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#354 弁護士という既得権→「普通」の資格→既得権崩壊

どうも,こんにちは。

古田博大(ふるたひろまさ)です。

このブログを初めてご覧になる方は,はじめまして。

いつもご覧くださっている皆様,いつもアクセスありがとうございます。

僕は,1990年生まれで現在30歳。2017年1月から弁護士として働き始め,ちょうど2年半が経過した2019年7月10日にうつ病を発症し,それから今日までずっと休職しています。

うつ病発症からしばらくは,眠ったり食べたりすることもままならず,生きることそのものが苦しい時期が続きましたが,長い時間をかけて少しずつ回復することができました。今は,週2日の休みをはさんで毎日出勤練習(慣らし勤務)を繰り返しながら,復職への準備を進めています。

うつ病をきっかけに「自分も何か行動したい!」と思い,2019年12月から,この毎日ブログを始めました。とはいえ,このブログでは,うつ病に関することだけでなく,日々考えたことを自由気ままに書いています。

書きたいことがたくさんあって,文章が長くなってしまうことも多いですが,ブログの負担が大きくなりすぎてうつ病に悪い影響を与えないよう,書き始めてから1時間程度でアップロードすることにしています(#ほぼ毎日時間オーバーしていることはナイショです

「書きたいがたくさんある」と「1時間でアップする」は両立が難しく,そのため,文章がつながっていなかったり,文章自体がわかりにくかったりと,弊害も多々あるんですが,どうしても「毎日ブログ」を続けたいので,毎日綱渡り状態ですが,アクセスしてくださる皆様のおかげで,今日までなんとか続けることができています(;^_^A

僕のうつ病の経過については↓でまとめています。

それでは,今日も書いてきます!

さて,今日は「弁護士」という資格が,かつて「既得権」であったことについて書いてみましょうか。

その「既得権」が今後崩壊してしまうだろうという予測についても,書いてきます。

それでは前置きから。

「弁護士」という資格は,2020年となった今でも,「日本一難しい資格」との呼び声が高いでしょう。

「司法試験」といえば,最難関の資格試験で,人生をかけて挑んでも合格するかどうかわからない。

そして,合格した暁には,高収入が確保され,バラ色の人生を送ることができる。

そんなことを考えている人が今でも一定数いると僕は思っています。

僕も,大学に入学した2009年時点から,司法試験に合格するまで,司法試験は「めちゃくちゃに難しい試験」と,世間一般や両親から刷り込まれてきました。

毎日毎日10時間以上勉強しなければ合格しない!そんなことを,なんとなく,思っていました。

でも,そもそも僕には「毎日毎日10時間以上勉強する」のは不可能です。僕には,そんな長時間の勉強に耐えられるほどのド根性がありません。

まあ,せいぜい1日あたり6時間ほど勉強するのが限界です。直前期でもそうでした。1日6時間も勉強したらやる気ゼロになってしまうので,それ以上勉強しようと思ってもムリでした。

だから,よく,「司法試験に合格するには合計1万時間必要!」なんて言われますが,仮に僕の場合,勉強したとしても1日6時間ほどですから,平均すると,1日あたりの勉強時間は3時間ほどでしょう。

1日あたり平均3時間ほどの勉強量で,合計1万時間を確保するには,3333日=約9年必要になります。

そうすると,僕は,大学に入学した19歳から勉強を始めたので,合格するのは28歳頃という計算になりますが,僕は,それより3年も早い25歳で司法試験に合格しています。

僕の場合,「司法試験に合格するには1万時間の勉強量が必要」というのは完全に間違いです。

僕も,それほどマジメではなかったので,合計した勉強量は,5000時間もなかったかもしれません。

それでも司法試験には合格できます。

僕が受験した2015年の司法試験には,これくらいの勉強量で合格したやつが,少なくとも1人(=僕)います。それは間違いない。

とすると,司法試験はそれほど難しい試験とは言えないのではないでしょうか。

残念ながら,遺伝的素質によって,物覚えが良いとか,論理的思考が得意だとか,短時間で論理的な文章をボールペンでたくさんかけるとか,そういった,司法試験に必要な能力に最初から大きな差があるのは否めません(#僕自身もうつ病を発症しやすい遺伝的素質を持っていて,そのせいで今もめちゃくちゃ苦しんでいるわけですから,遺伝的に僕が司法試験に合格しやすかったことくらい正直に言ってもいいと思っています)。

