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夕日が美しいと思う理由

「日没の場合、事情は異なっている。それは初めと中と終わりのある、完全な一つの上演である。このスペクタクルは、十二時間のうちに相次いで起こった戦いや、勝利や、敗北を、縮小された一種の映像として、だが速度を緩めて示すのである。暁は一日の始まりでしかないが、黄昏は一日を繰り返して見せるのだ。」

クロード・レヴィ=ストロース,川田順造訳「悲しき熱帯」,中公クラシックス,2001年

朝日と夕日は似ているけれど、本当は似ていない。朝日を見て泣く人はあまりいないはずですが、夕日を見て泣く人、泣かないまでも胸にきゅんと来るものがある人は多いはず。

10年ほど前に理由を知りたくてインターネットを検索しましたが、まったくわかりませんでした。しかし、願えば叶うもの。数日後、朝日新聞のコラムに、冒頭のクロード・レヴィ=ストロースの名答がありました。

クロード・レヴィ=ストロースは夕日を、一日の壮大な物語である「スペクタクル」と表現しました。彼は人類学者であり、心理学者ではありません(哲学は修めていらっしゃる)。なのに、この的を射た表現力。困難な旅を通して得た結論なのでしょうか。人によって異論があるかもしれませんが、私にとってスペクタクルと言う考えはストンと落ちてきました。

紀行文である本の主題は、ブラジル奥地のインディアンの家族関係についてで、旅行好きな人には興味深く読めます。しかし時間のない人は、この部分を中心に前後をじっくり味わうだけでもおすすめです。

どんなに平凡に感じる毎日でも、人によって紡ぐ一日の物語は異なります。ささやかな楽しみがあったり、滓のような思いが溜まったり。もしかすると絶望の内に一日が終わってしまうこともあるかもしれません。しかし、夕日は公平に、掛け替えのない一日を振り返る作業を助けてくれ、心に刺さった棘を抜きやすくしてくれるのかもしれません。


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