温かく可愛い絵
先日鎌倉へ行った時に、水森亜土さんのお店があったので、入ってみた。
こじんまりした可愛いお店で、店員さんも優しかった。
私はメガネケースと、ポストカードを買った。
早速、買ってきたポストカードを家の机に飾ったり、仕事で使うメガネをそのメガネケースに入れたりした。
水森亜土さんの、可愛いらしく、ポップで元気の出るイラストは、見る度に私の心を温かい気持ちにしてくれる。
イラストの持つ力は大きいんだな、と思った。
水森亜土さんの元気パワーが注入されたみたいなイラストは、あるだけで空間を元気にしてくれる。
皆それぞれに好きなキャラクターや、元気のでるキャラクターがあって、人によっては職場の机にも、思い思いの小物が飾ってあったりする。
(派手になりすぎないほどにね。)
私も、デスクに置いたメガネケースの可愛い絵柄に癒されている。
心地好いものといえば、
私は、着るものは、軽くて柔らかいものが好きだ。
重厚感のある重くて固いものや、ピッタリしたものは苦手で、ふんわりとしていて軽いものが好きだ。
そして、なるべく麻や綿等、天然素材のものを選ぶようにしている。
たまに、綿なのに固くて窮屈な服や、
生地がしっかりとして分厚く重たいものがあるが、
そういったものは苦手だ。
しっかりしているけれど、着心地がよくない。
私は多少頼りなくても軽くて柔らかいものが好き。
「軽くて柔らかい」でふと、小学生時代を思い出した。
小学生時代って、皆正直で、ある意味残酷だった。
でもだからこそ、その正直さや素直さの中に、
大人になってからはあまり感じることが出来なくなってしまった「軽くて柔らかい時間」があったように思う。
正直さや残酷さの中に「真実」があって、
それが純粋な眩しさや明るさ、そして変な忖度のない「軽さ」を生み出していたような気がする。
とは言うものの私は学校が嫌いだったし、
例に漏れなく小学校も苦手だったけれど、
時々堪らなく懐かしくなり、
もう戻れない数々の瞬間に胸が甘酸っぱい思いでいっぱいになる。
(初恋とかそういう意味ではなく)
日によって友達の機嫌が変わることに少しびくつきながらも、嘘偽りのない彼女たちの言葉に純粋に嬉しくなったり、秘密を共有したり、
かくれんぼや鬼ごっこなど、原始的な遊びを皆でやって、笑いたい時に笑って、泣きたい時に泣いて、
お世辞や忖度がない、剥き出しの世界だった。
変なものは皆正直に「変だ」と言い、
ズルは指摘し、指摘され、たまにケンカが起きて、
そういう時間は、紛れもなく「軽くて温かかった」ような気がする。
まあ、私の周りに大きないじめがなかったからかもしれないけれど。(仲間外れとかはあったけど)
無理に皆で仲良くしない、
というかできないという現実を素直に理解できたのも小学生だったかもしれない。
好きと嫌いの間にある人間関係が沢山あること。
それに別に名前をつける必要もなくて、
無理に仲良くなる必要もなくて、
そのままで、そういう関係があること、
それが自然な形であることを、
知ったのも、今思えば小学生だったような気がする。
輝くような楽しい学生時代じゃなかったけど、
色んな人や色んな人間関係を観察できたことは、
今も胸の中に残っている。
仲良くならなくても、素敵な人がいたこと。
仲良くなれなくても、新しい考え方を教えてくれた人がいたこと。
心に直接深く刻まれた傷も、思い出も、
小学生や中学生の時のものは、鮮明で懐かしく、
どこか甘酸っぱい。
いじめとかで亡くなってしまう子供さんもいるので、必ずしも私の考えや環境が全ての人に当てはまる訳ではないと思うけれど。
でも、水森亜土さんの絵にも、そういう子供時代の明るさや軽さや正直さみたいものを感じたんだ。
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