タオの本(プーさんに教わる)
タオに関する本に始めて触れたのは、『タオ心理学』というジーン・シノダ・ボーレンの本だった。
タオと共時性について書かれた本で、20代だった私が今まで感じてきた不思議について書かれていて、面白くて一気に読んだ。
思いがけない、しかしたんなる偶然とは思えない出来事、出会い、夢、予知。それらの謎の深い意味を、日系米人の女性ユング心理学者が、身近な体験を上げながら、アガサ・クリスティー風に絵ときする。
という本の説明。
小さい時から、感じていた不思議。
先ほどまで考えていた人や、話題にしていた人がやって来るとか。
もう手に入らないと思っていたものが、かなり時間が経ってから絶妙なタイミングで手に入るとか。
「わたし」に心の準備ができたとき、ちょうど「あなた」がやってくる。
共時性=シンクロニシティの世界。
「弟子に心の準備ができたとき、師匠が現れる。」
タオ。道教に初めて触れた本だ。
何より面白いと思うのは、タオとユングが結びついた本であることだ。
タオのように流れのままに生きている時、ユングの共時性がやって来る。
ちょうど私に心の準備ができた時に、この本が私の元へやってきた。
「すべては丁度良くできている。」
夢でシンクロニシティが起きる時、断片的に見たものをつなぎ合わせると、
「そういうことか!」
と気づくことがある。
そして、日常生活に思い当たることが起きてくる。
「あなたは私。私はあなた。」
ザブン!と海から出てきた人に、そう言われてハグされた夢をみたことがある。
転機に見る夢の特徴も自分なりに掴んでいて、
変化の前に出会う人にも必然性があることも、おぼろげながらに感じていた。
後から思えば、うまくいかなかったことは、ここに繋がっていたのか。
一見よくないことに思えたことが、今の自分に大いに役立っていたり。
命を助けてくれることすらある。
なぜか?
無理に通そうとしても、時期でなければうまくはいかない。
流れに任せていると、願っていたことが思いがけなく叶ったりする。
そして、その少し前に、その場所へ導いてくれる人や本が現れるのだ。
アートセラピーを学ぼうと思ったのも、少し精神的に落ちていた時期だった。
それでも、変化が来ると思い、学ぶことを「決めた」。
そして、同時に、その師に出会えた。
心の中で「決める」ということも実は大切で、その方向に自分で舵を切ることで、新しい何かを呼ぶ。
上記の本の次に読んだのが、
『タオのプーさん』だった。
「くまのプーさん」から老子の道教を読み解く一冊。
この説明が、とても好きだ。
童話が童話でありうるためにはその裏に何かがあるから童話なのだ。
人生をものにする人は”道”を知っているという。それは、どこまで”あるがまま”の自分と対峙できるのか、自分のうちなる声、素朴な知恵の声、りこうさを超えて判断し、知恵を超えて知る声に耳を傾けているかだ、と説く。それがなかったら、絶対に森を抜ける道を見つけることができないのだ。それこそが、プーの道。
プーに教わるタオは難しくない。
本当は、とても深い思想なのだけれど、
タオとは、無理に何かを為そうとすることではないと、プーが教えてくれる。
道教の思想の源は老子と荘子にあり、老荘思想と呼ばれている。
お酒の名前にもある、上善如水(じょうぜんみずのごとし)もそうだ。
最高の善は水のようなものである。
万物に利益を与えながらも、他と争わず器に従って形を変え、自ら低い位置に身を置くという水の性質を、最高の善のたとえとした言葉。
タオは、無理に何かを為そうとすることじゃないよ。
頭の中を空っぽにして、プーさんのように生きてみよう!
必要な知恵はもたらされる、と信じた一冊だ。
書くこと、描くことを続けていきたいと思います。