人間万事塞翁が馬
国境の近くにあった塞(とりで)の近くに住んでいた翁(老人)は、何よりも自分の馬をかわいがっていた。
その馬は、周りからも評判が立つほどの駿馬だったが、ある日突然、蜂に刺された拍子に飛び出してしまう。
一向に帰ってこない馬の様子に、周りからは翁に同情するほどだったが、翁は「これがきっかけで何かいいことが起こるかも知れない」とだけ言って、我慢強く待ち続けた。
すると、しばらくして、その馬が別の白い馬を連れ帰ってきた。しかも、その白馬も負けず劣らずの優駿で、周りの者は口々に何と幸運なことかと囃し立てたが、翁は「これがきっかけで、別の悪いことが起こるかもしれない」と自分を戒め、決して喜ばなかった。
それから、かわいがっていた息子がその白馬から落ちて、片足を挫いてしまった。周りはまた同じように慰めの言葉を掛けたが、翁はまた同様に「いいことの前兆かも知れない」と告げる。
それからしばらくして、隣国との戦争が勃発した。若い男は皆、戦争に駆り出されて戦死した。しかし息子は怪我していたため、徴兵されず命拾いした。そして、戦争も終わり、翁は息子たちと一緒に末永く幸せに暮らしたという。
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このことから、人間、良いこともあれば悪いこともあるという例えとなり、あまり不幸にくよくよするな、とか幸せに浮かれるなという教訓として生かされる言葉として使われている。
幸福が災禍(サイカ)になり 災難が幸運となるような、その変化のさまや道理の深遠なことは、予測もつかず きわめがたいものである。張良
起こった出来事に実は意味をつけているのは本当は、自分自身なのではないのか。
出来事をどんな色眼鏡をかけて見ているのか、その事実をどう受け入れるかによって、
幸福も不幸も周りの変化や状況、時代、また道理によっても変わってしまう。
ネガティブ、無いものばかりに目を向けて過ごすよりも、今ここにあるものに感謝しながら過ごすのが幸せへの近道。
虹の前には雨が降る様に。
その時は最悪だと思っていても、
その出来事があとで素晴らしい機会であったなんてことはよくある事。
その時々の出来事に流される事なく
俯瞰して生きてると
沢山既に自分が宝物を持っている事に気付く。
この写真は、以前オランダで撮影したもの。こんな綺麗な景色が見られた幸せな自分、そしてこの美しいものが溢れている世界、に感動して嬉し泣き。
どこに視点を合わすかで見ている世界が変わるこの世界の不思議。