#222 うつ病発症61~62日目・発症後367日目 ~今日からうつ病2年目~
今日からうつ病2年目です!
そして,その記念すべき日がブログを始めて222日目とは!
ブログを始めようと決意し,実際に行動に移した222日前の僕が,222日後にうつ病2年目になることなんて全く予測していませんでしたが,偶然にも,そんなことになりました(笑)。
逆に言うと,うつ病を発症して145日(367日-222日)を経過してやっと,細々とながらブログを始めようと決意するほどに元気になったということですね。
こういう風に数字を並べると,うつ病という病気は,長い治療期間が必要になるなぁと改めて感じます。
おそらく,僕のうつ病は,一過性の「治る」うつ病だと思います(まだ断言はできませんが)。しかし,世の中には,慢性的な(時には先天的な)精神疾患としての「うつ病」も存在します。いつ調子を崩すかわからない状態が,死ぬまで永久に続くなんて,想像するだけでおそろしいです。僕は,そんな方々も幸せに人生を過ごす権利があり,幸せに過ごしてほしいとも思います。
でも,うつ病がいつまでも続く人が幸せを感じる方法なんてどうすればいいのでしょう。強いて言えば,「調子が良い日に好きなことをする」でしょうか。現在の僕が,それで幸せを感じているので,そう思うのですが,僕は「いつまでも精神疾患が続く」とは思っていないので,僕と同じ方法が通用するかどうかは定かではありません(というか,通用しないと思います)。
調子の悪い日は,とにかく不安で怖くて,疲れきっていて,「死にたい」なんてことすら感じられません。「死にたい」というのは欲求ですから,そう思うためにはパワーが必要です。しかし,そのパワーすら欠乏するのが「調子の悪い日」なのです。
じゃあ,「死にたい」とは思わないのかというと,そうでもないんですよね。「死にたい」という欲求を抱くだけのパワーはないんだけれども,めちゃくちゃに辛くて苦しいので,「この苦しみを逃れるために死を選ぶのも理解できるよな」ということは僕も思いました。身体は疲れ切って,首も肩も凝り固まり,だからこそ,熟睡して身体に蓄積した疲労をとりたいのに,ベッドに横になっても,身体が熱をもってくる。寝付けずにいると,首の後ろがどんどん熱を帯びてくるのです。
その熱が,さらに寝付くのを妨げます。首にマッサージ機をあてて血行を良くしたり,冷たい水を飲んだりして,体内の温度を下げて寝付こうとするのですが,それも奏功しません。気を落ち着けるために,マインドフルネス瞑想をしたりもします。直後には眠気がやってくるのですが,しばらくすると眠気がどこかへ行ってしまいます。首後ろの熱が再燃するのです。
最終手段として,日頃は服用していない眠剤を飲むこともありました。僕は,2019年10月3日,眠剤を処方しようとしたドクターの申し出を断っていますが,それに先立つ7月22日(実家にとんぼ返りした日です),実家では出なかった不眠の症状が,一人暮らしの自宅に戻った途端に再び発現し,どうしようもなく調子を崩したので,この日,初めて眠剤を処方され,薬局で購入していました(眠剤を処方したドクターと,↑の眠剤処方を断ったドクターは別の病院です。今は,眠剤処方を断ったドクターの病院に通院しています)。
このときに処方された眠剤を,どうにもこうにも眠れないときに服用することもありました。今考えると,当時は「眠れないから服用する」という気持ちしかありませんでしたが,よく考えれば,眠剤を服用する理由は,「眠れない」だけでなく,「眠れないことが不安で仕方ない」もあります。というか,眠れないことが不安で仕方がないから眠剤を服用するのです。だって,「眠れなくてもいいや」と思っていれば,眠剤を服用する必要はありません(笑)。眠れなくてもいいのに,わざわざ眠剤を飲んで眠る必要はありませんからね。別に,眠らないことが違法なわけでもありません。「眠る義務」なんてものもありません。眠れなきゃ眠れないで放っておいても,何も問題は起きません。別に,1日くらい眠れなくても,死にはしません。僕の場合,2日以上不眠の症状が出ることはなかったので,不眠で身体に悪影響が生じる可能性もゼロでした。