そういった,遺伝的に合格しやすい・合格しにくいがあるにせよ,1日平均3時間ほどの勉強をコンスタントに続けながら,ときには1日6時間ほど勉強して,そんなこんなで6年かけて合格できるのであれば,「めちゃくちゃ難しい!」と大げさに表現しなきゃいけないほど難しい試験とは言えないと僕は思います。

普通にコツコツ勉強していれば,普通に合格点がとれる試験。それが,司法試験だと僕は思います。

そのことがわかっていれば,司法試験に合格するまでの学生時代の過ごし方も変わってきただろうなと思います。

これを誰かがきちんと教えてくれていたら,もっともっと読書したりして,他のことも勉強できていたのになあと後悔してしまいます。

僕は「めちゃくちゃ難しい!」という,司法試験に対する世間一般や両親のイメージを悪用して,勉強以外は何もしなくていいし,勉強して「司法試験合格」という結果だけ出せばいいと思っていました。

それじゃあ,ダメですよね。そんなの,おもしろくないし,楽しくない。

司法試験なんて,普通に勉強して普通に合格点が取れる試験なんだから,司法試験に合格するだけでいいなんてことはないんです。

学生だからこそ,あれだけ大きな図書館を自由に使えるわけですから,その利点をフルに生かして,もっともっと勉強することが必要でした。

司法試験のレベルが「普通」に成り下がったからこそ,それ以外の勉強が必要になります。

なぜなら,司法試験のレベルが普通に成り下がったことは,司法試験=弁護士という資格だけで生き残っていける時代が終わったことを意味するからです。

「生き残る」という単純明快な理由で,勉強が必要だということです。

法律の勉強ばかりしていたって,世の中のことは何も見えません。

法律の知識があるだけで,結局,マスコミの言いなりになってしまう「じゃまおじ・じゃまおば」が,多くの弁護士の姿です。

それじゃあ,生き残っていけません。「じゃまおじ・じゃまおば」という既得権は,根底から崩壊する運命にあることを知らないんです。

既得権は土台ごと崩されてしまうのは,歴史の定石です。

フランス革命,ロシア革命,ソ連崩壊,いろんな既得権が新しい世代に駆逐されてきました。

現在も,「テレビ」という既得権が「You Tube」に駆逐されている最中です。きっとそのうち,「You Tube」が既得権となり,新しい世代に駆逐されてしまうでしょう。

そんな感じで,世代交代が必ずやってくる。それが歴史を知っていれば一目瞭然です。

でも,法律の勉強ばかりしていたら,そんなことは全然見えてきません。というか,法律の勉強ばかりしている人たちは,その法律がどこからやってきたかさえ知りません。お恥ずかしいですが(笑)。

日本の民法がフランス革命後に制定されたフランス民法典を基礎にしていること,そのフランス民法典はローマ帝国時代のローマ法大全を参考にしていること,そして,そのローマ法大全に書かれている「ローマ法」は,ギリシア法を発展させたものであり,その原点であるギリシア法は,世界で初めて「民主政(デモクラシー)」を発明し,それが「法」に繋がっていること。

こんなことも知らずに,司法試験に合格して弁護士になっていくんです。

僕もそうでした。法律の歴史も知らないまま,司法試験に合格していました。だって,そのほうが効率がいいからです。

「効率」なんて言っても,司法試験は,普通に勉強していれば普通に合格してしまう試験です。

そんな「普通」の試験に「効率よく」合格しても,自分の生存戦略としてお粗末すぎます。

自動車免許を取得したとして,それで「一生安泰だ!」と思う人なんていないでしょう?

それと一緒で,司法試験に合格したらそれで一生安泰なわけない。だからこそ,生存戦略として何が必要か,考えなきゃいけません。

生存戦略に失敗したら死ぬしかないのが,進化論に支配されるこの世界の大原則です。

環境に適応できない個体は子孫を残せないまま死に絶えてしまうという,進化論の鉄の掟は,他でもない自分自身に適用されています。

このことを忘れちゃいけない。

で,司法試験の話に戻りますが,僕が「普通に」勉強して「普通に」合格したことからわかるとおり,遅くとも,5年前の時点で既に司法試験に合格するだけでは,生存戦略として不十分でした。

