人し、社会人2年目に突入していた。

動画を一緒に見ながら
思ってること、これからのことを話した。

価値観が違う2人が一緒になること


以前にこんな記事を自分で書いていた。

恋人に限ったことなく、友人関係でもそうだが
身近な異文化交流を私たちは常日頃行ってる。

産まれてすぐ所属するコミュニティは家族。
家族独特のルールや環境を通じて人格や
その人の『普通』が形成されていく。

そこから成長に伴い、
学校などのコミュニティの輪が広がり、
出会いが増え、その人の人格や『普通』が
アップデートされていく。

各々が自分の中の『普通』を
時には理解をし、時にはぶつかり合うのが
コミュニケーションだ。

どんなに仲がいい恋人同士でも友人同士でも
お互いの育った環境も『普通』と感じることも
違うのだからぶつかってしまうのは
しょうがないことではないかなと思う。

『妥協』が出来るかどうか

だからこそ、私は人付き合いの中で
『妥協が出来るか』が大事だと思う。

妥協と聞くと耳心地が悪いかもしれないが
『許せるかどうか』といったところだろうか。

自分の中の『普通』を相手に押し付けたり
曲げなかったりすると、自己中心的な考え方になってしまう。
それはコミュニケーションが取れてるとは言いにくい状態だ。

自分の中の『普通』を基準値として、
相手の『普通』を許せるか、
つまりは「あ、そういう考え方もあるのか」と
納得出来るかどうかが大事だ。

もちろん納得出来ない時はその人との縁を
ちょっとずつ離していってもいいし、
納得出来なくても、それ以上にその人に魅力が
あれば目を瞑るなりなんなりしたらいい。

そう考えられるようになってから
私は人間関係がちょっと楽になった。

誰にでも好かれようとしすぎてしまって
上手くいかないたびに傷ついて、
自分で自分のことも傷つけてしまって、
そうしてるうちに自分の根の部分がブレてしまうので、あまり良くないと思う。

あくまで自分の育った『普通』を大切にした上で
相手の普通を受け入れる、それをまた自分に吸収してアップデートまで出来る人が真のコミュニケーションがある人だと思う。たぶんね。

『2人だからできたこと』モードに。

話が逸れてしまったが、
全く自分と同じ人間はいないのだ。
100%噛み合うことも難しい。

つまり何が言いたいかというと
お互いが依存せずに過ごすこと。

例えば一緒のやりたいことがあった時、
それは「必ず2人じゃないと出来ないことなのか」を考える。

「〇〇と休みが合わないから」なんて言い訳をしてなかなか行動に移せず目標に達成することができなかったとき、どうしても相手のせいにしてしまう。それは良くない。

良くないと言いつつ、ついやってしまう。
ちなみに私はよくやる。

あくまで、つま先を同じ方向に向けて
それぞれ歩き出すというイメージ。

お互いがお互いに自分に責任を持って
転んでしまった時は助け合いながら
お互いを高め合っていくのがいい関係性なのではないかなと思う。

そうすれば相手に依存してしまう時よりも
圧倒的に関係性も自分の心も良くなるはず。

全く環境も違う2人が一緒になり
それがかけ合わさった化学反応が『2人だから出来たこと』だと思う。

『2人じゃなきゃ出来ない』モードから
『2人だから出来たこと』モードへ。

それが良い関係性で入れる1つの理由かなと思う
これはnote用に私が深めに考えて書いたが
実際はもっと軽い感じのニュアンスで話して
最後2人でグータッチをした。 

ま、気を追いすぎず、
でも大事なことは心に留めておきながら
ゆるく生きてこうぜって話。

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