論理体系では本質はわからない

 物事は視点を変えれば如何様にでも変わってしまう。だから ある とか ない みたいに言い切ってしまう言語体系ではなにも本質を見抜くことはできない。〜かもしれない みたいな曖昧な表現の方が実はよくわかることが多いが、大半の人はこの表現を好いてくれない。唯一言い切っても本質がわかる文体系は矛盾を含んだものである。 例えば、変化こそ不変の真理とか、あるいは織田信長風にいうなら 絶対は絶対にない みたいにそもそも矛盾した文でないと、言い切るという矛盾した述語で物事の根本構造はわからない。
 身近な例として日本語を使いながら微妙なニュアンスを伝えることができている事例に大阪のお笑い文化がある。例えば熱湯風呂の前で押すなよ!押すなよ!と叫ぶと周りは空気を読んで押すな!は押してくれ、とニュアンスを取ることができる。文面だけをみる論理体系ではこれを読み取ることはできない。あらゆる事にニュートラルな視点で判断すると良いかもしれない。

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