でも,かつては,司法試験に合格するだけで,生存戦略として充分な時代がありました。

「司法試験合格=生きていける」という構図が成り立っていたわけです。

今日のキーワードを使って表現すれば「司法試験合格=既得権」であり,司法試験に合格すれば,既得権を確保することができて,安泰に暮らせる時代があったんです。

それを支えていたのが,①極端に少ない合格者数と,②報酬基準です。

司法試験の合格者数は,1990年頃まで長らく,毎年の合格者数が500人程度に抑えられていました。

出願者数は1970年から毎年2万人オーバーで,その合格率は2%未満です。最も合格率の低かった1977年の司法試験は,2万9214人の出願者のうち,合格できたのは465名のみで,その合格率は脅威の1.59%でした。

確率でいえば,63人に1人しか合格できないわけで,ここまでの難関試験は,日本全国探せど,司法試験だけだったでしょう。

こんなめちゃくちゃな合格率であれば,10年受け続けても合格しないなんてのもうなずけます(笑)。

毎年毎年,次から次へと若い世代が受験してくるわけですから,合格できずに年齢を重ねた受験生たちは,どんどん厳しい立場に追い込まれていたでしょう。

「毎日少なくとも12時間勉強しなきゃいけない」「1万時間の勉強量が必要」なんていう都市伝説も,合格者数500人時代に生まれたのでしょうね。そんな都市伝説が流れるのもごもっともです。

そして,こんな凄まじい難関試験を突破すると,弁護士会の定めた「報酬基準」によって,全国一律の基準で報酬を要求できるようになります。

そして,この「報酬基準」がかなりの高額で,どんなに少額な事件でも,着手金として10万円を払わないといけない,と定められています。

「弁護士を動かすには,少なくとも10万円もってこい」というわけです。

まあ,どんなに小さい事件でも手を抜くことはできませんし,いったん受任すれば手間がかかるわけで,その「最低手間賃」を定めるのは合理的だと僕は思っているので,最低着手金を大きく非難するつもりはありません(#少しは非難したい)。

そして,この報酬基準の最大の見せ場は,金額が大きい場合です。

報酬基準をぱっと見ると,金額が大きくなるにつれ,パーセンテージは低くなります。こちら

一見すると良心的ですが,でも,正直なところ,「100万円の貸金返還請求」と「1000万円の貸金返還請求」でやることは変わりません。

貸金返還請求であれば,「期限までにで返してもらう約束でお金を渡した」ことを証明することが必要ですが,この証明の方法などが,金額で変わるわけではありません。

弁護士報酬の性質は「手間賃」です。弁護士の仕事はいろいろと手間がかかります。

お客さんから事情を聞いて,それに基づいて書面を作成し,裁判所に出頭する。他にも,裁判所と電話でやり取りしたりしていろんな雑務をこなしていて,こういったいろんな作業を弁護士が行う対価=手間賃が,弁護士に対する報酬なんです。

で,1000万円の貸金返還請求と,100万円の貸金返還請求で,必要になる手間はほとんど変わらないんですが,100万円の場合は,旧基準によれば,着手金は10万円で済みますが,1000万の場合は,着手金が59万円と約6倍に跳ね上がります。

金額が10倍になっているけど料金は6倍にしかなっていないという,良心的に見せかけるトリックが仕掛けられていますが,実際は,金額が上がれば上がるほど弁護士が得をする仕組みになっています。

これが「報酬基準」と言われるやつで,司法試験に合格したら,この「報酬基準」に従って料金を徴収できる地位を得ることができたのです。

本来,自分の仕事の料金なんて,自分が自由に決めていいはずですが,かつての弁護士会ではそれが許されませんでした。というか,誰もそれに反旗を翻す必要がなかったというべきでしょう。

みんなが同じ基準で料金を決めていれば,料金で弁護士を選ぶことはできません。だって,どこの弁護士へ行っても同じ料金を提示されるんですから。

こんな感じで,弁護士はみんなで既得権を守っていたんです。

弁護士の既得権は,少ない合格者数と報酬基準によってガッチリ守られていました。日弁連は,「報酬基準」によって,既得権の片棒をかついでいたわけですが,そのことを恥ずかしげもなく徹底していたんですね。

この既得権の牙城は,合格者数増加と報酬基準の撤廃によって崩れ始めます。

合格者数は,90年代から少しずつ増え始め,2004年には1500人を突破しました。2006年からは,新司法試験が開始され,この年から2010年までの5年間は,2つの司法試験が並行して実施されました。

司法試験が2回実施されるわけですから,合格者数が飛躍的に増えた,というよりは,新司法試験の合格者数がめちゃくちゃ増えていて,2008年から2012年までの5年間は毎年2000人オーバーでした。

