#199 うつ病発症12~13日目・発症後344日目 ~メンタルを壊滅させた不安と恐怖の再来~

ここ数日前置きが長すぎたので,今日はさっさと本題のうつ病経過を書いていきます。(第1回目はこちら。第2回目も大事なのでこちらからどうぞ)

【過去のこと・思い出したこと(発症12~13日目)】

・7月21日㈰:実家療養6日目(7月15日~)ですが,この日で実家療養を終え,翌日から復帰するため,熊本県の実家から愛知県刈谷市の独り暮らしのアパートに戻りました。午前11時57分に実家を出発し,空港近くのレストランで両親と昼食をとり,予定通り飛行機に乗って名古屋空港に到着しています。その帰り道に,7月10日に受診した精神科に寄り道しています。診察の際に,実家で療養し,不眠症状も改善されていること,それを受けて翌日から働こうと思っていることを伝えました。これに対するドクターの返答は覚えていませんが,「それなら復帰してみましょう」という感じだったと思います。それと,血液検査の結果や,抑うつ状態の測定結果を受け取りました。抑うつ状態は,それなりに高かったようです。

とはいえ,この日は,「久しぶりに実家でゆっくりできたし,実家では眠れないなんてこともなかったから,明日から予定通り働けるだろう」と思っていました。この日も,前日の午後11時40分から朝8時までの睡眠が記録されていて,不眠症状は出ていません。

僕は,全然心配することなく,独り暮らしの自宅へ戻ったのです。

しかし,その晩,こんな甘い気持ちは見事に打ち砕かれます。この日の晩,完膚なきまでに,僕のメンタルが崩壊してしまったのです。

この日のことは,このブログで既に書いていますが,この日は,午後11時くらいに布団に入りました。眠くなってきたので,寝ようと思って布団に入りました。前日まで,実家で何の問題もなく眠れていたので,眠りへの不安なんて微塵もありませんでした。

しかし,


待てど暮らせど寝付けません。眠気は確かにあったのです。あくびも出ていました。確かにあった,その眠気が,どんどん遠のいていきます。その反面,身体の温度はどんどん上昇していきます。不安と恐怖もどんどん大きくなっていく。

午前1時21分に彼女に「寝付けんなぁ」とLINEしています。その後も結局寝付けず,真夜中に母親に電話しています。

7月10日の出来事と同じです。不安と恐怖に襲われ,こらえきれず,母親に頼ってしまったのです。本当に恥ずかしいのですが,この時の恐怖は,計り知れないほど大きかったです。本当に怖かった。

7月10日の不眠症状は,仕事が回らず追い込まれていたという事情がありました。しかし,この日(7月22日)は,仕事に追い込まれていたわけでもありません。翌日から仕事に復帰することは伝えていたので,正直なところ,その不安があったことは認めますが,とはいえ,現在進行形で直面していたストレスは,仕事していた7月10日時点とは比べ物にならないほど小さかったはずです。

にもかかわらず,7月10日と同じように,不安と恐怖に襲われてしまい,それによって,身体はどんどん熱を持ってしまい,身体が火照るにしたがって,さらに不安と恐怖が増大してしまうという,魔のスパイラルに陥ってしまいました。その結果,この日も,朝まで一睡もできませんでした。

これは,本当に怖かった。仕事の負担からは解放されていたはずなのに,「明日から復帰する」という,ただそれだけで,僕の身体とメンタルは,拒絶反応を示したのです。

「明日から行ける」と思っていたのに,それが叶わなかったという事実は,僕のメンタルを壊滅させるには十分すぎるほどのダメージを与えました。

「不安と恐怖」と書くと,何に対する不安と恐怖なのか?という疑問が浮かぶのが普通だと思われますので,少し説明します。

「説明します」と書きながら,結論からいえば,僕の考えとしては,「降って湧いたもの」としか言いようがありません。

直接的には,「眠れていたのに眠れなくなった」ことへの不安と恐怖だと思います。「期待とは違うことが起きてしまった」という不安・恐怖です。

でも,それだけじゃ説明できないとも思うのです。多分,身体が元気であれば,ちょっと寝付きが悪いくらいで,とんでもない不安と恐怖に襲われることはないはずです。仕事の不安を抱えながら,寝付きが悪くなることは僕もありましたし,とはいえ,そういった仕事の不安・寝付きの悪さがあるからといって,「とてつもない不安と恐怖で一睡もできなかった」「こらえきれなくて母親に電話してしまった」という顛末にはなりませんでした。

