世界に触るってこういうことかもしれない |『えいやっ!と飛び出すあの一瞬を愛してる』 小山田咲子
序文に、作家で演出家の鴻上尚史さんがこのように寄せています。
『本当に惜しい。胸張り裂けるほど惜しい。』と。
この本は、元 andymori の小山田壮平くんの姉としても知られる小山田咲子さんが2002年から2005年までの4年間に書いたブログをまとめ書籍化されたもので、鴻上さんの言葉は、アルゼンチンへの旅行中、同乗していた車の横転事故により、24歳になったばかりの才能溢れる彼女の未来が突然この世界から失われてしまった、そのことへのやるせなさから発せられた言葉なのだと思います。
そしてまた、事故現場となった大平原の何もない直線道路の写真を見れば、「なぜここでひとり死ななけれなならなかったのか」という謎と無念さは、咲子さんを直接存じ上げない私でさえ浮かぶ感情であり、ご家族や近親者の方々が抱えているであろう深い悲しみは察して余りあります。
でも、咲子さんを語るときに私が目を向けたいのはそこではなく、彼女から発せられた言葉たちが、今なおこの本の中で、その息づかいまで聞こえてきそうなくらいいきいきと生きていて、眩しいほどに輝いていることなのです。
心の赴くままのようでいて思慮深く謙虚で、ただ若いというだけではない大胆さと優しい眼差し、そして世間という得体の知れないものに流されない強さとしなやかさを、彼女の文章からは受け取ることができます。
迷うことさえ楽しんでいるような。
そしてその視線の先に、いつも未来を映している。
2冊目に書く本を何にしようかとぼんやり考えていた時、自然と頭に浮かんだのがこの本でした。
なぜ今このタイミングで?と少し意外に思いながらも、序文を読み返しながらはからずも泣きそうになって、一旦本を閉じ、深呼吸し、そして得心したのです。
そうか、本の方から「今アナタにちょうどいいのはワタシでしょ」と訪ねてきてくれたんだと。
本って時々、そういう粋なことをしますよね。
私たちの日常は、時に、思いもよらないカタチで自分の意思にかかわらず突然、遮断されることがあります。
大切な人との永遠の別れを含め。
世界が見せてくる景色は、それ以前と以後で全く変わらないような顔をしつつ、「さて、どこが違うでしょう? 見つけられるかな?」と、間違い探しクイズの従順な解答者で居させようとする。
生きていく日々に、正解も不正解もないのに。
だけど私たちは、そういうことを日々繰り返し受け取ったり手放したりしながら葛藤したり選択したりして、今を生きているのだと思います。
生きていく日々はままならないことの方が多いけれど、一瞬一瞬を、泣いたり笑ったり腹を立てたりしながら、それでもその感情の揺れをなかったことにせず、自分の心と言葉と行動がなるべく離れ離れにならないように慈しんで、丁寧に積み重ねること。
そしてそれらをあきらめずに続けていくこと。
それが、今できることの全てであり今やることの全てなのかな、と思ったりするのです。
余談。
『花のつぼみはいつも前向き。未来しかない。』
咲子さんが好きな花として、ランタナのことをそのように表現しています。
そのランタナが先日、玄関先の道端に突然姿を現しました。
この花を見つけた時点(notoはまだはじめてない)で、すでにこの記事を書く未来が生まれていたのか?
なんて妄想すると、この展開、ちょっと面白くもあり。
世界が見せてくるものの不思議。
洒落たことするのね。
小山田咲子『えいやっ!と飛び出すあの一瞬を愛してる』(2007)海鳥社
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