見出し画像

はじめての西洋美術 印象派03

こんにちは!じめじめと蒸し暑い日が続き、本格的な夏の到来を感じます。今年はお祭りや花火大会等、夏の風物詩が少なく少し寂しいなあ。自分なりに新しい夏の楽しみ方を見つけたいと思います☺︎

さて今回は、印象派の画家たちに大きな影響を与えた、「ジャポニズム」について解説します。

そもそも、ジャポニズムとは19世紀ヨーロッパで流行した、日本趣味全般のことを指します。日本の開国をきっかけに日本文化が海外へ流出し始めると、ヨーロッパ全土で日本ブームが起こりました。長年鎖国していた日本への関心はとても高く、西洋各国は1867年のパリ万博を皮切りに日本を紹介する展示が次々に開催されました。

西洋美術とは感覚の異なる日本美術に、当時の画家たちは大きな衝撃を受けたと言われています。陰影をつけない平面的な画面処理、アンバランスな大胆な構成、鮮やかな色彩など、あらゆる日本美術の特徴が探求され、近代西洋美術の素養のひとつとなりました。

そんな日本美術への傾倒は、まず、浮世絵や工芸品の要素を絵画のモチーフとして登場させることから始まりました。その典型例がこちら、モネの「ラ・ジャポネーズ」です。↓

画像1

団扇や畳などの輸入品で飾られた空間や女性の着物姿は日本をイメージしています。しかし、この時には特に技法の新しさはありません。

一方、クリムト「アデーレ・ブロッホ・バウワーの肖像I」からは、一歩進んだ深い理解がうかがえます。↓

画像2

画面いっぱいにあしらわれた金地背景は日本の黄金障壁画にあやかったものであり、西洋伝統の遠近法が無視されています。また、女性像のドレスの文様は日本の家紋や工芸品に頻出する幾何学図版の応用だとされています。

ジャポニズムはこのような美術作品だけでなく、一般社会の中でも広がり、パリでは、扇子やうちわが流行し、多くの人が持ち歩いていたと言われています。

その他、後期印象派のゴッホは浮世絵を熱心に研究しているなど、多くの画家の作品に日本のモチーフや日本美術の斬新な造形感覚を取り入れられるようになります。その影響は、世紀末芸術にいたるまで、多様な作品に色濃く残されることになります。
なんだか、一日本人として誇らしく感じますね!

今回は以上です。また次回!

いいなと思ったら応援しよう!