愛について
元来私は今の言葉で言う、くさい人間なので
愛についてよく考える
語り癖があるし恥ずかしいセリフを平気で言ってしまうらしいけど私に言わせてもらえばその場で思いついた良い言葉は相手に伝えるべきだと思う。そうじゃないと忘れてしまうし伝えられて嫌な人間はあんまりいないと思うから
愛には色んな形があると思うし人それぞれ思う愛の形は違うと思うので私の言う形は愛ではないと言われてしまったらそれまでやけど、そういう意見は受け付けたくない
私は私の人生しかしれないし私の感覚しか知れないのでそんなことを言われてもよくわからんから
なのでもしこれを読んでくれてる人がいて、私の書いてることについてそれは違うやろ、と思っても、こういう風に思う人もいるんだなぁと思って忘れて欲しい
愛されないと愛せないし、愛されてるなと思わないと愛そうと思わない気がする。愛に見返りを求めるのは間違ってるとまあまあ聞くけど私は求める方だと思う
大切にしてくれないひとを大切にすることほど自分を愛してない行動はないと思うから
けどそれでももし、心から愛して仕方ない人から暴力を振るわれてその後に泣いて謝られたとしたら、私は涙の方を信じてしまうんやろうなと思う けどそこには私の愛しかなくて、客観的に考えるとめちゃくちゃ寂しいなと思う
自信があるかどうかと愛は結構関係あると思っていて、私は自信が本当にとてつもなくないので自分を愛してくれてるとちょっとでも思ってしまうと、それが真実でなくても、その人を手放したらこの人以外誰もいなくなってしまうと思ってしまう その人が世界の全てになってしまう
けど自分に自信を持っていて、そういう人には色んな愛が注がれると思っているし、色んな愛を知っている人は本当の愛とそうじゃないものを見分けれると思うし、そこだけが世界ではないから、そうなりたいなと思う
ここまで語っているくせにいつも愛されたい人には愛されないし、むしろ嫌われてしまう
嫌われてると思ってるだけかもしれないけど、自分の感覚は信じるべきだと思うし割といつも当たってる
かなり頻繁に愛されたい人に愛される人達はどうしてるんやろ、と思うけど見た目もあるんやろうなと思う
人間は中身!心!と言うけど、そうであって欲しいと思うし自分もそう感じる人間でありたいとは思うけど
例えば何にもお風呂に入ってなくて髪の毛もムダ毛も眉毛も何も整えていなくて服装も汚い人間に初見で近づこうと思う人はあんまりおらんと思うし私もそう
見た目のいい人の隣に並んだ私はそういう風に見えてるんじゃないかなと思う 見た目が大事っていうのはそういう意味も含んでるんかなぁと思う
愛されたいならそれなりの努力が必要ってことなんかなと思うけど、愛されたい相手のために努力をしてもし拒絶されたらと考えたらその人が世界の全ての私にとっては絶望以外の何者でもなくなってしまう
沢山の愛を知らないといけないのかと思うとそんなに愛される自信もないから愛について考えてると最終的に絶望に到着する
推しという存在いるけど、推しが注いでくれる愛情は私だけに注がれてるものでは無いからどうしても満たされない部分が出てきてしまうし、周りにいるただ1人に愛される人を見てしまうとどうしても悲しく寂しくなってしまう
私の推しは会ったことも会える可能性もない、本名も年齢も誕生日も知らない相手だけどどうしようもなく好きなのでこれが見返りを求めない愛なのかなとか思ったけど寂しいと思ってる時点で何かを求めてるので申し訳なくて好きでいることが申し訳なくなって来る時が多々ある
結局私は求めすぎなのかもしれないし、高望みというか、孤独に耐えられない、かと言って自信が無いと嘆いてる鬱陶しい人間なのかもしれないけど、どう考えても愛されたいから仕方ないよねと思う
こういうこと書いてると何が言いたいか、分からなくなってくるし何について書いてたっけ?となるので私にはつくづく文才がないな
もしここまで読んでくれた人が居たらありがとうございます。
愛されたい人たちから拒絶され続けてきたから20代前半で既に愛が怖くなってきてるし人間に期待しなくなってしまいそうやけど、そうはなりたくないからもう少しもがいて生きていようと思う
早く寒くなって寂しいと言う事が言いやすくなる季節になって欲しいなと思いつつ今日も抱き枕を抱いて寝ます