#200 うつ病発症13日目・発症後345日目 ~かわいい自分と悪いあの人~
今日で毎日ブログも200日目か。自分でもなかなかの数字だと思います。とりあえず,1000日は続けたいとは思っていますが,数字を気にしないようになったら,それが一番幸せだろうなとも思います。
さて,前置きはこれくらいにしておいて,今日もうつ病経過を記録していきます。(第1回目はこちら。第2回目も大事なのでこちらからどうぞ)
【過去のこと・思い出したこと(発症13日目)】
・7月22日㈪:昨日のブログでも書きましたが,前日の日曜日に実家から一人暮らしの自宅へ戻り,この日から出勤する予定だったのですが,この晩,再び不安と恐怖に襲われ,その予定も打ち砕かれます。
7月10日に味わった,「怖くて眠れない」「不安で眠れない」に再び襲われたのです。仕事は何一つしていないのに,また眠れなかった。この出来事によって,計り知れないショックを受けた僕は,もはや,弁護士の仕事ができる状態ではなくなっていました。つい前日まで実家で元気に過ごしていたのに,たった1日眠れないだけで,不安と恐怖で震えてしまうほど,僕のメンタルとフィジカルはズタボロだったのです。
朝まで電話に付き合ってくれた母親と話し合い,僕は,再び実家で療養しようと考えました(「考えた」といっても,この時の僕には,何か結論を出すだけの判断能力は一切残されていませんでした)。この結論を死にそうにながら出した僕は,鉛のような身体と頭を引きずらせながら(とはいえ,「頭が重い」とか「体がだるい」と感じる余裕さえありませんでした。「とにかく疲れた」という感じで,疲労を感じるので精一杯でした),朝の8時29分,予定を変更して長期療養に入ることを伝えるべく,自宅を出て事務所へ向かいました。
事務所では,上司に事の顛末を報告しました。つまり,この日(7月22日)に復帰しようと思っていて,そのことも事前に伝えていましたが,実家で過ごしていた際は,眠りに問題は起きなかったのに,前日自宅へ戻ったところ,今日まで一睡もできず,再び不安と恐怖に襲われ,それを受けて,また実家での療養を考えていると伝えました。この僕の話を聞いて,上司は,聞く態度だけは同情している風でしたが,返答としては,「完全に休むよりも少しの時間でもいいから出勤したほうがいいと思う」という提案が返ってきました。
「働けない」「休ませてくれ」「療養させてくれ」と言っている従業員に「出勤したら?」と提案してきたわけで,今思うと,「こいつ頭大丈夫か?」と思わざるを得ないのですが,まあ,そういう提案にもそれなりの理由が一応あったはあったのです。というのも,休職という形で完全に休んでしまうと,復帰が難しくなり,いざ復職する時期が遅くなってしまう,という(上司なりの)配慮があったのです。そういった配慮があったのは間違いないのでしょうけど,実際は「人手が不足してしまう」という思いがあったのでしょう。
この返答を受けた僕は,とにかく判断能力が落ちていましたから(だからこそ,仕事ができる状態ではなかったのですが),「それもそうだな」と思ってしまいました。自分が仕事ができる状態ではないことすら理解できていませんでしたから,「確かに,完全に休むよりは少しでも出勤したほうがいいな」と思いました。
ただ,その日は,精神科の予約を入れていたので,「ドクターのアドバイスを聞いて最終的な結論を出します」と言い残して,9時48分,事務所を出で自宅へ帰りました。この時点では,「少しでもいいから働き続けようか」と思っていました。自宅へ戻った後,両親と電話して,「少しでも働き続けたら?」という提案を受けたことを話しました。「それもいいと思う」と父から言われましたが,最終的な結論は,やはり,ドクターと相談した後に決めることになりました。
その後,12時から精神科で診察を受けた結果,ドクターからは,休んだほうがいいとも言われましたが,「少しでも出勤し続ける」のもナシではない,という,言ってしまえばどっちつかずの返答がなされました。
これを持ち帰った僕は悩みます。「悩む」というか,正常な理解力を失っていたので,「出勤したほうがいい」と言われれば「そうかも」と思い,「休んだほうがいい」と言われれば「やっぱりそうかも」と思ってしまっていて,自分で決断することができなくなっていました。(こんなどっちつかずの人間が仕事できるはずがありませんので,正解は「休んだほうがいい」なのですが)
両親に電話して泣きじゃくったのをよく覚えています。「どうしたらいいかわからん」と大粒の涙を流しながら,言いました。母も父も,本当に心配になったでしょう。
