伯父と伯父の命日
今日は、私の大切な人たちの命日だった。
父方の伯父と母方の伯父の命日が、同じ日なのである。
ふたりとも、私のことを本当に可愛がってくれた。
父方の伯父は、30代の若さで他界したが、私が生まれてからずっと、生きているうちにたくさんの写真と、フィルムを撮ってくれた。
何冊もあるアルバムは、伯父が作ってくれたもので宝物だ。
誰にでも愛される伯父が他界した時、たくさんの大人の男の人が泣いていたのを覚えている。
野球と山を愛していて、墓誌にもその記載がある。
祖父母よりも先に逝ってしまったので、赤御影石の墓石には、伯父の流れるような文字をそのままトレースして彫ったのだった。
他のおうちに真似されるくらい、スタイリッシュな墓石で気に入っている。
誰の言うことも聞かない天邪鬼の弟である私の父も、兄である伯父の言うことだけは素直に聞いていたそうだ。
常にビッチャーの父、キャッチャーの伯父。
その血を引いたのか、私の息子には伯父の面影が強くある。
生まれ変わりで私を守りにきてくれたのではないか?と思う時がある。
野球一筋なのも、そのせいかも知れない。
母方の伯父の命日も、偶然にも今日だ。
いつも、私が小さい時の話を聞かせてくれて、うははは!と笑って頭を撫でてくれた伯父。
私が行きたいところに、どこでも連れて行ってくれた。
やはり、山が好きで、本とクラシックが好きだった。
史学が好きで、面白い話をよく聞かせてくれたのを覚えている。
そんな伯父と伯父は、気が合って仲良しだった。
ふたりともお酒が好きで、楽しいお酒を好んだ。
一緒にお酒を飲んでは笑い合っていた話を、祖母がよくしていた。
今日は一緒に飲んでいるだろうか・・・。
きっと話題には事欠かないふたりだけれど、ちょっとでいいから私の話をしてくれているといいな。
月を見ながら、そんなことを思った。
温かい手や、本を読んでくれたこと、お菓子を買ってくれたこと。
可愛がってもらった子どもは、そんなことを覚えているものだ。
たいてい、親が禁止しているものを、
「内緒だぞ!」
とさせてくれるのが伯父たちだった。
祖父母ともまた、ちがう。
もっともっと、生きていて欲しかった人たち。
大人になってから、もっと面白い話をしたかった。
生きていく上での相談もしたかった。
私にとっての楽しくて素敵な伯父さんたち。
でもきっと、また会える。
天国に行ったら、お酒を飲みながら、振り向きざまに
「よお!来たか!」
なんて言うかもしれない。
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