ナンプレ人生論〜選択肢に "吸い込まれる" のも悪くない〜
ここ最近、ハマってるものが2つありまして……
ひとつめは、
ゆり子さん著『エスプレッソ・コーラ』という漫画です。(全77巻、なんと無料で読めます……え?)
こちらの内容は
さまざまな障害を抱えた子どもが通う「療育」の現場の話。
私は大学時代 (保育専攻の必修科目として障害児保育の授業を受けていた頃) からずっと「診断はしていないけれど、私にもASD (知的障害を伴わない自閉症) の気が結構あるのではないか?」と思って生きています。なので色々とヒントになる話が散りばめられていてすごく興味深いのです。
更には「真面目な障害児漫画」…でありながらも
療育施設が抱える謎の闇部分についてのミステリー的な伏線があったり、登場人物たちの心の中のツッコミがリアルで面白かったり、漫画としてもめちゃめちゃ面白いです。
ご興味ある方、ぜひぜひ!!
1冊1冊が本当にずっしりしているのに77巻も無料で読ませていただいて本当にいいのだろうか?と思ってしまうのですが、気付いたら夢中になって読んじゃってること請け合いです。
でね、このエスプレッソ・コーラの18巻の中に
「言語性IQ」と「動作性IQ」
の話が出てきたんです。
ガッツリというより、話の流れの中でサラッと。
でもこのサラッと出てきたひとことが、
これまで私が生きてきてモヤモヤしていたことを腑に落としてくれたんです。
そうか!私は動作性IQが低いのかも!!
(言語性IQはそこそこ高めだと思うから、きっとバランスがよくなかったんだ。)
これまで、地頭は悪くないと言われていたのに
立ち仕事になると極端に動けなくなってしまったり
自分の作業が綺麗にできているかどうかに気付くことはできるのに、不器用でうまく綺麗に作業できなくてフラストレーションがたまったり
部活 (吹奏楽でした) の楽器を運ぶ場面とかで
誰が何を運ぶ、みたいな係が特に割り当てられてなくて何をやっていいかわからずまごまごしているうちに「やろうとしてた仕事」をとられてしまったり
「よく気づく」と言われる割には気が利かなくて、なんか相手のしてほしいことをササッと身軽にできなかったり
どうにもテキパキ動くのが苦手だった理由は動作性IQの低さによるものだったのかな、と思うと自分の中で色んなパズルのピースがぴたっとハマったような納得感がありました。
いい漫画に出会えてよかった。
ゆり子さん、ありがとう。まだまだ読めていない巻がたくさん残っているので、これからもじっくり読ませていただきます。
そしてもうひとつハマっているもの。
タイトルにも出てきてるナンプレです。
よこライン・たてライン・3×3の四角の中で
1~9の数字が全部入る (重複しない) という、
言葉で説明するのは難しいんですけどやってみたら「あーなるほどね!!」ってなる系のゲームです。
なんというかね、すごく仕事っぽいゲームというか、従業員のシフトを地道に組んでるみたいな気持ちになります……笑
でも私こういうのとっても好きなので
めちゃめちゃハマってこの土日はナンプレばっかりやって過ごしました≡┗( ^o^)┛≡┏( ^o^)┓
ナンプレはたぶん、
考えうる可能性 (選択肢) をひとつずつ潰していくゲームです。
なんとなくそれが人生みたいだなぁと思って……
私いままで、
成長とか「年齢と共に生きやすくなる」とか
人生経験を積んで行った先に見える景色って
こういう、登っていくイメージとか
開 (ひら) けていくようなイメージが強かったんです。
登った先で新しい景色が待ってる!みたいな。
でも、実は地下に潜っていく感じもアリなのかもな〜とナンプレをやりながら思ったんですよね。
ナンプレの最初のほうって
数字が埋まってなくて空白すぎて、つまり
選択肢が多すぎてよくわかんないんです。
このマスに入るのは1かもしれないし、5かもしれないし、6かもしれないし、7の可能性もある。もしかしたら8とか9かもしれない……みたいな。
それをメモ (という名の人生経験) を見ながら
「あ、でも6じゃなさそうだし7は同じライン上にある……8も四角の中にあるし、9は隣のマスっぽいな!じゃあここは1か5のどっちかしか入らないな!」こんな感じで、だんだん炙り出していくんですね。(言葉だとすんげー伝わりにくいw)
年をとると年齢的な衰えや年齢制限だったり
結婚とかのライブイベントだったり
自分の経験を元に「この選択肢はナシだわ!」という判断だったりで、無限にあったはずの選択肢が縮まっていくようなことがわりかし多いですよね。
でも、それを残念に思わなくてもいいのかなって。
むしろ「自分の入るべきマスはここだ!」
というものがだんだん炙り出されてきて、色んな人たちがそれぞれ収まるべきところに収まっていく感じというか……みんなが「自分がいるべき (居心地のいい) 場所」に落ち着くことって、自分にとっても快適だし&大きな目で見れば世界がよくなることにも繋がると思うんですよね。
私がnoteとかで文章を書くと
「適材適所!みんな違ってみんないい!」
「みんなそれぞれ違う個性や好みをもっている!だからお互い尊重し合って、みんなそれぞれ快適に自分らしくイキイキしよーぜ★」
的な結論になりがちなんですけどw、
たぶんそれが私の中の揺るぎない価値観なのかなぁと思います。
ちなみに冒頭で出てきた発達障害の話なのですが
これもレッテル貼りではなく、「生きやすくなるためのグループ分け」なのかなと思っています。
草食グループの動物は草を食べれば体への負担が少ないし、水辺グループの生き物は陸だと辛いから水に入ればいい (その中でも浅瀬グループとか深海グループとか色々分かれる) し、空気が澱んできたときは植物グループたちに頼ればいい……というように
グループ分けをすることによって
その人の生きにくさや課題を解決する手立てが見えやすくなったり、その人が快適に過ごせて能力も活かせる環境がわかりやすくなったり、するんじゃないかなと思っています。
ばーーん!と広い世界を提示されて
「はーい好きな場所を見つけて住んでねー!!」
と言われると、私みたいな人間はけっこう不安になってしまいがちです。選択肢が多すぎると、どうしていいかわからなくなってしまうんですね。
なので、私は30代になってから
20代よりも選択肢が狭くなって少しだけ生きやすくなったような気がしています。(たまに失った選択肢を見てため息をつくときもありますけどね笑)
動作性IQが低くて、周りの音や温度変化に弱いならばそういう環境を避ければいい。パッと見では選択肢が狭まったように見えるけれど、「自分に合う場所を見つけるために必要な旅程距離」が短くなったと思えば……ちょっと気が楽になりませんか?
ちなみに今まで好きだなと思った仕事、
わりとナンプレっぽいものばかりです。
地味だけどなんかハマっちゃうんだよなー!という、細かくてチクチクした作業がやっぱり好きなんですよね〜!!
逆に私が好むような仕事って、動作性IQの高いかたにとっては退屈でウズウズしちゃうんじゃないかと思います。だからこそ人間社会、すべての職業にちゃんとバランスよく従事者が行き渡ってるんですよね。(人手不足とか待遇とかの問題はあるけど)
昨日は勤労感謝の日でしたが
いろんな人のいろんなバランスで社会が成り立っているんだな〜とふと考えてみると、それって結構すごいことだよなと思ったりします。
毎日食べて生活できる世界を作ったり保ったりしてくださっている皆様、ありがとうございます!!私もなにかの役に立てるように頑張りますね。