こんな感じで合格者数の面から既得権が崩されたのとちょうど同じ頃,報酬基準も撤廃されました。

2004年に,報酬基準が撤廃されて,報酬を各弁護士が自由に決められるようになりました。

結果として,弁護士業界は,合格者数と報酬基準という,既得権を生み出す構造を失った・・・

はずでした。

でも,今でも既得権は野放しになっています。

合格者数が増えたとしても,それで増えるのは若い弁護士だけです。若い弁護士がすぐに弁護士として食っていけるわけじゃありません。まずは,どこかの事務所に雇用されて,仕事を覚えていくんです。

そうすると,既得権である「おじさん弁護士」のもとに若い弁護士がたくさん雇用され,おじさん弁護士の社会的(=業界的)地位はますます上がってしまいます。

そして,その「おじさん弁護士」たちが,あえて報酬基準を下げる理由はありません。だって,結局,年の近いほかの「おじさん弁護士」たちも,かつての報酬基準を引き継いでいるからです。

若い弁護士をたくさん雇用すると,そのぶんだけ給料を支払わなきゃいけなくなりますから,売上が減るのは怖いですし,仮に若い弁護士を雇用していないとしても,弁護士が増えて競争が激しくなったわけですから,売上が減ってしまいそうな,報酬の減額にあえてメスを入れる必要もありません。

そんな感じで,今でも,弁護士業界には既得権が根強く残っています。

そもそも,この「報酬基準」というやつは,弁護士が経営の素人であることに配慮したものなんですね。

かつての司法試験は,合格するのがやっとで,経営の勉強なんてしている暇はありません。

だから,弁護士たちは,経営について全然知らないまま厳しい資本主義社会(市場経済)に放り出されていました。

経営の素人が生き残れるほど,この資本主義社会(市場経済)は甘くありません。

弁護士たちに資本主義社会をそのまま押し付けると,誰も生き残れなくなってしまいます。

当然,弁護士業界にも価格競争が出てきて,価格競争に負けた弁護士は業界を去っていくしかなくなってしまいます。

でも,法律上,訴訟代理人は弁護士しかなれないわけですから,資本主義や市場経済によって,弁護士の多くが淘汰され,人材が不足してしまうと困っちゃいます。

訴訟を提起しようにも,弁護士が市場経済で淘汰されて誰もいないなら,「裁判を受ける権利」も絵に描いた餅です。

専門家から法的なアドバイスを受けることができて初めて,「裁判を受ける権利」が保障されるのです。

特に昔は,司法試験合格者数が極端に少なかったわけです。当然,毎年生まれる弁護士の数も少なく,そんな貴重な人材が,市場経済で淘汰され,法的なアドバイスを受ける機会が減ってしまうと,「裁判を受ける権利」が保障されなくなってしまう。

それはよくないから,経営の素人でも生き残れるよう,日弁連が報酬基準を定めて「あげた」んです。

あれだけエラそうな態度でお客さんと接しているなら,報酬基準なんかに頼らず自力で市場経済を生き抜くべきなんでしょうけど,そんな正論を吐いても,実際問題,市場経済で生き残る能力のないまま弁護士になってしまうんだから,仕方ありません。

経営手腕のある弁護士もいたでしょうが,そもそもの司法試験が経営手腕が試験科目になっていないし,もっといえば,日本人全体が経営やお金について理解が乏しい。

そんな日本社会において,司法試験という試験を突破した「だけ」の弁護士が,厳しい市場経済で生き残れることを期待すること自体間違っています。

経営手腕のある弁護士がいたとしても,それは偶然にすぎません。

まあ,「お金や経営のことで弁護士の業務がおろそかになってはいけない」なんて理由もあるんでしょうが,そんなの,弁護士の業界だけじゃありません(笑)。

どの業界も,きちんとクオリティをキープしながら,経営やお金のことも考えています。「弁護士の業務」だからといって,クオリティと経営の両立から逃げていいことにはならないでしょう。

↑の理由は「弁護士の業務」は特別だ,という姿勢が現れていて,既得権の匂いがプンプンします。

確かに,法律上,弁護士しか訴訟代理人になれないので,弁護士が市場経済で淘汰されてしまうと,「裁判を受ける権利」が保障されない,というのはよくわかります。

でも,これだけ弁護士の数が増えたのであれば,市場経済で淘汰されてもいいのではないでしょうか(#淘汰されてしまうのは他でもないこの僕かもしれませんが)。

現在,弁護士会に登録している弁護士の数は約4万人で,だいたい,国民1万人あたり3人の弁護士がこの日本には存在しています。

現時点でも若い世代の弁護士が多いですし,これから増えるのも若い世代ですから,これから先も,減る数よりも増える数が多く,弁護士の数はこれからも増え続けることが予想されます。