その電話で,母から,「うちへ戻ってきなさい。何も考えなくていいから」と言われました。このことはよく覚えています。「どうしたらいいかわからん」なんて言っている人間に弁護士の仕事なんか務まるはずがないので,もっと長期の休養が必要と判断してくれたのでしょう。このセリフを受けた僕は,「じゃあ,事務所に言いに行く」と母に伝えたのですが,「言いに行かんでいい!何も考えずに,チケットを買って,空港に来て,そして,事務所には電話で話せばいい。その電話で,休んだほうがいいとドクターから言われたと言えばいいでしょう。いったん熊本に帰ったら,もう仕事はしようと思ってもできなくなるんだから,それでいい。大丈夫」と母から言われました。この母の言葉は,本当に英断でした。おそらく,仮に事務所に行っても,また「出勤したほうがいい」という(間違った)提案をされ,判断能力を喪失した僕は,また「そうかも」と考え,悩んでしまうというループに入ったでしょう。
この時点での最適解は「考えずに離れる」です。考える能力がないわけですから,どれだけ考えても無意味です。そして,仕事ができない状態なのに,そのことを自分が理解できていないので,仕事が可能な状態にあると,自分を制御できずに仕事してしまい,さらに病状を悪化させる可能性があります。だから物理的に仕事不能状態に追い込むべきなんです。
「考えずに離れる」を母が即座に導き出してくれたおかげで,僕は救われました。
ちょっと脱線しますが,やっぱり,苦しみを感じている人が一番求めているのは,その苦しみを理解してくれることです。しかし,僕が苦しみを訴えている時に上司から「お客さんには迷惑かけられない」というワードが出てきてしまった。確かにその通りなんだけど,これは,本当にイヤだった。「さっさと死ね」と思いました。僕が,こんなボロボロになるまで,身を粉にして働いてきたのに,そんな僕が苦しみを吐露しているのに,その返答が「お客さんには迷惑をかけられない」なんて,その途端に僕は上司を信頼することをやめました。
僕の仕事スタンスも悪かったと思います。弁護士というのは,誰よりもお客さん=依頼者を向いていなきゃいけない。依頼者のために最善を尽くすのが,弁護士の役割です。でも,僕はそうじゃなかったんですね。上司のほうばかりを向いていてしまった。それじゃあ,楽しくないし,仕事の仕組み=お客さんの依頼に応えて報酬をもらう,を履き違えています。
でも,そういう構造になってしまうんです。上司は,本当に気分屋で感情の起伏が激しいし,なおかつ,部下の弁護士間に如実に給料の差をつけ,そのわずかな差(月給にしてみれば数万円の差でしかありません)で,より滅私奉公させようとしてきたのです。こういう僕の考えも,少し歪曲しているのかもしれませんが(本人はとても無邪気なので,こんなこと考えてもいないでしょう),とはいえ,経営者としての素質・努力が皆無なので(というか,弁護士業界では,これまで,経営に無関心でも普通に仕事していれば生き残ることができていたので,経営にそもそも無関心なアホが多いです。目の前の事件に集中するためには,お金の問題をクリアしなければならないはずなのですが,かつては,「弁護士」という資格それ自体と「普通に仕事している」だけでお金が稼げていたので,それほどお金の心配はありませんでした。でも,今からは違います。「普通に仕事をする」だけではお金を稼げないことを,多くの弁護士は,破産案件などで知っているはずなんですが,そんな弁護士たちが「これからは厳しい時代になる」という曖昧な話をするばかりで,具体的な戦略を持ち合わせていないのです。),従業員の扱い方,生産性向上の方法などの知識・実践・トライアンドエラーが全く足りていない。
僕のような,すごく精神年齢の幼い弁護士が入るのには適していたのかもしれません。僕は,この年齢になるまで,「自分は何をしたいか」「自分には何ができるのか」を考えることを先送りにしてきました。そんなことを考えなくても,学校の「お勉強」ができた僕は,目の前の勉強をひたすらこなしながら「弁護士になる!」と無邪気に司法試験合格を目指していればよかったのです。こんなんじゃ,人生の行く末を決めるのに不可欠な「自分は何をしたいか」「自分に何ができるか」なんて考えるはずもありません。ずっと精神年齢が幼かったのも,うなずけます。
