猫と暮らすという夢・・・と鳩
自分の誕生日がまもなく来ることを思っていたら、大事な家族(猫のマロ)に送られてきたバースデーカードを思い出した。
一枚のハガキがこんなに嬉しいなんて!
家族の私が嬉しくなってしまう。
猫保険の会社から届く、バースデーカード。
マロと暮らせる毎日は宝物。
もちろん、本猫もお気に入りのようで、わざわざ飾ってある棚に昇っていた。
「よかったね!お誕生日おめでとう!」と見せたら、ちゃんとわかるのだ。
実の子に「ほんとうの猫っ可愛がりだね。」と言われるほど、溺愛している。
猫だもの。
いいのだ。
束縛されるのが嫌いなのに、私にぎゅーっとされて迷惑な顔をしている。
猫の模様について話していたら、
「上からミルクをかけて、はじいた形みたいになるらしい。」
と言った友達がいた。
細胞分裂するときにそうなるのか、全然わからないけれど、なるほど地図みたいに離れたところが繋がるように見える。
緑色の目をしていて、声のトーンは高め。
すごく頑固で気まぐれな雄猫である。
幸運の鍵尻尾で、猫では極めて少ない血液型B型。
私が子どもの頃、よくドラマであるように、
「うちでは飼えないのよ。返してきなさい。」というエピソードが我が家でもあり、泣く泣く猫とお別れしたことがあった。
いつか必ず猫と暮らすという夢は、大人になって忘れた頃に叶った。
願ったことは必ず叶う。
猫の前に私がほしかったのは、伝書鳩だった。
それで、ある日、怪我をした鳩を家に連れ帰った。
足に住所を巻きつけて段ボール入れてテーブルの下に置いたら、これはさすがに母から大目玉をくらい、「すぐに返してきなさい!」
と、こちらも泣く泣くお別れした。
はずが・・・、ピンポーンと玄関のチャイムが鳴り、
「お宅の鳩ですか。」
と、足に巻いた住所をちゃんと開いて見た知らないおばさまが、再び家に連れてきてくれた。
もちろん、以前より大きな雷が落ちた。
束の間だったが、鳩と家族になったこともある。
自分の子どもにそのエピソードを話したとき、息子も娘も声を揃えて、
「え〜!そんな子どもが自分の子どもだったら、絶対いやだ〜!」
と言った。
さすがに、親になった今、そんな子どもが家にいたら困るな、と反省した。
まろにえ橋で保護したから、マロ。
片手に乗るくらいの小さい猫は、動物病院の先生によると
「生後3週間くらいだね。」
とのこと。
だから、誕生日は暫定の日にち。
小さかった子どもたちは、可愛がっていたぬいぐるみに興味を示さなくなった。
マロはスターである。
子どもの友達もみんながマロに夢中で、家の前の公園は『マロ・スタジアム』通称マロスタという冠球場となり、放課後は集合して野球三昧だった。
とにかく、今も昔も可愛がられる猫である。
ふわふわしているのに、気まぐれ。
振り返りざまに「にゃにゃにゃにゃー!」と激しく怒ることもある。
ほぼ人間感覚で生きている。
疲れたなあ、と思うときにはスーッと横にいてくれる。
いい男だなあ、と思う。
口の周りにホクロがあるので、ほんとうに食いしん坊である。
私のしあわせが、マロのしあわせでもあるといいな、といつも願っている。
私に構われすぎて、マロは迷惑しているようだ、と実の子どもは言う。
しかし、マロのおかげで君たちは私に放っておいてもらえているのだよ、とニヤリとしながらマロを撫でている。
一度、義父と喧嘩したことがあった。
血統書付の猫じゃないのか、と悪気なく言われて。
悪意があったわけではないので、ムキになって申し訳なかったけれど。
でも、人間も動物も同じ。
すべての生き物がユニークなんだと思う。