だとすれば,市場経済で淘汰されたとしても,裁判を受ける権利が保障されなくなるほど,弁護士の数が減ってしまう可能性は低いのではないでしょうか。

市場経済が働くと,お金を稼げる弁護士だけが残るという危惧もあるかもしれませんが,お金を稼げるということは,質が高いことの証でもあります。

今は,悪いサービスはすぐにインターネットとスマートフォンで可視化されますし(情報の民主化),質が低いけれどもお金を稼ぐ力だけある,という現象は起きづらくなっていると思います。

こういう感じで,弁護士業界に市場経済の波が押し寄せ,淘汰が始まると僕は思っています。既に始まっているのかもしれません。

そのときは,僕にとっては,このブログが何よりも武器になります。

市場経済が押し寄せると,巨大資本が優位になり,僕みたいな弱小弁護士はクオリティでは差をつけられず,何もしなければ秒で死んでしまうでしょう。

でも,このブログなどで発信を続けながら,そして何よりも,依頼してくださったお客さんとの信頼関係を大切にして,信頼を貯金しておくことで,「古田を選びたい!」というお客さんを1人でも増やしていこうと思っています。

「古田博大」という弁護士がどんな人なのか,それをきちんと発信して,信頼を貯金しておく。

その信頼貯金によって,お客さんに選んでもらう。

最終的に,オンラインサロンで毎月200万円(1000円×2000人)くらい確保できるようになれば,依頼者から1円も費用を頂くことなく事務所運営できるようになり,市場経済で完全勝利を収められるんですが,まあ,それは夢のまた夢です(笑)。諦めてはいませんけど,どれくらい難しいか想像できないほど難しそうです(笑)。

今日は,いろいろと弁護士業界に対して思うことを書いてみました。

僕よりも下の世代から見れば,僕自身も「既得権」に見えるかもしれません。

いつ足元が崩れるかわからない時代を,僕らは楽しみながら生きていかなきゃいけないんですが,ま,とりあえず,ぼちぼち考えていきます。

【今日のうつ病】(うつ病経過まとめ:こちら

まだまだ僕のうつ病は治っていないので,毎日うつ病の経過を記録しています。

今日までに経過した期間↓

・うつ病発症(2019年7月10日~):499日(1年4か月と10日)

・実家療養後の1人暮らし(2019年9月27日~):420日(1年1か月と23日)

・午前中の散歩(2019年11月7日~):379日(1年と13日)

・毎日ブログ(2019年12月3日~):353日(11か月と17日)

・出勤練習(2020年3月30日~):235日(7か月と21日)

今日で,出勤練習を始めて7か月と21日です。新型コロナウイルスの影響で,4月13日~5月11日までの約1か月間,一時中断されていましたが,それを差し引いても,約7か月間出勤練習を積み重ねてきました。

今日は午前9時に出勤しましたが,疲労の蓄積が感じられたので,午後2時に退勤して昼寝してました。

そんな今日の「SleepCycle」を見ると(睡眠記録アプリ「SleepCycle」についてはこちら),午後11時19分~朝6時58分までの睡眠が記録されています。昨晩は久しぶりに寝つきが良かったです。ただ,朝早く目が覚めてしまい,そのせいで寝つきが良かったわりには,休養は不十分です。SleepCycle独自の睡眠品質は78%/100%とまずまずです。

(なお,僕のうつ病は,主な症状が不眠(①寝つきが悪い②中途覚醒③朝早く目が覚めてしまい二度寝もできない)で,この不眠症状の有無が,その日の調子の良し悪しや,回復の進み具合を左右します。そのため,毎日の睡眠時間や睡眠の質について,睡眠記録アプリ「SleepCycle」に記録されているデータをもとに逐一書き出すことにしています。)

昨日の夕方は,昼寝したおかげでとても元気になり,意気揚々と就寝し,予定通り寝つきも良かったです。

ただ,今日は,昨晩寝つきが良かったわりには,疲れが感じられました。奥底に残っている疲労の残りカスが出てきたのかもしれません。

明日は休む予定です。整体にも行って,午後から昼寝して,ゆっくり休養したいと思います。

今日もブログ書けてよかった!

それではまた明日!・・・↓

昨日のブログ↓

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※うつ病への負担を考慮し、「書き始めてから1時間くらいでアップする」という制限時間を設けています。

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