![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/126640077/rectangle_large_type_2_0c35d3df9bceba0d46851d17cb785c73.png?width=1200)
持ちつ持たれつ
家族でも、友達でも、恋人でも、
どちらか一方だけが、利益を得るという関係は長続きしないと思う。
自分を高みに引っ張りあげてくれるような人とか、一緒にいると、いつもの自分より素敵な自分に格上げしてくれるような人に憧れるんだけど、
では、そういう人に同じだけのものを返せるのかと自分に問いかけると、一方的にもらうばっかりの関係になってしまうなあと思う。
マンガやドラマでは、冴えない主人公に、
学校のマドンナや、王子様みたいな人が、
何故か主人公のことを好きになるというシチュエーションが多いのだけれども、
実際は、そのマドンナや王子様に
同じだけの何かを提供できなければ、
やっぱり関係は歪み、破綻するだろう。
例えば、婚活で、相手に稼ぎも良くて、
家事も出来て、容姿も優れている人を望んだとして、自分は好きなことだけして、
相手に守ってもらうという関係はあり得ないだろう。
相手から一方的にもらうだけの関係は、
その相手を疲弊させるだけでなく、
自分自身も、相手の役に立てない空しさや、
生きる活力を失うことになると思う。
ギブアンドテイク。
与えたら、与えられたいし、
与えられたら、与えたい。
それは、多分小さな子どもも持っている感覚で、
甥っ子は、よく、自分の食べ物や、持ち物を、
周りの家族に与えたがっている。
もらうばかりでなく、自分もあげたい。
この気持ちは、人間が本能的に持っているものなのかもしれない。
だから、自分のあげられるものが、
相手の役には立たない場合、
その人と一緒にいることは辛い。
それは、人間的な成長の度合いとか、環境とか、
色んな要因があるのかもしれないけれど、
自分があげられるものが、相手からもらうものに釣り合わない時、(物質的な話だけではなく)
空しいし、悲しい。
大学生だった時、
ちょっと背伸びして入った大学の、
背伸びして入ったクラスで、周りの人と、自分の
感覚が全然違っていて、驚いたことがある。
そのクラスでは、英語でディベートをするという時間があったのだけれど、私のレベルは、皆の前で緊張せずに、変な英語にならずにちゃんと話せるかなあという自分のことで精一杯なレベルだった。
でも、皆の関心は、このディベートをよりよくするにはどうしたら良いかというもので、英語のレベルや、人前での緊張するなどという個人の問題は、
とうに克服していて、全体のことを考えていた。
私は、同じチームの人達に申し訳なくって、
恥ずかしくって、でも、ちょっとやそっとの努力では追い付けないレベルの差がそこにはあって、
皆良い人達だったけど、とても居心地が悪かった。
社会に対する、問題意識や、知識にも差があって、
多分大学に入るより前から積み上げてきたものや、
家庭環境、周りの環境に差があったのだと思う。
私立大学だったこともあって、お金持ちの学生も多かった。
私は、私自身も苦労して入ったし、親も無理して入れてくれた大学だったから、いつもちょっと周りに劣等感を感じていた。
プロの中に混じってしまったアマチュアのような感覚。
私が相談に乗れるようなことを相談してくれる人はいなくて、また同時に私も相手の相談には乗れなかった。
なんか、悩んでることのレベルが違ったのだ。
(どっちが偉いとかじゃなく、なんか違った)
だから、その時思ったのだ。
人間関係はお互いが対等でないと、
お互いにとって辛い。
私からも何かをあげられる関係でなければ、
もらうばっかりでは、辛い。
どんなに素晴らしい人でも、
心が通わなければ寂しいだけだ。
大学でも、仲良しの友達は出来たし、
ゼミの仲間も良い人達で、ディズニーランドや、
国内旅行、海外旅行へ行ったり、
楽しい思い出も沢山あるんだけど、
やっぱりどことなく背伸びし続けていて、
窮屈さや、寂しさもあったなあと思い返す。
皆優しくて、賢くで、良い人達だったんだけど、
私のレベルが、追い付いてなかったなあって。
小学生の時の気のおけない友人と会った時や、
社会人になって、仲良くなった人達とは、
気楽に自分らしくいられるので、ありがたい。
決して彼らのレベルが低いとかではなく、
その時の環境や、ギブアンドテイクが成立するシチュエーションかどうかが、鍵なのかもしれない。
画像はお借りしました。