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世の中から必要とされたい

無職。
たぶん、もう人生で6回目くらいの無職期間。

私は仕事が続かないくせに、「働いていない状態」に耐えることも難しい。

なんかこの、自分が消えちゃっても誰も悲しまない感じ。どこからも誰からも必要とされていない感じ。命だけ与えられて「存在させて "もらってる" 」感じ。肩身が狭い。


私の持論の中で
「悪いのは自分でも相手でもない、相性!」
というのがあって、その考え方を取り入れ始めてから色々と楽になった部分も大きいんだけど……

突き詰めると、私と世の中の相性が悪い。

私の性格と「人間の人生」の相性が悪い。

私の価値観と「世の中そんなもの」って言われる人生の相性が、あまりにも悪すぎる。


職場との相性が悪かった〜なんて言って様々な職場から逃げ惑っていた20代。履歴書に20代って書いてあればだいたいなんとかなるし、軌道修正だってやりたい放題だった。

30代になった今、ものすごく焦りが出てきた。

たいしたスキルもなく職歴もブツブツに切れているものばかりで、適職と呼ばれる領域もものすごく狭い。「こういう環境は無理」「こういう仕事内容だと病んですぐ辞めるのが目に見える」「できればこの条件は譲りたくない」、そういうものがあまりにも多すぎる。

お金がなくなっていく一方……という状況も焦る気持ちをもちろん加速させているのだけど、お金よりもなによりも私は「自分が生きている意味」=居場所がほしい。だからなんとなく「あ、ここは居場所じゃないな」って思った職場は相性が悪かったことにして逃げ続けてしまった。

繊細な感受性よりも、適応能力がほしかった。

潔癖症じゃない人とか、おおらかで動じない人とか、「私あんまりなにも考えてないんだ〜w」って笑える人とか、物事にあまりこだわらないタイプの人がうらやましくてたまらない。


かつて熱中していた音楽活動 (歌、ピアノ、アコーディオン、踊り) も自分の能力の限界を感じてやりたい気持ちがあまりなくなってきてしまったし、半年前はスラスラ書けていたnoteも最近あまり書けなくなってしまった。

このありあまる感受性や「考えすぎていること」を昇華できる唯一の道が「芸術」だったのに、なんかここ最近は芸術が自分の友達どころか「重たい背後霊」みたいになってしまっている。自分の豊かなはずの感性は、私の心を苦しめるだけの存在になってしまった。

私は昔から「B型」「イエベ春」「骨格ウェーブ」「HSP」「INFP」こういうカテゴライズがすごく好きで、カテゴライズされると安心しちゃって、カテゴライズに囚われてしまう。

うまくいかない諸々のことを、何かのせいにしたかった。自分だけが100%悪いわけじゃないと思いたくて、「努力不足」のひとことで片付けてほしくなくて、もしかしたら発達障害なんじゃないかって思って藁にもすがる気持ちで調べまくったりしていた。

周りに「〇〇なんだから仕方ないじゃん!」「〇〇なんだから労わってよ!」なんて言うつもりではなくて……ただこう、なにかがあった時に自分を責めずにいられる理由みたいなものが心のどこかにほしかった。

自分の中に特大のいじめっ子がいて、どんなに全くパワハラのない職場へ行っても周りの人に恵まれても、自分の中にいるいじめっ子から逃げることができない。これ以上自分を責めてボロボロにしたくない。


自分で自分を褒めてもどこか嘘っぽくて信用できないから、だからSNSにのめり込んだ。いいねがくると嬉しいし、必要とされてる感じがする。でも最近は自分から出てくるアウトプットなんて大したことなくて、SNSのもっとすごい人とか人気の人を見て落ち込むばかり。どうしたらいいんだろう。


仕事でも趣味でもなんでもいいから、必要とされたい。「生きててもいいよ」って自分にOKを出してあげるには、どうしたらいいのかな……

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