令和の歳時記 ツバキ
「灯台下暗し」という言葉が相応しいかわからないが、自宅から100メートル先の神社に群生していた。
もちろん、ツバキが縁取りとして植えられているは知っていたが、特に興味をそそられなかった。実際、夏の暑い日はツバキの花が咲いているのか思い出せない。
寒い冬の朝、ゴミ出しに行った時、頭上に咲く赤い花を見て、息が止まるほど美しいと感じたのだ。
マスク越しではあるが、わたしの吐く息は白く、朧げに宙を舞っている。そしてこのツバキ。さらにツバキの向こうの青空。
その時、わたしの心は「春を待ちわびて」いたのだ。これらのシチュエーションが完全に調和したのだ。
そしてツバキの美しさが雷の如く体を突き抜けていった。しばらく動けなかった。
自然の美しさとは何だろうか。感動しないのは見慣れてしまったのか、それとも歳をとったせいなのか、、、。
確かに感性が鈍っていくことに抵抗して毎日を過ごしているのは事実だ。この日の朝のように、このタイミングのように、自然が思いがけない贈り物をしてくれる瞬間ってある。
それは「春が来たぞ」とか「背中伸ばして生きろ」とメッセージかもしれない。
人は「単なる偶然だろ」と笑うかもしれない。でも、例え偶然であっても心に活力を与えてくれるのであれば感謝したい。
このツバキは今年の厳冬を乗り越えてきたのだ。枯れ落ちず耐えたのだ。そして今、わたしに美しさを誇らしげに披露している。
美しいとは息が止まるほどの「強さ」を内包しているのだ。
足元ばかりを見て過ごした日々とて無駄ではない。
ツバキ、青空を見て、わたしは未来へ向かって歩いていこうと誓った。