つまり,客観的に見たら,僕の不眠は心配しなくてよいものです。1日(長くても2日)眠れなくても,次の日には眠れるようになるわけですから,放っておいても,身体を壊してしまうものではありません。
(不眠の症状が連日にわたって続く場合は,それだけで身体に悪影響を及ぼす可能性があるので,その悪影響を避けるために,眠剤を服用して無理やり眠りにつかせる必要もあると思います。でも,僕はそうじゃありません。)
そうすると,僕が眠剤を飲む理由は「不眠による不安・恐怖から逃げるため」です。もちろん,その理由で眠剤を飲んじゃいけないとは思いません。不安や恐怖による不眠の症状が出ると,それ自体がうつ病を悪化させる可能性もあるので,悪化を避けるために,眠剤を服用することは,間違いなく有効な治療法でしょう。
しかし,こういう不眠の程度にしては,当時の僕は,明らかに過度に不安・恐怖を抱いていました。まあ,不安・恐怖もうつ病の症状なんでしょうが,とはいえ,あれほどに不安に思う必要はありませんでした。
そんなこと言ったって,当時の僕は,不眠によるとてつもない不安と恐怖に襲われていました。だから,その不安と恐怖から逃れたくて,そのために万策尽くして,それでもなお眠れなくて不安で仕方がない場合に,眠剤を飲んでいました。
で,眠剤を飲んでも眠れない日があります。眠剤を飲んだら,ほとんどの場合は眠れていましたから,眠剤を飲んだらひとまず安心していましたが(この「安心」も眠りに誘う重大な要素です),しかし,眠剤を飲んでも寝付けない日もありました。
この日はとにかくつらい(笑)。不眠による不安・恐怖に加えて,「眠剤を飲んだら安心」という安心感も裏切られることになるからです。この裏切りによって引き起こされた不安・恐怖が追加されると,苦しみが最高潮に達します。
その最高潮の時,「この苦しみから逃れられるために死ぬという選択肢が出てくることも理解できるな」と思いました。これはつらかった(笑)。今は笑って思い出せますが,当時は本当につらかった。
僕は「死ぬという選択肢も理解できるな」という思いで済みましたが,実際に自殺に至ってしまう場合は,もっと大きな苦しみに襲われるのでしょう。もしくは,「苦しくない今のうちに死んでおこう」とでも思うのでしょうか。僕の場合,苦しいときは死ぬために必要なエネルギーすら欠けてしまっていたので,調子を崩した際に自殺を図ることはできなかっただろうと思います。
僕が自殺を決意することができたとすれば,調子が上向いてきた時点だと思います。最高潮に調子を崩し,一切のエネルギーを失った後,少し調子が上向いてきた時点で,(最高潮に調子を崩したことで)正常な判断能力を失った脳みそが,「エネルギーが回復してきた今のうちに死んでおこう」という異常な(その時点の脳みそにとっては正常な)意思決定を行い,回復してきたエネルギーをフル活用して,自らを殺めてしまう。
これが,仮に僕が自殺を図ったとしたら,最も可能性が高いストーリーだと思います。
(※一応言っときますが,今日は調子悪くありません。こんなネガティブなことを書いていますが,むしろ,冷静だからこそ,客観的に過去の思い出を振り返ることができていると思います。)
↑のような結末を迎えなくて本当に良かったと思います。
「死を決意する理由も理解できる」と思った経験のある僕が考えるべきなのは,↑のような自殺の結末に向かっている最中の人が,どうやれば途中で止まるか,ということだと思います。
だいぶ大きな風呂敷を広げましたが,一般的な結論を僕が出せるはずもありません(笑)。しかし,僕自身のケースを分析することはできます。
じゃあ,僕の場合,どういった要素が作用して,自殺まで至らなかったのか。
うーん,おそらく,仕事から「逃げる」のが,早くはなかったけれども,遅すぎることもなかったことが1つあると思います。僕の場合,「逃げる」のが遅すぎて取り返しがつかないことになる前に,不眠の症状が出てくれたので,逃げることができました。不眠の症状が出たのは,偶然というか,身体がSOSを出してくれたからで,自分ではどうしようもありませんでした。「不眠の症状」を自分で引き起こすことなんてできないので,「不眠の症状を引き起こす」という予防策はとりようがないですね(笑)。