だから,「考えようによって不安は和らぐ」とか,そういった自分の意識的な活動によって軽減可能なたぐいの不安や恐怖ではないんです。理屈をすっとばして,自分の心の真ん中一直線に,これ以上ないダイレクトさで,まっすぐ突き刺さってくる不安や恐怖が,どこからともなく降って湧いてしまったのです。

そういった「火のないところに立った煙」としての,大きな不安の炎(ちょっと言い回しが適切でなくてすみません^^;。僕としては,僕としては「火のないところに立った煙」とでも言わないと,あれほど大きな不安や恐怖の発生源を説明できないのです。)が燃え上がったところに,「昨日までは眠れていたのになんで?」という疑問が,ガソリンとしてどんどん供給され,不安と恐怖の炎が,さらに激しく燃え上がってしまった,そういった感じに僕は思えます。

僕のつたない表現力で,僕の感じた恐怖を言葉にしてみました。僕の文章力で表現できる,最も大きな恐怖体験を描いてみました。

この日一睡もできなかった僕は,一晩中電話に付き合ってくれていた母親のアドバイスもあって,もっと長期の療養が必要だと確信しました。「この病気を甘く見ていた。こんな簡単に治る病気じゃない。もっと真剣に取り組まなきゃいけない。復帰する時期をあらかじめ決められるほど,簡単には治らない。いつ復帰するかわからないくらい長期の療養がきっと必要になる。」そういった考えに至った僕は,この考えを伝えるため,朝から事務所に行きました。

「今日から復帰する」という前言を撤回し,「復帰はいつになるかわかりませんが,長期間の療養をとろうと思います」と伝えるため,一睡もできていない身体を引きずりながら,これ以上ないくらい重たい気持ちで,事務所へ向かいました。

家を出たのは,7月22日の朝の8時29分でした。

→今日はここまで

【今日経験したこと・経験して考えたこと(発症344日目)】

・今日できた仕事・勉強

今日は休日でした。しばらくの間,月・火・木・金の週4日出勤で慣らしていこうと思っています。今日は睡眠時間がそれほど充分ではなかったので,朝からあまりやる気がなく,あまり勉強していませんが,昨日に引き続き『集中講義!ギリシア・ローマ』(桜井万里子・本村凌二,2017年)を読んでいました(リンクはこちら)。さきほど読み終えたのですが,オリエントの影響を受けながらも,独自の文化を発展させ,民主政を完成させたギリシア(というか,アテナイ)と,民主政ではなく,執政官,元老院,民会という,3つの権力構造が抑制しあった共和政を敷いたローマが,ローマにとってはめちゃくちゃ先進国であったはずのギリシアの政治・文化を取り入れ,コピーしながら,結果的には,先進国であるギリシアが成し遂げなかった地中海世界を統一するという,大帝国を築いていったことを勉強できました。

ギリシアとローマは,どうしても世界史を学ぶ上では「同じ時代」と見られがちですが(僕も,かつてはギリシアとローマの区別さえ理解していませんでした),先にギリシア地方での歴史の蓄積があり(アテナイの同盟=デロス同盟とスパルタの同盟=ペロポネソス同盟との戦争である,ペロポネソス戦争など),ローマが後進だったことをインプットできただけでも,よかったです。

・仕事・勉強以外に今日やったこと

今日は昨日放送された『逃げるは恥だが役に立つ』の再放送を見てました!今日も今日とて,ガッキー演じる「森山みくり」が,「ひらまささん」と呼ぶのを,曇りなき眼(耳?)で聞くことによって「ひろまささん」と変換していました!(#こいつやばい)

【今日のうつ病】

昨晩は12時10頃に布団に入りました。翌日が休みだからと,夜更ししてしまいました。どうも,夜更しグセがすぐついてしまいまそうです。寝付きは良かったですが,朝の7時30分には目が覚めてしまいました。充分な睡眠時間がとれているはずですが,これくらいでは,僕には足りないようで,熟睡感はさほどありませんでした。今日も,バーピージャンプ3回できました。よかったよかった。でも,絶好調ではありませんね。

今日もブログ書けてよかった!

それではまた明日!

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