そういった無思考弁護士が入るにはピッタリだったのでしょう。ちょっと自虐が過ぎますが,しかしながら,上司本人が「何をしたいか」「何ができるか」を考えずに,「経営とは何か」すら思い至ることなく,長年弁護士やってきて,しかも,弁護士としての仕事は,なまじ上手なもんだから(「上手」というか,普通の感覚を普通に持っているというだけですが,実のところ,こういう「普通」を何年も貫き通せる弁護士は意外と少ない。学ぶべきところが多いのは事実です。),なんか偉くなってしまっているわけです。
こういう人が経営()している事務所は,僕にはピッタリだったので,導かれるように,この事務所への入所を決めました。
また事務所への文句が多くなってしまいましたが,やっぱり,苦しみを抱えてしまった人というのは,それを誰かのせいにしたいのです。じゃないと,本当にメンタルが持たない。苦しみを誰かのせいにして吐き出したい。かわいいかわいい自分を守りたい。弁護士の僕だって,聖人君主ではなく,こういった,未熟で汚い面があるんです。それを,このブログで隠しても仕方ないと思っているので,赤裸々に,自分の未熟さと自己中心主義を露呈しました。
まだまだ,自分のせいにはしたくない。自分の苦しみを誰かのせいにしたい。そんなお年頃です。「かわいい自分」と「悪いあの人」の話をするのが,一番気持ちがいいのです。「これからどうするか」を考えるのは,本当につらい。だって,それを考えてしまったら,「かわいい自分」と「悪いあの人」が消えてしまう。そんな現実からは目を背け続けていたいのです。
もう少し,僕の治療には時間がかかりそうです。
しかしながら,こういった自己中心主義を差っ引いたとしても,僕がうつ病を発症した原因が,↑に書いたような弊所の構造にあったことは,否定したくない部分です。
→今日はここまで
【今日経験したこと・経験して考えたこと(発症345日目)】
・今日できた仕事・勉強
今日は出勤しました。今日読んでいたのは『経済ってそういうことだったのか会議』(佐藤雅彦,竹中平蔵,2000年)です。どうしてこの本にたどり着いたのか今となっては全く覚えていません(笑)。内容はあんまりおもしろくなかった(笑)。著者のうち,「佐藤雅彦」さんは,元電通従業員で,この人が,経済学の教授である竹中平蔵に経済について質問するという対話形式で記述されているのですが,なんか,「お金儲けは悪い」みたいな論調で,正直なところ不愉快でしたね。お金儲け=私腹を肥やす,みたいにしか思えないのも,この時代の特徴なんでしょうかね。お金儲けは,今の時代の僕から見たら,それ自体が楽しいのであって,稼いだお金には興味がないのがお金持ちのイメージです。だって,本当のお金持ちって,自分の私腹を肥やすためだけの目的では物理的に使いこなせないほどの大金を稼いでますからね。
僕も,最近やっと,自分がそんなにお金を必要としていないことに気づいたので,お金持ちがうらやましくはありません。大きい家に住んで,高い車を乗り回して,毎晩高級レストランで食事をするという幸せもあるでしょうが,僕のように,図書館で借りた本を読んで,YouTubeを見て,スーパーの弁当を買って食べるという幸せもあるわけです。両者に優劣は一切ありません。僕も強がっているわけじゃない。本当に,興味がないんです。
おそらく,↑の本が書かれた時代背景的に,こういった多様性がまだまだ市民権を得ていなかったのでしょう。「物質的な豊かさ」に日本がまだ固執していた。20年も時代が進むと,僕のように,物質的な豊かさを求めないやからが現れるようになった。↑の本は,経済について色々と学べることも多いですが,やはり,時代錯誤感が否めませんでした。
「日本もアメリカに一矢報いたい」なんて記述も出てきますが,今の時代に照らすと,「GAFAに一矢報いたい」ということになるのでしょうが,それは全然賢明じゃない。おそらく,今の時代にふさわしいのは,GAFAによる独裁を前提としながら,それをうまく活用して,ある程度のお金を生涯にわたって稼ぎながら,自分だけの幸せをつかむことではないのでしょうか。
・仕事・勉強以外に今日やったこと
特になし!
【今日のうつ病】
昨晩は11時10頃に布団に入りました。昨日は,ローソンのお試し引換券祭りが始まったので,いろんなローソンを駆けずり回った結果,ちょっと頑張りすぎたので,「眠りは悪いだろうなぁ」と寝る前は思っていました。案の定,寝つきは少し悪く,なおかつ,夜中に2回ほど目が覚めたような気がします。とはいえ,朝は,調子を崩し気味ではあったのですが,思ったほど大崩れすることはありませんでした。絶好調ではありませんが,ぼちぼちといったところです。
今日もブログ書けてよかった!
それではまた明日!
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