じゃあ,予防策になりうる,他の要因を考える必要が出てきますが,他の要因としては,逃げ場所があったことがあげられます。僕は,父も母も元気だったので,甘えることができました。実家という「逃げ場所」があったのは大きかったと思います。逃げることができたからこそ,逃げた後に訪れた苦しみの最高潮の時点でも,自殺を図るまでは至らなかったのかもしれません。「逃げ場所」のおかげで,いくぶんか回復していたからこそ,最高潮のレベルを抑えられた,という理屈です。
僕は,日本こそ個人主義が蔓延していると思っていて,その根拠は,「誰にも迷惑かけちゃいけない」が美徳とされていることです。これが「ひとりで生きていかなきゃいけない」にも繋がり,「逃げ場所」を作らないことにつながってしまうような気がします。
そもそも,この社会は,「迷惑をかけていい」し「迷惑をかけられてもいい」ので,「誰にも迷惑かけちゃいけない」が美徳になるのは間違っています。
この点,昔の人たちは,協力しないと生きていけないことを十分に理解していました。厳しい自然にひとりで立ち向かうのは無謀なのをわかっていたのです。集団で協力しあわないと,人間(ホモサピエンス)という種は生き残ることができず,だからこそ,協力しあえる個体だけが生き残りました。こういった進化の過程を経た人間という動物は,協力できる種となっただけでなく,「仲間がいないとさみしい」とまで思うようになったのです。「さみしい」と思えば,否応なしに仲間を作って協力し合い,その結果として生き残ることができ,人間という種の存続を図ることができます。
しかし,現代社会は,協力し合わなくても生きていける世界を作り出しました。特に,現代日本は,積極的に会社の売上に貢献しなくても,会社にしがみつくことのできる社会を作り出し,耐え忍べば最低限の給料をもらえ,その給料で食料をどこでも確保することができるようになりました。
こんな日本の社会では,協力は不要です。協力しなくとも,生活費を賄うことができ,食料を確保することができるからです。
でも,現代日本で可能になった,「協力しない」という生き方は,残念ながら,「協力」によって生き抜いてきた人間の性質にはマッチしません。
自然界には,ひとりだけで生きていく動物もたくさんいます。群れを作らず単独行動する類人猿などが,まさにそうです。そんな動物たちは「仲間がいなくてさみしい」なんて全く思っていません。仲間なんていなくても食料を確保して生き残ってきた個体が遺伝子を繋いでいるわけですから。
でも,人間はそうじゃなかった。進化の過程では,群れを作り,仲間と協力しなければ遺伝子を繋げることはできなかったのです。その結果「さみしい」という感情まで作り出してしまいました。
もちろん,現代社会では協力しなくても生きていけるので,突然変異によって「仲間と協力しなくてもさみしくない」個体が現れ,その個体が生き残り,人間の一部は,「遺伝的に」協力しないようになるかもしれません。
でも,少なくとも,今生きている人類は,ほとんどが「さみしい」と感じます。だから,迷惑をかけることも,かけられることもできる「逃げ場所」が必要なのです。
「逃げ場所」を作ることは,僕を自殺から防いでくれましたが,人間という種が,進化の過程で「社会的な動物」になったことに照らして,誰しもに必要なことなんだと思います。
前置きが長くなりましたが,今日もうつ病の経過を記録していきます。(第1回目はこちら。第2回目も大事なのでこちらからどうぞ)
【過去のこと・思い出したこと(発症61~62日目)】
・9月7日㈯:7月22日㈪に実家にとんぼ返りして,この日で48日目です(とんぼ返りした経緯についてはこちら)。この日は午前1時20~9時50分の睡眠が記録されています。就寝時刻がだいぶ遅いですが,起床時刻も遅いので,熟睡感もあってよく眠れています。この日も,いつものルーティンのように過ごしていました。朝ご飯→午前中ゆっくり(マインドフルネス瞑想)→昼ごはん→ぶどうの出荷作業手伝い→外出→晩ご飯手伝い→米研ぎ→寝る,というルーティーンです。調子も良さそうです。
