マイノリティであることは可哀想ではない
マイノリティはたくさんある。
多分、ほとんどの人が、
どこかの部分ではマイノリティに属するのではないかと思う。
例えば、
同性愛者などのLGBT、
外国人とのハーフ、
病気や障害
(このような呼び方をしているけれど、
本当は個性かもしれない)
右利き左利き、
最近私が記事にしているHSP、
そういう分かりやすくラベリングされたものから、
家庭環境、
住んでいるところ、
容姿、
好みや考え方など、
様々な要因でマイノリティは生まれる。
ある部分では多数派であっても、
別の部分では少数派であることは、
珍しくない。
1人1人違った人間なので、
全てにおいて多数派の人という人は、
少ないかもしれない。
そう考えると、
皆、何かしら工夫しながら生きている訳で、
別に可哀想なわけではない、
と私は思う。
そもそも、「可哀想」というのは、
上から目線の言葉である。
自分より劣っている状態だから、
可哀想と思うのである。
つまり見下している言葉なのである。
だからもし、
可哀想だと思われたいという人がいたら、
(そんな人いないかもしれないけど)
見下されたいということと一緒なのである。
自分は他人より劣っているので、
哀れんでくださいということなのである。
そんなこと、きっと誰も望んでいないはずだ。
だから、マイノリティは別に可哀想ではないと、
私は思うのである。
ただの個性の1つに過ぎない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?