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【私見】プロフィール画像が語る内なる世界

プロフ画像が投影するものとは

SNSのプロフィール画像にまつわる諸説について、私個人の見解を述べる。

Noteでは、記事を投稿している人、見る専門の人含め、プロフィールに何らかの画像を設定している人は多い。

プロフィールを飾る画像は単なる装飾ではなく、その小さな正方形の中に、自分自身の一端を投影しているという通説。

私は専門的な心理学者ではないが、この解釈については、”概ね”正しいように思える。

調べたところ、SNSにおけるアイコン・プロフィール画像と深層心理・性格の関連性について触れた記事はたくさん出回っている。

曰く、無意識のうちに我々の性格や価値観を反映していると。

具体的には、以下のような説がメジャーのようだ。

SNSのフォロー、フォロワーを例に考える

1. 自撮り写真(顔全体が分かる)

多くの場合、その人は外向的で、人とのつながりを大切にする性格の持ち主だと想像できる。 自己表現への積極性、自信に満ちていることが自画像から伺える。また、全身+背景がしっかりしている場合、現状に満足していることを示している、とのことだ。 Noteの場合、自分をコンテンツの主体に含めることで、一種のマーケティング効果を担っているのかもしれない。

2. 自撮り写真(顔の一部のみ)

目や口元など、顔の一部のみを画像に収めているパターン。曰く、顔全体を載せている場合よりも自分自身に自信がある人が多いらしい。Noteではあまり見かけない気がする。

3. ペットの画像

これは、その人の優しさや思いやりの心を表していると言われている。自分よりも大切な存在を前面に押し出すことで、謙虚さや他者への配慮を無言のうちに主張しているようにも見える。
私の知人でもペット画像をSNSアイコンにしている人が多いが、その人達の性格を考えると、概ね一致している。
特に、飼い猫の画像を選択した人たちの中には、度々、恐ろしいほどに献身的な一面を見せる人もいるし、そうでない人からすると、理解の範疇を超えている。
自分自身を猫に投影し、愛されたい深層心理を示している説もあるが、実際のところ、どうなのだろうか。
ただし、例外はある。私の知る実例において、INTJの人が猫の写真を採用している場合、単にペットを自慢したいだけ、ということは否定できない。

4. アニメやマンガのキャラクター(2次元イラスト)

良く言えば、彼らの内面には、豊かな想像力と創造性が潜んでいるかもしれない。現実世界よりも、理想や夢の世界に親和性を感じる、ロマンチストの魂の表れとも言えるだろう。
あるいは一言で片付けると、オタクだ。
自分で描いたイラストをアイコンにしている場合、自身の絵の技量に自信がある絵師だと推測する。(コミケで作品を出している友人の例から断定できる)
過去の経験からしても、私にとっては馴染み深く、親しみやすい人達がこれに該当する。
一つ、謎があるとしたら、自分のペルソナ(=自身の投影)としてのイラストアイコンであるかどうか、という点。
例えば、女性ユーザが可愛い女の子のイラストをアイコンにしている場合と、男性ユーザが男性キャラクターのイラストをアイコンに採用している場合。
果たして、これらは同じ深層心理を示しているのだろうか。
その人たちが投稿するコンテンツを分析して考察するのは大変興味深く感じる。

5. 静謐な自然の風景

内省的で落ち着いた性格の持ち主ではないだろうか。
喧騒から離れ、自然の中に心の安らぎを見出す、そんな深い精神性が、その小さな風景写真に込められているのかもしれない。
自分自身についても、これに該当する部分がある。

6. 抽象的なデザインやパターン

抽象的なデザインやパターンをアイコンに選ぶ人々は、また違った側面を見せてくれる。
論理的で分析的な思考の持ち主である可能性が高く、同時に、個人情報の直接的な開示を避けるプライバシー重視の姿勢も感じられる。
これは、私個人がとても共感する。現に、Noteのアイコン画像はこのパターンを採用している。

その他、よくある例として、自分の趣味に関連する画像、楽器や料理の写真をアイコンに選ぶ人々。彼らのアイコンからは、その分野への情熱や専門性が伝わってくる。趣味が自己のアイデンティティの重要な一部となっていることの表れであろう。

内なる世界の投影

人間の複雑さは、小さなアイコン画像だけで完全に理解できるほど単純ではない。
アイコン選びには、その時々の気分や環境、さらにはSNSのトレンドなど、様々な要因が影響するため、一概には言えないというのが実情だ。
それでも、デジタル時代の自画像とも言えるSNSアイコンは、現代社会における自己表現の一つの形として、非常に興味深いと感じる。
それは、人間の内なる世界を垣間見せる小さな窓であり、同時に、他者にどう見られたいかという願望の投影ではないかと思う。

もし、同じように興味を持った方がいれば、次にSNSを開いたとき、フォロー、フォロワーのアイコンをじっくりと眺めてみてはどうだろうか。

言葉では表現されない、静かなる主張がひっそりと、確かにそこには存在するのかもしれない。

あとがき

筆者の場合、Xのアイコンは4だが、Noteのアイコンは4, 5, 6で迷った。
あと、エッセイ形式は書き慣れていなく、自分の文章力限界を感じた。


補記:SNSという仮面舞踏会

SNSを比喩したイメージ。筆者の拙い画力で申し訳ない

余談だが、筆者のSNSに対するイメージ、それは仮面舞踏会である。

仮面舞踏会の参加者が華麗な衣装で自己表現するように、SNSユーザーも投稿を通じて自己表現を行う。写真、動画、文章などを通じて、自分の生活、趣味、思想を表現し、他者の反応を得ることで自己肯定感を得る。

そして、プロフィール画像という仮面の背後に隠れることで、人々は普段の社会的制約から解放され、現実世界では表現しづらい意見や感情を吐露する。


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