・9月8日㈰:この日は午前1時10分に就寝していますが,午前4時30分に目が覚めています。「中途覚醒」というやつです。前日までよく眠れていたので,この日の中途覚醒には,かなり不安を覚えています。その結果,彼女に「メンヘラ」を発揮しています。本当に迷惑なやつです。しかし,朝は「眠れなくて不安」とか言いながら,昼寝しています。本当にのんきなやつです。「眠れとるやないかい!」というツッコミを入れるべきですし,「眠れない眠れない」と言いながら昼寝したらけろっと元気になったりしていて,子どもを見ているようでイライラします(真剣)。
こんな風に,うつ病患者とまともに会話すると,とてもイライラすると思います。朝は「眠れなくて不安だ」とか言っていたのに,働きもせずに昼寝なんかしちゃったりして,ぐっすり昼寝したら,朝の「不安だ」は忘却の彼方で,けろっと元気になってしまう。その振る舞いは,完全にメンヘラ女子なので,まともに話を聞くのは(少なくとも僕の場合は)オススメしません。テキトーに受け流しましょう。ただ,相手はメンヘラ女子なので(僕は男ですが),テキトーに聞いていることがバレたら,よりメンヘラを悪化させてしまいます。そんなやつの相手なんかしたくないでしょうが,もし大切な人なら,辛抱強く待ってあげてください。そのうち元気になりますから。付き合いきれないなら(まともに付き合っていたらこっちがメンタルやられそうな場合),突き放すのも1つです。うつ病患者は,メンヘラを発揮する相手がいることそれ自体によって,少しは回復できています。突き放したことによって,自殺にまで至るケースは稀でしょう。
うつ病患者は,その苦しみが「自分のせい」であることを受けとめ,「自分の責任で」治療する・生きていくことを自覚する=自立する必要があります。メンヘラに付き合ってあげてばかりだと,その「自立」を妨げることもあるので,適宜突き放してあげるのも,自立を促すという意味で有効だと思います。
この日は,昼寝したら調子が上向いたようで,夜も眠れているようです。
→今日はここまで
【今日経験したこと・経験して考えたこと(発症367日目)】
・今日できた仕事・勉強
今日は出勤しました。午前9時~午後6時30分頃まで滞在しました。冒頭で書いた『贈与論』を読んでいました(リンクはこちら)。注釈が多くて,注釈まで読んでいると脱線してばかりで本論がぼやけるので,本文を読み進めていました。内容としては,近代的な法制度などが整備される前の社会では,贈与の応酬が繰り返されていて,その贈与は,法的な意味だけでなく,宗教的・呪術的な意味も有しているとのことです。贈与の対象物には魂がこめられ,その結果,人と物が混ざり合い,区別されていない状態が作り出されています。北アメリカ大陸のインディアンやメラネシア地域の先住民を研究した結果,こういった贈与の応酬が観察され,その中には,「信用」=贈与に対する返礼が長期間経過後になされていること,も確認されたとのことです。
こういった研究の結果として,「遅れた社会では物々交換しか存在せず,社会の発展とともに,貨幣経済→信用経済と発展した」という説明はウソだということが判明したのです。↑の贈与応酬状態においても,貨幣の存在は認められています。そうすると,物々交換→貨幣経済→信用経済,という時系列は間違いで,体系的な法や社会制度が成立する前の段階として,↑のような贈与の応酬状態(貨幣や信用すらも観念できる)があった,とする説明が正しいことになります。
・仕事・勉強以外に今日やったこと
特にありません!
【今日のうつ病】
昨晩は午後11時40分頃に布団に入りました。すぐに寝付けたと思います。今朝は,7時10分頃には目が覚めましたが,熟睡感もありました。昨日に引き続き,調子も上向いてきました。
今日もブログ書けてよかった!
それではまた明日!
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