日本人大学生、スペイン語で英語を教える?(コスタリカ種蒔日記)
「マンゴシェイク1つください!」
色鮮やかで大ぶりな南国の植物の鉢に囲まれた、風通しの良いカフェのテラス席。
私と向い合って坐っているのは、満面笑顔の穏やかなおじさんだ。
これから私にスペイン語の特訓をしてくれる、語学学校の先生である。
ちなみに名前は「イスラエル」。正真正銘、コスタリカ人だ。
取っ手の付いた太い瓶に入った冷たいマンゴシェイクが届いたら、さあ、今日のレッスンスタートだ。
コスタリカで暮らし始めて早々に、私は気づかざるを得なかった。
そう、自分が公用語のスペイン語がさっぱりできないということに。
一応こちらに来る前に、大学で1年間第二外国語として習っていて、しかもなまじ得意科目だったものだから、なんとかなるだろうとたかをくくっていた。
甘い甘い!
モルフォのオフィスにしろホームステイ先にしろ、ここで日々飛び交っているのは、家族やそれ同然の仲間同士の生きた会話。
とにかく早いし、冗談や、内輪でしか通じない話が山ほど混じっている。
日本で週に2回授業を聞いていたぐらいでは、とてもじゃないが太刀打ちできない。
という訳で、私の住むペレス・セレドンの中心街にある語学学校の、1ヶ月マンツーマン集中コースに通うことにした。
月曜から金曜の、朝8時から10時まで。
結構きついスケジュールだが、文句も言っていられない。
何しろこれはただ楽しみのためじゃなく、これからここで生きていくために必要なのだ。
朝7時半にモルフォの介助者の誰かに家まで迎えに来てもらい、バスと徒歩で30分かけて一緒に学校まで行き、クラスが終わったらまた一緒にモルフォのオフィスまで行くという生活が始まった。
全盲の私が語学学校でどうやって授業を受けるのかと不思議に思う人もいるかもしれない。
私には秘密の道具が2つある。
1つは、しゃべるパソコンだ。音声で画面を読み上げてくれるので、すべて耳で聴いて捜査できる。
もう1つは、ブレイルセンスだ。これはお弁当箱ぐらいの大きさの四角い機械で、点字を打ち込むためのキーボードと、点字が表示されるディスプレイがついている。機能的には、点字番Ipadだと思ってもらえばいい。文書を作ったり、録音したり、ネットにつないでメールをしたり、パソコンでできることはたいていできる。
そしてその中に、wordファイルやtextファイルを点字に変換してくれる機能がある。そのような普通文字のファイルをこの機械で読み込むと、その場で自動的に点字になって浮かび上がってくるので、ディスプレイを触って読めるのだ。
つまり先生が授業で使う資料をデータ化して送ってくれて、宿題をデータで提出することをみとめてくれさえすれば、後はほとんど問題なく授業を受けられるという訳だ。 そしてありがたいことにイスラエルは二つ返事でOKしてくれた。
授業の中心は文章を読んでのディスカッションだ。
最初のテキストは、沖縄の話だった。
飼い主の家族と共に隣の島に移り住んだ後も、ガールフレンドの雌犬に会うため元いた島まで何度も海を泳いで通っていた犬の物語。
『マリリンに逢いたい』というタイトルで映画化もされた、有名な実話である。
もっともそれは後から調べて知ったことで、そのときの私は登場する島の名前すらわからず、前に教えた日本人の生徒が沖縄出身だったことからこの話を選んでくれたというイスラエルに、ちょっぴり申し訳ない気持になった。
日本の昔話を紹介するよう言われ、かぐや姫の物語についてプレゼンしたときは大変だった。
いや、桃太郎でもよかったのだけど、前の日本人の子がもう話してしまっていたら面白くない。
それに、主人公が最後月の世界に帰っていくなんていうSFチックな物語が、千年以上前の日本で書かれたことを話したら、イスラエルがびっくりするんじゃないかという期待があった。
ところがウィキペディアで改めてあらすじを調べたら、何しろ古典文学のこと、日本語で読んでも何が何やらちんぷんかんぷん。
それをスペイン語で説明しようとした結果、うんうん言いながら大学の授業ではおよそ書いたことがない長文を作る羽目になった。
とりあえず、あの美しく謎めいた世界観だけでも伝えたかったので、ジブリ映画の『かぐや姫の物語』をお勧めしておいた。
とはいえ授業の雰囲気はとても緩くて、2時間ほぼまるまる教会で出会ったという奥さんとの馴れ初めについて聴くだけのときもあった。
イスラエルは毎朝、まるで初めて会うかのように満面の笑顔で「おはよう!元気?」と言っては、授業中に飲むコーヒーを入れてくれた。
そしてときには冒頭に書いたように近所のカフェに繰り出す。そんなときはとびきり優雅な気分になれた。
そんなある日、思わぬ話が舞い込んだ。
語学学校には、私のようにスペイン語を学んでいる外国人の他に、外国語を学んでいる地元の人たちもいる。
その中の一つ、英語を学んでいる子どもたちのクラスの手伝いをしないかと言われたのだ。
不安がないではなかったが、留学初期で何事もやる気満々だったので、あまり深く考えずに引き受けた。
かくして、日本人の大学生がコスタリカの子どもたちにスペイン語で英語を教えるという、ややこしい事態になった。
土曜日の朝学校に行くと、小学校低学年から中学生ぐらいの子たちが、それぞれレベル別にグループに分かれて坐っていた。わたしは順々にその輪に混ぜてもらい、一人一人自己紹介をしてから、家族のことや好きなスポーツ、色なんかを聞いていった。
本人たちには申し訳ないのだが、子どもたちが英語を母語であるスペイン語風に間違えるのが興味深かった。たとえば、スペイン語では自分の年齢を「わたしは…年を持っている」と表現するのだが、彼らは英語でも同じように、I have …yearsと言うのだ。それを引きずってか、全体的にbe動詞とhaveの使い方がごっちゃになっている子もいた。
日本語を母語とする人が英語を勉強するとき、たとえば三単現のsを忘れるのはよくあるミスだが、母語が変われば間違え方も変わる訳だ。
それにしても、子どもたちは本当に可愛かった。もちろん元気な子もいればシャイな子もいる。でもみんなわたしの質問に一生懸命答えてくれて、言葉につまった子にはすぐに周りの子たちが助け船を出してあげる。 「やる気のない子」はいないように見えた。
「わたしは歌が好きなの!」と言って、その場で元気にディズニーのリトルマーメイドの歌を歌いだした女の子と、
「あなたのお母さんはどんな人?」の質問に間髪入れず”Beautiful!”と答えた男の子には、「ラテンだなあ」と思わず笑ってしまった。
普段子どもに対して人見知りするわたしが、ドキドキしながらもあんなに楽しく過ごせたのは、間違いなく彼ら彼女らのおかげ。
ある日突然現れたアジア人のお姉さんのことを、みんなまだ覚えているだろうか。