「私の事なんて認識しないで」という傲慢さに気づいた話
昨年の12月初旬。思い切って職場と会社を変えました。
新しい環境、新しい人達というのは勝手が違うもので慣れるまでに時間を要するものです。
その上、新規の立ち上げ事業だったので現場もバタバタ。
たくさんの人が出入りする場所だったので統率がとれていない感じでした。
そっか、顔も覚えられてないんだ。としょげた私。
勤務を始めて3週間ほどたった頃、出勤すると
「まだ勤務回数少ないですよね?」「2回以上は勤務されてますか?」と管理職(現場の指揮監督をしたり管理してくれる方々)のスタッフAさんに尋ねられました。
「いや、全然。結構出勤してます。なんなら昨日もいました。」
「そうでしたか!失礼いたしました~。」なんて言われ「いえいえ。」と会釈。
怒りとか全然わかなかったんですけど、ちょっと引っかかったんです。
私も人の名前を覚えるのが死ぬほど苦手で、自己紹介しあった直後に忘れるタイプなので(本当にごめんなさい)
覚えられない事や忘れてしまう事については何も言えなくて…。
でもこの管理職のスタッフAさんて何かとトラブル時の対応をお願いすることが多い人だったことや、なんなら昨日も業務の内容について声かけたのにな~と思ってちょっとだけしょげました。
けど強く嫌とも思わず、特に尾を引かなかったのでその気持ちは忘れていました。
「あの子うちのスタッフだから!」会社の入り口でかけられた一声で湧き出た強い気持ち。
それから数日後。会社のエレベーターが壊れてしまって入り口が大混雑。
私が勤務しているフロアは階段で登れる階数なので、管理職の人たちが声掛けをして誘導していました。
階段に行く道中もなんか混雑していてぼーっと順番を待ちながら眺めていたら、管理職のスタッフBさん(多分一番偉いポジションで個人的に喋ったことのない方)に「あの白いダウンの子、うちのスタッフだから!」とそこそこ大きい声で呼ばれ、他のスタッフさんにも周知されました。(そうです、私は白いダウンを着ていました。目もあっていたので私の事でした。)
その瞬間「なんで私の事なんて認識してるの?」「私の事なんて認識しないで!」とぶわ~っと言葉があふれた感覚がありました。
自分でもびっくりしたのを覚えています。
「私なんかの事を認識しているあの人。」という思いはとても傲慢だと感じた。
実は管理職の人達は全員男性で、たぶん年下の方もいて、私からしたらちょっと今ドキなんです。
おしゃれで、みんなタイプが違って、みんな女の子にモテそうな雰囲気。
そして職場は女性ばかりの職場。
出勤するたびに嬉しそうに管理職の方とお話ししている女性をお見掛けすることもありました。
そんなことから、「女性スタッフの中には好意を抱いてる人がいるんだろうな~。」と瞬時に判断して、私の過去の癖である〝他の女性に目を付けられたくない〟が新しい環境という場面で発動していた事に気づきました。
それが会社の入り口で声をかけられたことにより
「なんで私の事なんて認識してるの?」「私の事なんて認識しないで!」
「私なんかの事を認識しているんだ、あの人。」と、あふれ出た言葉たち。
自分自身の事を〝人様に認識されるような存在ではない〟と決めて。
自分の事を認識してくれた人に〝あなたは私なんかの事を認識してたんですね〟とひねくれた思いを持って。
そして女性を敵とみなして〝傷つけてくるであろう相手〟〝傷つけられるであろう私〟に無意識になって。
認識される、されない、されたいなんて感情ををすっとばして、「あ~、私って自分にも相手にも傲慢なんだな。」「私って傲慢な一面があるんだよな~。」って急に心にすとんと落ちました。
傲慢な面があったからといっても自分責めは一切せず、本当にフラットに認めた感じです。
自分の現在地が把握できたので、後はどうしたいか決めるだけでした。
余談:決めたらコロリと変わるのがこの世界の醍醐味。
そもそも私の在りたい世界に敵味方が無い事、自分の上に何も置かない自分至上主義を大切にしていくことはゆるがないことなので再度立ち返り。
認識される事で何が起きると思っているのかなども自分で見たうえでオーダーを出しました。
そうしたら、管理職の人たちには名前で呼ばれるようになって認識されたり、個人的に声をかけられるようになりました。
髪型変えた日なんて朝一番に気づいてもらっちゃった!
職場の女性スタッフの方達には「勤務が同じになるたび実は横目で見ていました。」「素敵な方だと思っていたよ。」「存在をずっと知っていた。」などと連日声をかけてもらえるようになりました。
今までは自分の嫌だと思う一面は認められなかったし、認めたくなかったんです。
その一面に気づいたとしても自己嫌悪のループにハマってしまって抜け出さなくて。(私の人生、悲劇のヒロインです〜はたくさんやったのでもうお終い)
「そう思う自分も自分なんだよね。」ってフラットに認めるられるようになったから、変にエネルギーを漏らさずに、これから私はどうしていきたいと〝決める〟ことができました。
自分で選択できることってとても心地の良い事です。
その積み重ねが至福な日々に変わっていくのだと思います。
また今日も自分の事を好きになれました。