Gift from the Sea Re-opened
あまりに有名な、アン・モロー・リンドバーグの『海からの贈りもの』を最初に読んだのは、20代だったと思う。
1950年代に出版されたものだが、長く読み継がれている。
最後の一章は、1975年に再び本人が書いている。
題名が『「海からの贈りもの」を、いまふたたび開いて・・・・・。』である。
この新しく加えられた一章を載せたい、と落合恵子が訳し、1994年に出た。
帯のコピーは、今の時代なら違うものになるだろう・・・。
アン・モロー・リンドバーグが、1975年に最後の章に書いている文章。
もっとも重要なことは、率直に、そして誠実に、彼女たちが男たちに向けて話しはじめたことだ。しばしばそれは議論を吹っかけているようにとられたり、挑発的に映ったりもするが、彼女たちはかつて一度も公に語られなかったことを言葉にしようと必死の努力を重ねているのだ。(中略)現在、個人的にも地球規模であっても、世界が直面しているもっとも凶悪なる問題は、女だけとか、男だけといった一方の性だけで解決できるものではない。女と男が協力しあってこそ、解決できるものであるのだから。
これが1975年という、今から46年前の話である・・・。
最後に一章加えられて出されたのが、27年前。
今なら、男女という括りだけではないとしても、日本はやはり遅れている。
当時の状況につき、訳註がある。
キャロリン・ハイルブランの評論『女の書く自伝』の中で、女が表現活動をする時、そしてそれを率直で偽りのないものにしようとする時、どれほど多くの外側と内側からのプレッシャーを越えなければならないかについて、記している。(訳註)
オリンピックの一件でこの本を思い出したのは、やはり、私も20代の頃に越えられない壁に憤りを感じたことがあったからだろう。
同じ総合職でも男女で給料には若干の差があったし、結婚したら辞める規則が、そのうちに産休が可能になり・・・と言われても、将来の展望はまるで描けなかった。
それでも、恵まれている環境にいることに感謝していた。
働けるありがたみを感じていた。
何か別のことを考えねばならないのだろうか、と悩みながら手に取ったと思う。
女性側の意識改革も必要とされているのだろう、と思いつつ。
今では、人間としての意識改革であるが。
人生の時期を貝にたとえており、古くならないのが不思議な本だ。
率直な内容で、無駄がないように思う。
海が好きな私には、本当に贈りものである。
海辺にて・・・その時わたしは、浜辺と同じように、どこまでも続く空っぽなものになる。
にし貝・・・どれだけ多くではなくて、どれだけ少ないもので暮らすか。
つめた貝・・・わたしたちは結局、みな孤独である。ひとりでいるということを、もう一度はじめから学びなおさなくてはならない。
ひので貝・・・この世にたったひとつのものなど存在しない。あるのは、たったひとつの瞬間だけ、だ。
牡蠣のベッド・・・中年は、ほんとうに自分自身でいられる年代なのかもしれない。
あおい貝・・・現在よりもっと成熟した人間の繋がり、ふたつの孤独の出会い。
ほんの少しの貝・・・所有欲は、美しいものを理解することと両立しない。
海を背にして・・・「いま」と「ここ」と「個人」の問題。
『海からの贈りもの』を、いまふたたび開いて
アン・モロー・リンドバーグは、単独での大西洋無着陸横断飛行を史上初めて達成したチャールズ・リンドバーグと結婚し、1930年には米国の女性として初めて最初にグライダーのライセンス取得後、翌年、プロペラ機のライセンスも取得した。
夫と共に世界初の北大西洋の横断調査飛行に加わり、6人の子の母である。(そのうちの一人は、誘拐されて殺害されるという悲劇にも遭っている。)